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十五年前、その頃はまだ、長男の奏が生まれてまだようやく一ヶ月経ったほどの時期で、まりえは産後の肥立ちが悪くて、いつもどこか疲れたような顔をしていた。
「ただいま」
匡久が仕事から帰ると、そのまりえがにっこり笑って言う。
「今日、お義母さまがね、土用の丑の日だからって、うちの分まで、うな重を用意してくださったの」
匡久たちの住居と、両親の住居は隣同士にある。
「へえ」
匡久は、眠っている奏のベッドを覗いてから、ダイニングテーブルに着くなり、重箱を開けて言う。
「店屋物だろ。身が痩せてるよなー」
「もう。すぐそういう言い方する。おいしそうじゃない」
「でもさ。夏はウナギが売れないからって、丑の日に『う』のつくものを食べるのが良いって迷信を利用して売り出したのが、丑の日のウナギの始まりなんだよ。平賀源内だったかな。
バレンタインとかと同じで、商業戦略に乗せられてるの。
だから本当は、『う』がついてれば、牛でも梅でも何でもいいんだよ。
だいたい、夏のウナギなんて、ほんとはおいしくないんだぞ」
「また匡久さんはー。私はこれで十分おいしいです。ウナギ好きだもん」
「そうかー?」
「そうよ。それに、ウナギはビタミンAやBが豊富だから、実際に夏バテの予防にはいいんだよ」
「よく知ってるね」
「調べた。匡久さんは理屈っぽいから」
「……」
くすりと、まりえが笑う。
そこで初めて匡久は、母が、まりえの体調の優れないのを気にして、こんなお節介を焼いてくれたのかもしれない、という考えに至る。
「お義母さまがせっかく気を遣ってくださったのに、失礼よ。いつもそんな言い方ばっかりして」
「そだな」
「まあ、私のせいなんだけど」
「君のせいじゃないさ。いっぱい食べて、早く元気になってよ」
「……ありがと」
そんなときに見せる、まりえのはにかんだような笑顔が愛しい。
「でも、本当のウナギの旬はさ、秋から冬なんだよ。冬眠する前だから、いっぱい餌食べて脂がのってんの。
だから今度、秋になったらさ、そういうのを食べに行こうよ。隣のS県まで行けば、おいしいウナギ屋があるよ。きっと、もっと精がつく」
「無理しない、無理しない。仕事があるでしょ。それに、かなくんが半年になるまでは、あんまり遠くへは連れて行きたくないの」
「そうだけどなあ。でも、いつかは行こうよ。連れて行きたいな」
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