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桜子は尊さんと一言二言会話をして、また私の許に戻ってきました。ですが、妹だとばかり思っていた私の肩に触れたのは、大きくて温かみのある手だったのです。
「 大丈夫? 撫子さん、しゃがんでたら危ないよ」
尊さんはそう言って、私の躰を支えます。久しぶりに間近で聞く彼の声は重低音が心地好く、直に心に触れるものでした。下駄の音が近づいてきて、それが妹であると今度はわかりました。練り香水の匂いが鼻につきます。
「お姉ちゃんと一緒に、お祭りに行くのよ」
「ああ、そういえば今日だったね。……とっても綺麗だ」
「綺麗? ありがとう。お姉ちゃんのは地味な色合いの縞模様だけど、私は自分の名前にちなんで桜の花弁にしたのよ。どう、可愛い?」
妹がくるくるとその場で回っている姿が目に浮かびました。尊さんが「似合ってるよ」と返すと、妹は私を突き放して間に入りこみました。
「尊さん、お散歩してたなら、お時間あるでしょう? よかったらわたしと会場までいかがかしら」
尊さんは微かに笑い声をこぼして、「そうだね」と端にいる私の手を取ります。また胸が高鳴ってしまった私は、握られた指先が熱くなるのでした。妹は肘を使って止めるように促してきましたが、尊さんが私を放さないので諦めたようでした。
「ああ、もう……。尊さん、お姉ちゃんが邪魔でしょうけど、お願いしますね」
妹の足音が遠のいてゆきます。私はいけないような気持ちになりましたが、尊さんが「行こう」と手を引いてくれたので、私も歩調を合わせて歩きだしました。
尊さんの父と私の父は、中学校の野球部で先輩と後輩の関係でした。それなので、大人になってからもしばしば交流があり、父が不慮の事故で亡くなった後も、度々母の許を訪れるのでした。
そんな関係ですので、私や妹と尊さんは幼馴染みでありました。尊さんはよく兄の透さんの野球試合に赴き、時たま私たち姉妹を連れていってくれました。
尊さんは興奮した口調で、透さんが現在どういう状況かを事細かに話してきます。今どこに打った、走った、投げた、と私はそれを聞くのが本当に楽しみでした。尊さん自身も病気がちで運動ができない躰でしたから、透さんの活躍がひとつの喜びだったのでしょう。
ですが、桜子には退屈なようで、帰りはいつも試合とは関係のない話を尊さんに振るのでした。それでも尊さんは文句を言うこともなく、妹の一方的な話に耳を傾けていました。
二十分は歩いたでしょうか。人声が段々数を増すとともに、祭囃子が周辺に溢れるようになりました。とても賑やかな雰囲気で、私は尊さんに支えられながら、いつになくわくわくしてしまいました。思わず手に力が入ります。すると、尊さんはキュッと掌を握り返してくれるのでした。
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