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新たな立場、役目
私を眺めていた竜胆は突然、柔らかな雰囲気を引っ込め居住まいを正す。何だろうと身構えながら私も改めて背筋を伸ばした。
「こたびの侵略、お主にとっては辛いものであろう。すまなかった」
真っ直ぐと私を見つめる竜胆は、深く頭を下げる。まさか謝罪をされるなんて。想像もしていなかったことに、体が硬直する。
「り、竜胆様、頭をお上げください」
「……境の村のことを聞いておるか?」
「はい、少しですが……」
頭を上げることなく、竜胆は言葉を続ける。
「村の食糧や子が略奪にあっていてな。小競り合いが起こる度に、なんとか民たちを鎮めてきたのだ。しかしそれももう限界だった。血が流れぬ方法で解決しようと動いてはいたのだが、こうなったのはすべて儂が至らぬせいだ」
竜胆が語ったのは、初めて知るものだった。蘇芳様や家の者から聞いていた話とは違う内容に、狼狽える。あちらでは食糧難を抱えた竜胆の地の者たちが攻め入ってきたのだと聞かされていた。
「それは真ですか……?」
「あぁ。もしや別のことを聞かされたか?」
やっと顔を上げた竜胆は、私に尋ねる。それには答えずに、手を握りしめた。
言葉は返さなかったが、そんな私の様子を見て察したのだろう。眉根を寄せた竜胆は、静かに目を伏せる。
「お主の立場はさぞ辛かろう」
「……」
こちらへの気遣いに反射的に口を開こうとして、ハッとする。私の頭には、見送りに来てくださった父の言葉が浮かんでいた。
『松葉、しっかりな』
短いながらも、その中にある意図には気づいている。蘇芳様は一度降伏はしたが、まだすべてが終わったわけではなかった。
私には、竜胆の弱みを握るという役目が与えられたのだ。
先ほどの狼狽、揺らぎを隠し、私は微笑む。
「お心遣いありがとうございます。ですがこうして竜胆様と共になれたのです。私は幸せ者でございます」
「松葉……」
微笑みを貼り付けた顔で、竜胆を見る。竜胆が語るすべてが真実かどうかなんてわからない。
私への気遣いだって、本心のはずがない。この人は、私の日常を奪った人なのだから。
まだ何か言いたげな竜胆はこちらを窺うように見ていたが、結局この話を続けることはしなかった。
「こちらが松葉様のお部屋でございます。何か不足している物などございましたらお申し付けください」
名だけの伴侶だろうからきちんとした部屋は与えられないだろうと思っていた。しかし従者に案内されたのは、木の香りがする上品で程よい広さの部屋だった。きっとこの邸の中でも上等な部類だろう。
蘇芳様は派手好きで部屋も豪華にされていたが、竜胆の邸は質素ながらも品の良さが満ちていた。
「こちらは竜胆様も使用しているのですか?」
「いえ、松葉様のためにご用意したお部屋でございます。お気に召しませんでしょうか」
「い、いえ、こんなに立派な部屋を用意していただけるとは思わず……」
部屋をきょろきょろと見渡す私に、従者は柔らかく微笑む。竜胆に言いつけられているのか、従者も私のことを丁重に扱ってくれた。
来る前に想像していた殺伐さは微塵もなく、かえってそわそわとしてしまう。
「竜胆様から言付けを預かっております。本日はお疲れでしょうから、お早めにお休みくださいとのことでございます」
「そうですか……」
それは伴侶としての初めての夜を、別に過ごすということだろうか。どう扱われても仕方がないと覚悟していたことが、またひとつ容易く裏切られる。
竜胆という男が更にわからなくなりながらも、心が少し軽くなった気がした。
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