最終日

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最終日

部屋が開くと、そこには栄養士の白衣の女と、インド人のメイドがいた。鬼塚を見るとメイドは部屋を出て行った。 「料理中だったのか」 「はい。明日の朝食を作っていました」 「メイドも手伝って?」 「いいえ、彼女、日本食を知りたいっていうので」 一緒に作っていたと文香は手を洗った。 「あの、挨拶が遅れてすいませんでした。私、山下文香です。覚えてますか」 当然、という言葉。鬼頭は飲み込んだ。 「ああ。鬼頭だ。こちらこそ。遠征中、世話になったな」 頭を下げ合う二人、そして同時に頭を上げた。 「ところで。俺の聞きたいことは知っているな」 「はい。その、挨拶をしなかったことですよね」 「もしかして。女ということを隠そうとしたのか」 「そこまでではないですけど、あ」 ここで。電子レンジが鳴った。文香は反応し、レンジの扉を開きながら白状した。 「私は最初、NGでしたので、私が来たら嫌な選手がいると思って」 「申し訳ない……」 「謝らなくていいんです。確かに、ここは危険ですものね」 インドに来てそう実感した文香。彼女はそのため一度もこの建物から一人で外出しなかった。 「だから、今ではその心配してくれた人に、感謝しています」 「そう言ってくれると、助かるよ」 「やっぱり鬼頭君だったんですね……」 一瞬、怒ったふりの文香。これに目を見開いた鬼頭。文香は笑った。 「本当にもう良いんです、それよりも、どうしてこんなに早いお帰りなんですか?まだ祝勝会でしょう」 「君に会おうと思って」 「まあ、私、さすがに明日の朝には挨拶してくれって、大迫さんに言われてたんですよ」 「そうか……で、まだ、仕事があるのか」 料理場を見渡した鬼頭。文香は首を横に振った。 「いいえ。終わりました」 「では、今から祝勝会に行くか」 「え。でも」 「タクシーですぐだ。さあ、行くぞ」 「わかりました、ちょっと待っててください」 そういうと、文香は白衣を脱ぎ、帽子を外した。Tシャツはもちろん、JAPA Nと書いてあった。帽子を外した彼女は、鬼頭と部屋を出て施錠をしていた。 「その髪。切ったのか」 「ええ。暑そうだったし。それに短い方が女に見えなくて、防犯になるかと」 「……」 「さあ。準備できました」 「あ。ああ」 そして鬼頭はタクシーに二人で乗り込んだ。後部座席に二人で乗り込んだ。 「君は。明日の観光は?」 「自由時間なんですよね。でも、留守番してますよ」 「行きたくないのか」 「行ってみたいですけど、ちょっと怖いし」 そんな話の中、ホテルに到着した。会場に謎の栄養士の文香を連れて来た鬼頭。最高に褒められた。そしてみんなの前で挨拶した文香。選手たちにお礼を言われた。その彼女の横にはなぜか笑わない鬼頭が付き添っていた。 そして翌日。文香のスマホに彼からメッセージが来た。文香は支度をしてロビーに出てきた。そこには鬼頭と佐藤がいた。 「本当に良いんですか?お二人とも。お仲間と一緒に行かなくても」 「良いんだよ。山下さんにはお世話になっているし」 「行くぞ」 何度かインドに来ている鬼頭。佐藤と文香を案内してくれた。 「うわ?この石は何かしら」 「本当ですね。鬼頭君、これは何だろう」 「どれも偽物です」 「これ全部が?ふふふ」 面白がっている文香。今日は私服のようす。それでも短い髪を鬼頭は気にしていた。ここで店の店主が文香に耳飾りを進めてきた。 「綺麗……買っちゃおうかな」 「山下さん。それは何でできてるの?」 「わからないです。貝殻かな?」 「どれ」 鬼頭、その商品を英語で商談し、買った。 「これを」 「おいくらでしたか?私、払います」 「良いんだ。君には助けてもらったから」 「山下さん。もらっておきなよ」 佐藤の勧めもあり、文香は受け取った。 「そうですか。ありがとうございます。つけてみようかな」 短い髪の耳元、鬼頭が買ったイヤリングが揺れた。こうして楽しいインドの買い物が終わった。そしてその日のうちに帰りの飛行機に乗った。 爆睡の機内。体の大きい選手同士が座ると窮屈。そこで文香の隣は鬼頭になっていた。 「鬼頭君。狭いでしょう。こっちまでいいですから」 「別にそこまでしなくても良い」 「……そう、ですか」 ちょっと寂しい文香。しかしすぐに眠ってしまった。その寝顔、鬼頭は見ていた。 ◇◇◇ 東京国際空港に到着。彼らはここで解散した。 「鬼塚君。お世話になりました!」 「君は。会社か?」 「いいえ。実家に帰ります」 「送る」 「え」 「心配なんだ」 家に帰るまでが遠征の鬼頭。文香は彼に従ったが、どこか寂しかった。 ……そうよ、これは鬼頭君は、栄養士の私に何かあったらカバディ協会で迷惑だから。優しくしてくれているだけなんだわ。 それでも耳にあるイヤリング。文香は嬉しかった。一緒に後部座席に座る彼、ここでうつらうつら眠っていた。文香にもたれる彼。重いが、嬉しかった。 ……これで、会うのは最後だもの。 よりそった文香。静かなタクシーの時間。やがて文香の実家に到着した。文香の母親に挨拶までした鬼頭。やっと自宅に帰った。 こうしてインドの国際試合は無事に終了した。 「はあ」 「どうした鬼頭。ため息ばかりで」 「ちょっと顔を洗って来る」 後日の日本での練習。鬼頭は水場で顔を洗った。 ……くそ。どうしてこんなに。 なぜか心が揺れる鬼頭、この背中に仲間がつぶやいた。 「お前さ。ストラグル入ってるんじゃねーの?」 「野原。それはどういう意味だ」 誰かにタッチされている状態という意味。古いチームメイトは笑った。 「わかってるくせして。いいのかよ、追いかけなくて」 「……」 「そもそもさ。彼女が見学に来た時から、お前変だもの。あまりの心配でインドに来させなかったのかもしれないけど、まさかあんなに髪を短くしてまで来るとは、俺も驚いたよ」 「俺もびっくりした」 「で?どうすんの?放って置くのかよ」 無言の鬼頭。仲間は肩を叩いた。 「そうだな。まずは、インドのお礼をしたいと言ってさ、食事でもして来いよ」 「……」 「俺から頼むか?」 「いい。自分で誘う」 「へえ」 この日、鬼頭はお礼がしたいと食事に誘った。文香からの返事はこれを嬉しいとあり、彼女からレストランと紹介があった。 後日、二人はここで食事をした。 「鬼頭君。ここはアスリートの選手用の食事ができるお店なんです」 「そのようだな」 本日の鬼頭、パンツに白いシャツ。文香もシャツにパンツスーツだった。徹底的に女らしくしてこない文香。これに鬼頭は心を痛めていた。 そして注文した二人。インドから帰った話をし、食事を終えた頃、ここにスポーツ選手が顔を出した。 「やあ、文香さんこちらは?」 「紹介します。鬼頭君。この方はビーチバレーの選手、ええとこちらはカバディの選手です」 握手をした二人。バレーの選手は文香を見下ろした。 「髪を切ったからわからなかったよ。ところで、彼との関係は?」 「え。それは」 恥ずかしそうな文香。ここで鬼頭は真っ直ぐ向かった。 「栄養指導で、親しく相談に乗ってもらってます」 「そ、そういう関係です」 「ははは。そうかい?いや、これは失礼しました」 やがて店を出た二人。夜道を歩いていた。 「あの、ご馳走になってすいません。今夜は私が払おうとしていたのに」 「自分が世話になったので誘ったのだ。別に構わない」 「は、はい、ごちそうさまでした」 冷たい言い方。文香は悲しく俯いた。こんな言い方しかできない鬼頭、大いに反省した。川沿いの夜道、誰も歩いていない柳の下。鬼頭は勇気を出した。 「あのな。その髪、すまなかった」 「またその話ですか?もう気にしないでください」 「しかし」 「それに。修学旅行ではありがとう。インドの自由時間もそうだけど、あの時も優しかったものね」 秋の風、二人は紅葉色の道を歩いていた。 「あの参道の時も、こんな秋だったですね」 「どうして敬語なんだ。俺たちは同級生だろ」 「だって……今はお仕事の延長なんでしょう?」 寂しそうな横顔。その耳元には自分が買ったイヤリングがあった。思わず鬼頭、彼女の手を掴んだ。彼女は立ち止まった。 「山下」 「はい」 「実は、その。ずっと前から、君が」 「何?」 車の音。それで鬼頭の声が消されてしまった。 「なんですか?」 「……気になってたんだ」 「え」 頬を染める彼。文香はドキとした。 「付き合って、いや?結婚してほしい」 「え?いきなり結婚?」 「ああ。君は、俺を、どう思っている?」 「私……」 自分の手を握る彼。その体は緊張のためか、震えていた。 ……あの。泣く子も黙る鬼頭君が、震えているなんて。 本気なのだ、と文香は思った。 インド前の失礼から、インドでの親切。それは彼が仕事のためだと文香は自分に言い聞かせていたが、彼の愛の言葉は嬉しかった。 「私も。鬼頭君が好きです」 「山下」 「強くて、優しくて。自分に厳しくて、そこが好き」 彼の首に腕を絡めた文香。見つめ合う二人。そっとキスをした。鬼頭はそんな彼女を抱きしめた。 「さて。君の家に挨拶に行くか」 「早っ」 「ああ。これでも一応、選手だからな」 もう一度キスをした二人。柳が揺れる夜道を歩き出した。秋の恋は静かに深く、愛へと繋がっていた。 ◇◇◇ 「もう指輪を買ったのか?早くないか」 「どうせ買うんだ。早い方が良いだろう」 練習後、仲間の野原は驚きを隠せずにいた。 「うちの両親も文香を紹介して喜んでいたし、彼女の方にも挨拶を済ませたし」 「文香ってマジかよ。っていうか。お前、いつから山下のこと好きだったんだよ」 「……」 「言えよ!」 背中を叩かれた鬼塚。頭をかいた。 「修学旅行かな。あの時に、あれだ」 「はああ?お前って、本当に、なんていうか」 「たまたまだよ」 タオルで顔を拭く鬼塚。野原は呆れた。 「くそ。俺もあの時、一緒にいればよかった」 「なぜ」 「あのな。山下は美人というか、綺麗系でさ。人気あったんだぞ」 これに鬼塚はちょっと考えた。 「でももう俺のものだ。諦めろ」 「お前って本当に、なんていうか、強くてすごいよ」 「俺は帰る。文香が料理を作って待っているんだ」 「ああ。どうぞ勝手にお幸せに!」 「ああ」 強面の彼のスマホには文香からの彼を待つ愛のメッセージが届いていた。これに眉を一瞬潜めた彼、その足取りは軽かった。 fin
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