11人が本棚に入れています
本棚に追加
ミシェル・ウィノク 『自由の声』より『民衆の自由』
ルイ16世の弟、ルイ18世の治世下で、1822年、検閲法が強化されました。
そのせいで、バンジャマン・コンスタンの発行したル・ミネルヴ、元はフーシェが「ランデパンダン」として発行した「ル コンスティテューショネル」、「センシュール・ヨーロピエン」などの自由主義新聞が検閲の対象になってしまったようです。 一方、保守系は王党派(王族支持者)に支持された「サンプル ディスクール」という新聞があったそうです。当時の作家達は新聞でも戦っていました。 今のところ、わかったのはここまでです。
この件については引き続き調べます。
※ 私の訳なので、間違っているかもしれません。
最初のコメントを投稿しよう!