遠い夏の匂い

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 花火の時間は一時間半ほどだろうか。あっという間にフィナーレを迎え、遠くで聞こえる破裂音が耳を聾する。  夜空を絶え間なく照らし続ける光がもうすぐ消えてしまうのだと思うと、リョウの手に自らの手を重ね、互いの声が聞こえる距離まで顔を寄せた。 「……ねえ、キスしてほしい」 「え?」 「今日まで恋人でしょ?」 「でも……」 「これが、本当に最後だから」  懇願するように見つめると、彼の瞳は揺れていた。  その後で躊躇いながら、たどたどしく唇が重なった。  一秒、二秒、三秒――  そっと触れるだけのキスは、たった数秒の出来事だったのに、体感永遠のようにも思えた。  最後の花火が咲き終わると、あたりに静寂が訪れる。  ゆっくりと唇が離れていくと、彼が小さな声で「ごめん」と呟いた。  今日は、まだリョウとの付き合いが順調だった時に、一緒に行こうと約束していたお祭りだったのだ。  だから、今日だけは、今日までは恋人でいたいと彼にお願いをした。  一緒に楽しい時間を過ごせば、また彼が私への気持ちを感じてくれるかもしれない、心変わりするかもしれないと思ったから。これが最後の賭けだった。  だけどリョウは、ちっとも私のことを見てくれない。見てくれるどころか、もう彼の瞳に私はうつっていないのだと、嫌というほど実感させられた。  今日一日、彼は私と目を合わせなかった。私の名前を一度も呼ぶことはなかった。  最後の賭けは、最初から勝敗が決まっている出来レースだったのだ。 「じゃあ、行こうか」 「うん……」  花火の余韻に浸ることもなく、早々に食べたものを片づけてリョウが立ち上がる。  もう、手は繋がなかった。来る時よりあいてしまった距離に、人知れず涙がこぼれる。けれど彼には気付かれない。振り返ることはなかったから。  駅までの帰り道は長くて短い。もう夜の九時を過ぎているのに、風はぬるくて、浴衣が汗ばんだ肌に張り付いて気持ちが悪い。 そして、するはずもないのに、遠くで火薬の匂いがした――
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