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目覚めの後
外は相も変わらず酷い天気だ。行く手を阻もうとしてるのか、背中を押そうとしているのか。それは受け取り手次第だと思う。
一通り支度を終え、琴夜は察したのか
「気をつけてね」
いつもの様に困った顔で微笑んだ。
「ありがとう。行ってくる」
このやり取りは俺達の唯一の決まり事だ。
ふと目を向けた先にギターが置いてあった。俺がいつも置く場所とは明らかに違う場所にそれはあった。一本取られたな。苦笑いを堪え、この思いと共に今日は過ごそうと決めた。恥ずかしく、だけど嬉しい、心をくすぐられる思いだ。
視界は100メートルもないか……連絡用の無線を取り出す。古臭いとからかわれるが、耳は塞がない主義だ。何かあっては困る。雑音だらけの先に声が聞こえた。
移動用のバイクに跨がり、一旦呼吸を整えた。マスクの中に生暖かい息が流れる。
これを生業と思ってはいない。報酬がいいんだ。生きる為だ。他の奴らだって同等だろ。数え切れない程の言い訳を一生分は考えた気がする。
いつかは平穏に暮らしたい。青い空の下、緑の上、先人達が過ごした場所で。それを桃源郷と呼ぶらしい。何処にあるのかは誰も知らない。今度話してみよう。その場所でギターを奏でる俺を見てもらうんだ。琴夜は上手だと褒めるだろう。二人で暮らすんだ。いつかきっと。
そうだ。帰ったら話そう。口下手だからゆっくり話そう。琴夜も話したいことがあるだろう。きちんと聞いて答えて、そして、話すんだ。
そうだ。そうしよう。
ひと仕事終えた俺は、平常心を保つのに我を忘れる程必死だった。
汗ばんだ体にまとわりつく、この匂いが嫌いだった。
雨でも降ってくれないか。空を見ると、いつの間にか、太陽が沈み何も見えなかった。
帰ろう。
光を失った目では何も見ることなんて出来やしない。
笑いたくなった。
そうだよ、見えっこないんだ。最初から。決まってたんだ。馬鹿馬鹿しい。今さら気づいた自分が哀れに思えた。何が見えるって言うんだ。何を見たいって思うんだ。こんな世界で。こんな俺が。
会いたい。逢いたい。編み物、どれだけ進んだだろう? もしかして解いてなんて、いないよな?
俺が憎まれ口をたたいたばかりに。全て嫌になって、ぐちゃぐちゃに絡まった糸になっていたらどうすればいい。謝りたい。許してくれるだろうか。琴夜に限ってそんなことはしない筈。きっとそうだ。そうだろ。
風が、一層強く吹き始めた。
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