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『蛍、見に行かない?』  親友のかや(、、)にそう誘われたのは梅雨が終わり、暑さが本格化してきたころである。家でのんびりしていると、突然スマートフォンに電話がかかってきたのだ。 「彼氏くんはいいの?」 『元々は一緒に行くはずだったんだけど、来れなくなっちゃって。せっかくだから見たいなって』  かやには彼氏がいた。正確なことは彼女が言いたがらないので分からないけれど、付き合い始めたと聞いたのは半年ぐらい前だ。相手は一歳年上の大学の先輩で、現在は社会人一年目の人なのだという。会社勤めと学生では日程調整が難しいのかもしれない。 「分かった。いいよ、行こう!」 『ありがとう。じゃあ、場所と時間はまたあとで』  そう言ってかやは電話を切った。  一方のわたしはスマートフォンの画面の方を伏せて、こつんと机の上に置いた。手がじっとりとしているのが分かる。返した手のひらは薄くかいた汗でてらてらしていた。  これで、かやのお誘いを受けるのは三回目だ。これでダメだったら、諦める。  わたしは心に強い意思を再確認した。 わたしは親友のかやのことが好きだった。単なる友情ではない。彼女のことを考えると、胸がドキドキして、夜も眠れなくて、実際に会ったときは目が離せない。つまり、恋愛感情である。  しかし、振り向いてくれる可能性が極端に低い恋でもあった。これまでの親友という関係もあるし、何より彼女には別の相手がいる。  だから、わたしは決めていた。彼氏くんと付き合い始めたと聞いたときから、彼女に三回遊びに誘われて、そのうちに別れたという話を聞かなかったら、この恋は諦める、と。何事も諦めが肝心とも言う。  そして、今の電話がその三回目だった。この感じだと、今回はたまたま都合が悪かっただけみたいだけど、別れる予兆はない。つまり、諦める未来が濃厚だ。  今から心構えをしておかなければ。  わたしは自席を立つと、クローゼットの前に仁王立ちして、両手でざっと開けた。そこには服がぎっしり掛かっているのだ。  蛍を見に行くのなら場所は山だと思うけれど、決断のときだからそれに相応しい恰好で行きたい。  わたしはクローゼットに手を突っ込んで、服を選び始めた。
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