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迫り来る恐怖
真っ暗な森のなか風をきって進んでいく。駆ける馬から落ちないよう、前の体に必死にしがみついていた。もうほとんど残っていない握力が今にも尽きそうだ。しかしそれ以上の不安要素が後ろから迫ってくる。
「あそこだ! 追え!」
「っ、しつこいな。やはり見逃してはもらえぬか……!」
蘇芳様の邸から出てすぐは順調だったが、放たれた追っ手にすぐに見つかってしまった。森に入りなんとか撒こうとしているものの、まだ数人着いてきている。
捕まったらもう二度と竜胆には会えないだろう。私も竜胆も、生きていられるのかもわからない。
震える体で、必死に逃げ切れることを祈っていた。
「このままでは逃げきれぬ。次の茂みで馬を降り、目立たぬよう走ろう。できるか、松葉」
「……はい!」
もうほぼ体力は残っていない。それはここまで馬を操ってきた竜胆だって同じだろう。
けれど私たちは無事にふたりで生き延びねばならない。
背の高い草が生い茂る場所へ入ると、竜胆は馬の速度を緩めた。すぐに地面へと降り、私の体を支えてくれる。いつ見つかるか分からない焦りを抱えたまま、久しぶりに地を踏んだ。
力が入らない足で必死に踏ん張る。
「よし……走れそうか?」
「はい、問題ありません」
疲労で目眩がする。力が入らない体。振り切れない不安。張り詰めている緊張感。
竜胆に余計な心配はさせたくないが、限界を隠す余裕もない。そんな私を見た竜胆は、一度深呼吸した。追いつかれないかハラハラする私に、にっこりと笑む。
「さぁ、松葉も。すまんな、辛かっただろう」
「いえ、しかし追っ手が……」
「……なぁ、松葉。新たな地で、何かしたいことはあるか? 少しばかりだが畑もある、川の水は澄んでおる。のどかな地だ」
「竜胆様……?」
「儂はな、刀の稽古をする場を作ろうと思っておる。誰かを傷つけることがあってほしくはない。それゆえ、自分たちの暮らしを守る、力の正しい使いようを教えたいのだ」
竜胆の微笑みにつられ、速かった鼓動が少し落ち着いてくる。そうだ、冷静にならなければ。さっきの竜胆と同じように、私も深呼吸した。久しぶりに肺にたくさん空気が入る。体の嫌な緊張が少しほぐれた。
「……それなら私は、読み書きを。竜胆様が刀、私は芸事や読み書きをお教えしましょう。力を正しく使うためには、正しさを知り、考え、導き出す技量も要ります」
「そうか、それは良いな。楽しみだ」
思い付きだったが、口にした暮らしを素直に楽しみだと思う。実現するためにもう一度だけ大きく息を吸った。
私たちはどちらともなく手を繋ぐ。触れた温もりはいつでも安心を与えてくれる。怖くてしかたない心に力が宿った。目的の地まで走り抜いてみせると決意を新たにする。
行くぞと目での合図で、また私たちは走り出した。
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