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拝啓、意地悪さんへ
「山下さん。選手やスタッフへの挨拶は明日の朝食の時でいいですか?」
「あの、その件ですか」
文香。初日の夕食後の食器を必死に洗いながら佐藤に打ち明けた。
「それなんですけど。直接会うのは最終日ではダメですか」
「どうしてですか?」
「私、最初、女だからって、断られたのをご存知ですか」
「ま、まあ、聞いていますが」
文香。怒りを込めて皿を洗っていた。
「理由は私を心配しているっことでしたよね。でも結局、こうして来てしまったじゃないですか」
「自分としては来て下さったことだけでも感謝ですが」
「佐藤さんはそうでも。選手の誰か一人でも、女の私が来て不快に感じるのが嫌なんです」
文香。そう言って佐藤を見た。
「だから。日本から代理の人が来たって報告だけではダメですか」
「それは、あ?大迫さん」
この場に大迫が笑顔でやってきた。
「山下さん。さすがだね!選手が水を得た魚のように生き生きと、お、どうした?」
ここで文香の話を聞いた大迫。うなづいた。
「まあ、奴等が不快に感じるとは思わないが、鬼頭はちょっと気にするかもな」
「鬼頭さんですか」
文香の問いに、佐藤はうなづいた。
「ああ、彼、ちょっと神経質なんだよ」
「そうですか。鬼頭君が」
……私のことを覚えていたのかな。それでも拒否だけど。
この様子。文香は鬼頭が自分を嫌ったと判断した。大迫、よしと手を打った。
「挨拶は最終日でいいか。でもな。選手に伝えたい事は会った時は俺に話してくれれば」
「いえ?そういうのはノートに書こうと思います。どうですか佐藤さん」
「お二人がそれでいいなら、それで」
こうして文香は選手に挨拶をせず、ひたすら厨房にこもり、男たちの食事作りに専念していた。
買い物は佐藤。それに選手たちはいつも体育館にて試合や練習。このため会う機会はなかった。それでも文香は三日目には選手の栄養面を調べたいと思い、身を潜め練習試合を見学していた。
……ああ。倒された!?トレーナーさんがいるけど、打身が酷そう。
カバディ、カバディと言いながら攻撃するこのスポーツ。このカバディと言うことをキャントという。このキャントをしている間は、息が吸えない状態。よって攻撃はおよそ30秒ほどの出来事。そして相手コートに入った選手は、キャントしながら相手選手へのタッチをねらう。
この攻撃手をレイダーという。そしてタッチのことをストラグルという。
ストラグルが入ったレイダーは自分のコートに戻ってこないと点数にならない。
この戻ってくる時。容赦なく身体を抑えられて倒されてしまう。この守備役の選手をアンティという。
ストラグルされた選手はコートアウトになり、次回の攻撃や守備に参加できない。戦う人数に変動がある競技である。
さらに体重制限があり、大型選手は減量。小柄選手は体重の増加を努めるスポーツであった。
……鬼頭さんはアンティだけど、うわ?攻撃もするんだ。
巧みなインドチームと練習。その中でも一際冷静で、人一倍鋭い鬼頭。日本選手の中心選手だった。文香は他の選手もチェックし、観客席で栄養の内容を必死に考えていた。
……スタミナと、瞬発力。そして、あの人は怪我してるみたいだから。
「ねえ、君」
「はい?」
……やばい?この人、日本選手だ。
にこにこと近づいて来たのは水休憩のはずの選手だった。文香は帽子のキャップを深く被り、席を立とうとした。
「待ってよ。君さ」
「失礼します」
逃げるように会場を出た文香。すると誰かにぶつかった。
「痛?あ。エクスキューズミー」
「日本人か」
……この声。まさか。
低い声。大きな体。汗だくの胸の番号の1。それは完全に鬼頭だった。文香は顔を上げられずにいた。
……やばい。どうしよう。
「もしかして。君は」
「失礼しました!」
彼の胸から逃れた文香。必死に廊下を走った。その背を彼が見ているのも知らずにいた。
◇◇◇
「どうした、鬼頭」
「別に」
「また栄養ノート読んでいるのか、どれどれ」
横から覗いた野原。内容を読んだ。
「へえ。あの遺伝子検査って、こういう風に生かしているんだ」
「ああ」
インド行きが決まった時、病院で行われた選手たちの遺伝子検査。これの結果で選手の体質が見えて来ていた。
本人が無自覚でも卵や牛乳が苦手な選手。他の食品でも体質に合わない食材を発見していた。栄養士はこれを今回のインドでの食事の内容に活用していた。
「でもさ。合わないからって、それを除去して効果あるのかよ」
面倒そうな野原。これに鬼塚は答えた。
「人の血液は二週間かけて新旧入れ替わるそうだ。まだこれを実行して七日ほどしか経っていないが、俺は疲れの回復が早い気がする」
「へえ」
「他にも色々工夫してあるんだ」
野菜嫌い、肉嫌い。それらを料理でカバーしている代理の栄養士。減量の選手にも低カロリーで満足感あふれる食事を提供していた。鬼頭はこれを熱心に読んでいた。
「おい、鬼頭、俺は風呂に行くぞ」
「ああ、先に行ってくれ」
……それにしても。なぜ姿を表さないんだ?
大迫も佐藤も。理由を付けて栄養士に会わせないとしない今の状況。鬼頭は怒りよりも不思議だった。
仲間の目撃もあり。女だということはとっくに知っている鬼頭。それに廊下でぶつかった時はまさに女性だった。
……しかし。当初の彼女とは違うようだし。
鬼頭が知っている文香は、ロングヘアの女らしい女性だった。しかしこのインドにいるのはショートカットの肌を見せないジャージ姿。さらにマスクで顔などさっぱりわからない状態だった。
そして、彼はノートを確認した。そこには美麗な文字で色々書かれていた。
『捕食のおにぎりの量は足りていますか?それと暑さで食が細くなっているようなので、皆さん、寝る前にアイスクリームを食べてください。このアイスは手作りの豆腐入りで、タンパク質がいっぱいです』
美文字に鬼頭は眉を顰めた。そして感想を書いた。
……『おにぎりは足りています。アイスは今夜から全員で食べます』と。
ここでペンが止まった鬼頭。腕を組んで悩んだ。
……くそ!気になる!だから、嫌だったんだ。
そして、書き足した。
……『これからもよろしくお願いします』
それだけ書いた鬼頭。夜のミーティングで選手達にアイスを食べさせた。
「鬼頭さん、これ美味いっすね」
「寝る前に食べて良んですか」
「ああ。栄養補給だ。黙って食え」
そう言って彼も食べた。美味しかった。
そして。国際試合の最終日がやってきた。今まで練習試合はこの時のため。彼らは気合が入っていた。
「行くぞ!練習の成果を出すんだ」
おう!と掛け声で試合が始まった。アジアでは盛んなカバディ。この時ばかりは文香も佐藤と一緒に会場で応援した。
そして日本チームが善戦し、試合日程を終えた。
「やった!やっと終わった」
「マジで疲れた。あ、これって俺達やっと、インドの街を観光していいの?」
「ああ」
事件に巻き込まれないために外出禁止だった選手の彼ら。試合が終わったホテルの豪華な夕食の打ち上げの時、ようやく自由時間が持てると喜んだ。
「俺、家族にお土産頼まれたし」
「明日は自由か、楽しみだな」
「……そうだな」
打ち上げの祝勝会、酒を飲む大迫や、はしゃぐ佐藤がいるが、このホテルの席では例の女栄養士は姿を見せなかった。試合にてMVPを取った鬼頭は、ここでグラスを置いた。
「大迫さん。すいません自分は早めに寮に戻って良いですか」
「あ、ああ」
そして。鬼頭はタクシーにて寮に戻ってきた。みんなはまだホテルで打ち上げ中。この寮はしんとしていたが、料理場だけが照明がついていた。
鬼頭は深呼吸をし、そこをノックした。
「失礼する。ん。鍵か」
「誰ですか?」
内側から施錠する用心深い女。鬼頭は声をかけた。
「俺だ、鬼頭だ。挨拶をしたい」
「き、鬼頭さん?わかりました。どうぞ」
開くまで、鬼頭の胸はドキドキしていた。
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