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「良い天気……」
すぅ、と深く息を吸う。緑の匂いがする清々しい空気が肺を満たした。竜胆との昼食後、邸の敷地の外れをひとりで散歩していた。
あれから何度か竜胆と外へ出た。やはり私をよく思わない人と出会うこともあるが、竜胆と共に少しずつ民と触れ合っている。
人から敵意を向けられることには未だ慣れないが、私に向けられるすべてを受け止める努力をしていた。挫けそうになる度、隣に居てくれる伴侶の存在の大きさを噛み締めている。
こちらに来た時の憎しみが嘘かのように私は日々を楽しみ、竜胆と一緒に生きている。今では毎日が愛しくて、この暮らしがいつまでも続いて欲しいと思っていた。
しかし私の願いは、思いがけない来訪により簡単に打ち砕かれる。
「松葉」
その声を聞いたのは久しぶりだった。けれど条件反射のように、私の背はすっと伸びる。緩んでいた空気が引き締まる。緊張で喉を鳴らした。
「父上でございますか……?」
「あぁ、久しいな」
離れているが敷地内では従者たちも仕事をしている。彼らに不審に思われないよう、ゆっくりと視線だけを動かした。傍にたっている木の奥に、人の気配がする。
「どうだ、竜胆の弱みは掴めたか」
「……、それは……」
こうして隠れて会いに来た時点で、父が来たのには何か理由があるはず。下手なことを口にすれば竜胆に迷惑がかかるだろう。黙った私に、探るような視線が注がれる。
「……まぁ良い。蘇芳様のことは何か聞いておるか」
「……いえ、何も」
「竜胆にすべてを奪われ、松葉も自分の手から離れ、随分と荒れたのだ。このままでは再興をはかるのは難しい。動かない蘇芳様に民から不満も上がっておる。民と蘇芳様をわずかながらでも鎮めたいのだ。身内には甘い竜胆のことだ、おぬしが帰りたいと言えば止めることはしまい」
「……っ」
そこに私の意思はない。この人の中では私は未だ人形なのか。
私が竜胆のもとに移ることになっても止めた者はいない。それどころか、密偵のようなことを期待された。しかし都合が悪くなったから帰ってこいだなんて、あまりにも身勝手だ。竜胆のことだって何も知らないくせに。
道具としての扱いに怒りが湧く。今ならこの怒りは当然のものだとわかる。けれど父に逆らうことは私にはできない。ぎり、と奥歯を噛み締めた。弱い自分が嫌になる。
「……わかりました」
竜胆と想いを重ね、この地に少しずつ受け入れてもらい、順調に過ごしていたはずだった。こんなにも呆気なく壊れるものなのかと、眩しい空を睨む。
突き出された突然の竜胆との別れ。もし私の生まれが違っていたらなんて変えられない事実を、どうしようもなく恨んだ。
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