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揺れる思い(4)
その時見た光景に俺は目を疑った。
酔いもすっかり覚めた。
くるまっていた毛布を剥ぎ、服を脱いだ裸の女がいた。
「私はあいつらに飼われてたの! 見てわかるでしょ!? 今さらどうしろって言うの!?」
随分大人しいと思っていたのだが、騙されていたらしい。
俺はベッドの端に腰掛け大きなため息をついた。
「そのままシャワーでも浴びてきたらどうだ? 着替えは大きいだろうが用意する」
女は怒った様にそのままシャワーへ向かった。
そういう事か。部屋の中は探索済みか。
聞こえるようにわざと大きな声で言った。
「知ってるだろうが、中の物は自由に使うといい」
バスタオルと、Tシャツと短パンを用意した。
「着替えとタオルを置いておく。気に入らなかったら使わなくて構わない」
俺はまた窓際に戻り、もう1本ボトルを用意した。こんなに飲みたくなる日はそうそうなかった。
タバコに火をつけた。言ってはいけないことでも言ったろうか?飲んではいたが、そこまで酔ってはいない。果たして俺が悪かったのか?
ほぼほぼ、空のボトルを見て、言い訳は止めるよう自分に釘を刺した。飲み過ぎだ。
無言のまま、女は長い髪を拭き、着替えを済ませたようだ。いい香りが湿気と共に舞っていく。
「あなたが、悪い人じゃないのはわかってるわ」
予想外の展開だ。さてどうする?
俺は頬杖をついた。
「それは光栄だ」
「ねえ、 わかってる訳!? 」
「……? 」
振り返ると、そこにいたのは毛布を被り、隅で震える少女ではなく、若くて美しい凛とした女性だった。まるで別人だった。金を出して飼われていたのも頷ける。
「悪いことをしたなら謝る。それはさっきも言ったはずだが」
「そうじゃなくて! 」
「何が言いたい? 」
俺はとうとう最後まで飲み干し、ウイスキーを空にした。冷静にしろ。挑発に乗るな。まだ頭は回っている。大丈夫だ。
「私はあいつらに飼われていた! さっき言った通りよ! でも、その代わり見返りをくれたわ! 知識や教養、勿論衣食住もよ! 」
「戻りたいのか? 」
「そういうことじゃない! 」
「何が言いたい? 奴らはもう居ない。知ってるだろう? だったら君はどうしたいんだ? 」
「……っつ! 」
女は言葉を詰まらせた。
なるほど、なんとなくだが、見えてきた。
「俺は君に何も強要はしない。それはわかっていると思う」
「だからといって、無意味に何かを与えたりも出来ないな。それも何か違う気がする」
目頭を親指と人差し指でぐぐっと押しながら目を閉じた。
「……かと言って体を求めるつもりはない」
殴られる覚悟はしていた。目を開けるつもりはなかった。
暫くたった。いや、ほんの少しの間だったろうか。やけに長く感じた。
うっすら瞼を開けた後、俺はまた驚き戸惑った。
この女は俺を翻弄するのが得意なようだ。
「……それしか知らないで生きてきた……なのに、今更何が出来るの? 急に言われて、どうしろって言うの!? 」
涙を堪えても尚、頬からしたたる様は、今までの苦痛の日々を思い出しながらも、耐えている姿に見えた。
「少し落ち着いてくれ」
「私は取り乱していないわ」
「なら、そう声を上げないだろ」
「ええ、そうね。でも貴方に私の気持ちがわかる? 」
「わからない。ただ、君の望むようにしてほしいだけだ」
「エゴイストね」
「そうだな」
「連れてきて、後は好きにしろなんて、貴方は勝手過ぎる」
「見ない振りをして、去るべきだったか?そのことは何度も言った筈だ」
「そうね、私も聞いたわ。毎日ね」
「だったら、君はどうしたいんだ?」
「……それは……わからない」
俺はまた、ため息を着いた。
無理強いをしていたのは俺の方だった。強要していたのも俺だった。
自由だと言い、望む様にしろと言い、相手に全て押し付けていた。俺は選択肢を与えている様で、奪ってもいた。
耳を貸す事も、何かを伝える事もしなかった。
一方的に言い放っていただけだ。
俺の自己満足だったのだ。
一度深呼吸をして、頭の中を整理した。
出来るだけ、穏やかな口調で俺は言った。
優しく諭すように、ゆっくりと。
「……君と始めて話して気づいた。俺は酷いことをしていた。本当にすまない」
「これからどうするか、決まるまで此処にいるといい。安全は保証する」
「答えが見つからないなら、見つけていけばいい。君はまだ若い。これからだ。何度でも考え、それから決めるといい」
「……一人で生きていける?」
女は不安気に尋ねた。
「それはわからないが自分なりの答えを探すといい。焦ることはない。いつかどこかで見つかるさ」
「……本当に?」
「悪いが、絶対とは言えない」
「でも、君は生きている。生きている間はずっと、可能性は消えないんだ」
「死んだら何もないだろ? それと同じだ」
「だから大丈夫だ。ゆっくりでいいんだ」
女は少し落ち着きを取り戻したようだ。
なんとなく納得したという表情だった。
案外可愛い所もあるんだな。と、俺は少し安心した。
それから暫く俺達は多和いのない会話を続けた。
この場所から空が見えること。
外は相変わらず酷い有り様だとか。
俺が何処へ出掛けているか聞かれたが、それには答えなかった。のらりくらりとかわして、本当の事は伝えなかった。
なんの変哲もない会話こそ、今この瞬間に必要だと思ったからだ。
一通り話終えた俺は、会話に疲れ、一旦口を閉ざした。
タバコの火を消し、もう1本咥え、また火をつける。
「いつもそればかり……」
何の事か全くわからず、女の視線の先を目で追った。俺の右手で煙を上げているタバコへと辿り着いた。
「ただの気晴らしだ。気づいたら吸っている」
「興味があるのか? 」
女は頷いた。
「吸った事は?……ないか? 」
また、こくんと頷く。
何も言わず左手に持ち変え、女に向ける様にした。恐る恐る口に咥える。
「そのまま息を吸うんだ、そう、ゆっくり」
思った通りむせた。
「最初はそうなるんだ、みんな、俺もだった」
「……苦しいし……まずっ、なにこれ……」
悔しそうに女は涙目で睨んできた。
まだ咳き込んでいる。
「子供っぽい所もあるんだな」
俺は酔っていた。
勿論睨まれたが。
「あと、いつも飲んでるそれ」
咳を堪えながら女はウイスキーを指差した。
「これは、あまりオススメできないな」
「……どうして?」
俺は少し笑った。
かなり水で薄めてやったが、似たような反応だった。
「まだ、早かったかもしれない。いつか二人で飲もう」
「……なに?」
「……何でもない。気にするな」
ただの、口説き文句だなんて、言えなかった。今日も夜空には何も見えなかった。
俺にはいつか、何かが見える気がした。
「私は琴夜。あいつらが言ってた。親もそう呼んでたの」
「あなた名前は? なんて呼べばいいの? 」
俺はありのままに話した。酔いも手伝い、少しばかりか饒舌だった。
自分の事を話す機会は滅多にない。なるべく分かりやすい様に話したつもりだった。
彼女は驚いたようだった。
俺は苦笑いをして言った。
「そんなに珍しい事でもないだろ? 」
彼女は答えるべきか躊躇している様だった。
何も返さなかった。
「俺は……琴夜で、いいか?」
琴夜は頷いた。
「必要な物があったら言ってくれ。なるべく不便な思いはさせたくない」
奇妙な共同生活が、また始まろうとしていた。
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