iRiS

2/3
前へ
/3ページ
次へ
 なんだか、ぶつぶつと独り言をつぶやく女性の声が聞こえてきます―― 「――ちっ、逃げられたか! 布津さん、聞こえますか? こちら、三ケ田(みけだ)です。参考人に逃げられました――はい、直ちに……」  先ほどの女性の声が、うつむいている私の近くではっきりと聞こえてきます……どうやら、心の声などではないようです。声の女性は誰かを追っているようですね? それでも、私は気にせずうつむいて、心を無にしています。具合が悪くてそれどころではないのです。 「おい、君、この周辺で怪しい人物を目撃しなかったか? なんというか、獣のような出で立ちの男を見なかったか?」  なんと、その女性から声をかけられてしまいました――こうなっては仕方がないです。 「ごめんなさい、見ていないです。具合が悪くてそれどころではなくて――」  相手に失礼かとは思いつつも、私はうつむいたままそう答えていました。 「おい、君、大丈夫か!? 布津さん、聞こえていますか? 実は、体調不良の少女を発見して、今から彼女を保護したいと思うのですが――え、ダメですか? でも、このまま放っておくなんて……え、はい、わかりました」  はい、私はダメです……え、あれ、布津(ふつ)さん? この女性、誰と話しているのでしょう? もしかして、見えない存在――幽霊とか!? 宇宙人とか!? 地底人かもしれません。それでも私は、声の主を確認する余裕など、余裕などまったくないのです! 怖いから、とかではないです、断じて。 「ごめんね、どうしよう、救急車を呼んだ方がいいのかな……あの、あなた、お名前は?」 「いえ、その必要はありませんので、ご迷惑おかけしてすみません。私は海風です。海風 藍里」  それでも私はうつむいたまま答えました。いくら具合が悪いとはいえ、このままでは相手に大変失礼になってしまいますね……そう思った私は、少しだけ深呼吸をして呼吸を整えました。 「え、海風!? 布津さん、聞こえますか? この子、海風博士の娘さんです――はい、そうです。待ってください――あの、君は、海風さんは、海風博士、『海風 (なぎ)』の娘さんで間違いないですか?」  唐突に、なんでしょう、父の知り合いなのでしょうか? こんなところで偶然にも父の知り合いに遭遇する、だなんて、世界は狭いものですね。むしろ、都合よくできた世界ですね。 「はい、そうです。間違いないです」 「布津さん、間違いないです。海風博士のご息女です――はい、承知しました」  深呼吸をして、少しだけ気分が良くなってきたので顔を上げてみました。すると、目の前にいる女性、その人の表情からは私のことをとてもとても心配そうにしている様子が私に伝わってきます。 そんな彼女は、黒いスーツに身を包み、ちょっぴり上品で清楚、そして古風な雰囲気の女性、なのでした。なにより、長い髪の先端をリボンでちょこんと結んでいるところがチャームポイントでした。言動とは裏腹に、なんだか可愛らしいとさえ思えてしまいます。なんだか、黒猫っぽい感じもします。 「海風さん、申し訳ないけど、ちょっとだけ動けるかな?」  彼女は私をどこかに連れて行こうとしているようです。不審に思いながらも、彼女の装いから怪しい人……にも見えなくもないですが、危険人物というわけでもなさそうです。 そう思った私は、彼女の話を少しだけ聞いてみることにしました。 「はい、少し気分が良くなったので、今なら問題ないです」 「ごめんね、もし具合悪かったら途中で休んでもいいし、無理ならそのまま病院に連れて行ってあげるからね」 「ありがとうございます。ところで、これからどこへ?」  私は、どこか知らないところに連れていかれるのではないか、と少し不安になりました。 「海風さんは喫茶アンリ&マユって知ってる? テレビとかにもよく出ているアンリさんが経営しているお店なのだけど、そこで上司と落ち合うことになっていて」  アンリさん……聞いたことがあります。私はあまりテレビを見ないので詳しくないのですが、時々、周りでそのような話が話題として出てくるのです。確か――もともと、アンリ&マユは知る人ぞ知る有名な飲み屋? バー? ともかく、夜のお店だったようです。そこのママさんである、アンリさん、本名『凛太(りんた)』さんがテレビ出演した際に、その独特な雰囲気と毒舌により好評を博して一躍全国的人気の有名人に。その後、芸能活動が忙しくなってしまって、お店は路線変更、小洒落た喫茶店になったのだとか、なんだとか。噂では若年層にも人気が出たため、クリーンな印象のお仕事に鞍替え、というのもあるようだけれど――今は弟のマユさん、本名『雄馬(ゆうま)』さんの手腕により、喫茶店の経営も順調なのだとか。 「あ、申し遅れた! 私、政府直属の特別捜査官、『三ケ田(みけだ) 六花(りっか)』と申します。以後、お見知りおきを……」 「私は海風 藍里です。よろしくお願いいたします」  私たちは軽く挨拶を済ませてから、喫茶アンリ&マユに向かいました。道中、普段よりも街が騒がしく感じられましたが、元旦ということもあり、特に気にしていませんでした。  神社から南の方角へ10分ほど歩いたところに喫茶アンリ&マユはあります。駅からも近く、アクセスは抜群、と言ったところでしょうか。お店もアンティーク感漂う、とても素敵な佇まいです。
/3ページ

最初のコメントを投稿しよう!

1人が本棚に入れています
本棚に追加