六十八話 続々々々々!耳かき回 〜レクテン理容室〜

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シャアアアアア…… 程よい熱さの湯がミツリの髪を濡らしていく。 風呂に入ればそれは頭も洗う、 清潔にしているはずなのだが──いやむしろ そうしているがためにわずかな皮脂も気になってしまうのか、 湯を浴びるなりちりちりむずむずと かゆみを訴える頭皮。 ミツリはスニーカーの中敷きを足指でこねる。 そんな不快感と焦燥感を解消してくれるのは、 異世界の液体石鹸でぬるついたレクテンの指。 わしゃわしゃとシャンプーを泡立てながら 指の腹で頭皮の汚れを揉み落としていく。 「あぁ〜〜……」 ぶるりと身を震わすミツリ。 その者が十分に信頼に足るという前提ならば この手の行いは他人にしてもらうのが気持ち良いのだ。 自分の思うようには動かない、別人の指が良いのだ。 シャンプーしかり、マッサージしかり、それに── 「かゆいところはないかしら?」 「おしり」 「頭のどこかで」 洗髪にあって間髪入れぬミツリの冗談を くすりともせずに切り捨てるレクテン。 受けが悪かったわけではない。 これまで二人が幾度となく繰り返してきた 定型のやり取りなのだ。 ユータローがミツリに大切に教え仕込んだ知識と技術の中には 傍目には驚くほどくだらないものがたくさんある。 「で、実際は?」 「前髪の生え際あたりを」 「了解」 ここ半年で、一緒に入浴する緊張感が薄れてきた。 それでなくとも散髪と洗髪は常にセットであり 幾度となくミツリの髪を洗ってきたレクテンの手指は 絶妙な力加減でミツリの頭のかゆみを散らしていく。 だらしなく口を半開きにしたミツリは 閉じたまぶたの裏で、 毛穴に詰まった脂がシャンプーの泡に溶けて少しずつ少しずつ押し流されていく様をひたすら想像していた。 「仰向けでのシャンプーはどう?」 「慣れなくて落ち着かない感じはあるけど、  悪くない──というか良い具合だよぉ。  目や鼻に泡とか流れて来ないし」 「それは良かったわ。……ユータロー師がこれを嫌ったのは  単純に慣れの問題ということかしら」 「かもねぇ。あ、もうかゆくないよ大丈夫」 「はい。じゃ、ここで一度流しましょうか」 シャワーヘッドが再び湯を放ち、 勢い良くシャンプーの泡を流していく。 つい先ほどは耐え難い痛痒感をかもし出した温水が、 今はさっぱりと心地良い。 お湯さえ入れればどこでも使えるシャワー。 風呂場で何度か試してみたが、 実に良いものを作ったと内心で頷く。 ミツリ邸の浴場にはもともとシャワーが備え付けてあるものの、 その仕掛けはこれ以上ないほど単純である。 高所に溜めた湯水を重力で放射するだけの代物だ。 別に問題はない。 頑丈に作られており崩落の危険とは無縁、 湯を溜めるための操作や水温の調整も 慣れればどうということはない。 師ユータローの工夫が光る。 しかし原理が単純明快ゆえ 改良の余地が数多残されているのも事実だった。 差し当たって改善すべき欠点を挙げるなら 使おうと思い立った時にすぐに使えない点だろうか。 放水量に対して揚水量がやや弱く、 水を溜め置く時間が必要になる。 さらに水ではなく湯を浴びたいとなれば もちろんボイラーに火を入れなければならない。 夏場に汗をかいた時などは 熱いシャワーでさっぱりしたい── そんなことを思ってはみるのだが 湯が溜まるのを待つのはなかなか面倒であり、 「あーもーいいやぁ!レクテンちゃん私に続け!  用水路に飛び込むぞぉ!」 「お供するわよミツリさん!」 庭で沐浴になりがちだった。 わざわざ模型をこしらえて、 シャワーの改造あるいは新造を検討したこともある。 「ねじの形状に近いというか、そのものね。  こういった形の螺旋を水に浸けて回転させると──」 「おぉ……筒の中を水が昇っていくのか!  これは考えたねぇレクテンちゃん!」 「もちろん私が考案したものではないけどね。  考案者の名から『アカイデメキン・スクリュー』と言って……  これは異世界にもないアイデアではないかしら」 「だねぇ、これを思いつく人がいたら  その誰かはどんな世界のどんな時代でも通用しそうな天才だねぇ。  で、仮にこれを使うとして、どうやって回そう?」 「はずみ車を回す仕掛けで良いのではなくて?  足踏み板か何かを使って。まず円盤を──」 が、いかにレクテンの異常な物覚えの良さがあるとはいえ 本格的な金属加工は難しいものがある。 ある程度の知識しかないレクテンと そもそも素人のミツリでは 虎の子のボイラーの加工には踏み切り難く、 ほんの最近まで先送りになっていた。 今のままでも別に問題はないのだから、無理もない。 転機となったのはゴルタ、そしてユーアとの出会いである。 「試してみますか?ゴルタ貸してあげましょー」 ユーアの愛犬にして優秀な水魔術師であるゴルタは 前世を日本で生きた異世界転生犬だ。 つまりは異世界の水道を、現代日本のシャワーを知っている。 彼が魔術で再現してくれたシャワーの快感と来たら──! 豊富な水量、様々な出力、 狙ったところに湯を当てられる利便性── 異世界シャワーの素晴らしさを知ったミツリとレクテンは いよいよその再現に真剣に取り組み始める。 水の出し分けは簡単だった、 ミツリの魔術で本物の『多機能シャワーヘッド』を 召喚してしまえばそれで済んだ。 手元のレバーで高圧、低圧、 バブルシャワーにミストシャワーを切り替えられる優れものだ。 その接続だって、現物があればどうとでもなる。 ホースには様々な径、接続方式があったものの 所詮は液体を通すだけの管である。 少なくとも薪が燃える高熱、水蒸気爆発のリスクと戦わねばならない ボイラーの配管よりはよほど楽な仕事であった。 十分な容量を確保した、常識的な湯温に耐えるタンクに穴を開け ホースを繋いでシャワーヘッドを取り付けた。 ゴムパッキンで漏水対策もばっちりだ。 シャワーの完成である。 一見、タンクとシャワーを繋いだだけの ごくシンプルな装置に見えるが、 その実態は驚くべきことに見た目通りである。 それはタンクとシャワーを繋いだだけの ごくシンプルな装置であった。 それがどうして日本の水道に勝るとも劣らない勢いで 温水を放出することができるかだが、 「『テレキネシス』ね」 「当面、私たち二人が使えれば良いからねぇ」 力技である。 ミツリとレクテンが共通して使える魔術、 不可視の力場を操る『テレキネシス』によって タンク内の湯水に力いっぱい圧をかけ シャワーヘッドからの吐水を実現している。 装置の側に仕掛けはない。 ある意味、人力の極致である。 当然『テレキネシス』をある程度以上の出力で使える者にしか使えないわけだが、 最初から二人以外の使用を想定していないため、そこは無視だ。 いやぁ、便利なものを作った。 「ふみゅぅ」 二度洗いを始めたレクテンの指の感触と、 シャワーの湯と外気との温度差。 心地良さに身を委ねつつ、ミツリは自画自賛に酔い痴れた。
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