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「あーあ。だリイな。早く終わんねーかな」
ミサキは母親の目を盗んで一番近い部屋のとびらをそっと開けて誰もいないのを確認してから滑り込んだ。
お通夜の緊張感から解放されたくて、無人の部屋に入って着崩していたセーラー服のエリを緩めてから、溜まった息を吐いた彼女はその部屋をぐるりと見まわした。
へー、ここってババアの部屋だっけか?
その部屋は使い込んだ和風の部屋だった。
畳は日に焼けて色あせていたが、毎日掃除されていたのか、整理整頓された古ぼけた調度品にはほこり一つ無かった。
お、クマのぬいぐるみがあるじゃん。
その部屋には少し不釣り合いな、大きなクマのヌイグルミが窓際の棚の上にドンと置いてあった。
彼女は何気なしにそのクマのヌイグルミを両手でつかんで部屋の真ん中の主人を無くして所在なさげにしているちゃぶ台の上に置いて、モフモフしだした。
あー、おちつくなあ。やっぱりもふもふは最高だぜ。それにお日様の匂いもするじゃねえか。
これはもしかして掘り出しもんか? ババアの形見分けするなら、オレはこのヌイグルミで良いかな。
彼女は、そんなことを考えながら、そのヌイグルミに何気なく「クマ」と呼び掛けていた。
「──なんだ。誰ぞ、ワシを呼んだかの?」
へ! ぬいぐるみが喋った?
なんだ、オレ夢でも見てるんか。いや、ほっぺつねっても痛いし、これは現実か。
「おぬし、女学校の制服かわったのか?」
「ちげーよ。ウチの制服は最初からコレだぜ。オメー、なんか勘違いしてね?」
彼女は、不思議な気分ではあったが、クマのヌイグルミの質問に答えてしまう。
「言葉遣いが悪いのー。おぬしは、サヨどのではないのか?」
サヨって、たしか、ババアの名前じゃん!
こいつ、オレとババアを勘違いしてるんか。
「ちげーよ。オレは、ミサキだ。サヨって、確かオフクロの母親の名前だぜ」
「なんと、おぬしはサヨ殿の孫娘か! ワシはいったい何年寝とったんだろうのぅ」
人形は、ちゃぶ台からぴょいと飛び降りると、うーんと背伸びをしてから彼女の回りをぐるりと回りながら、彼女との会話を続けていた。
「ババアは、昨日死んじまったんだよ。なんか、前日まで元気だったらしいけど、心不全とかで朝来たら冷たくなってたんだってよ。オフクロが言ってたけどな」
「そうか、サヨ殿は先に逝ってしまわれたのか……。ところでおぬし、サヨ殿とワシの約束の件、聞いておらぬか? 実は、あまりに長く寝てたので、約束の内容を忘れてしまったのじゃ」
そう言って、照れ隠しのつもりか自分の頭をなでた。
* * *
「オフクロ、オメー、ババアがクマのヌイグルミと何か約束してたって話し聞いたことあっか?」
彼女は、祖母の部屋を出て母親たちが一休みしている場所に移動すると、先ほどの約束の件を知っているかどうか母親にそれとなく聞いてみた。
不良友達と遊び歩いて家にほとんど寄り付かなかった娘が、祖母の不幸で久しぶりに帰って来たと思ったら、突然変な質問をしてきたので、母親は一瞬不思議そうな顔をしてから娘に応えた。
「あー、そうそう、おばあちゃま、昔から大きなクマのヌイグルミ持ってたわね。本当は形見分けとかでアナタにでも渡すんだけど。あのヌイグルミ、おばあちゃまがずっと大切にしてたのよね。だから、一緒にお棺にいれてあげようかしらね」
やべーなー、約束の件の内容が分かる前にクマの奴燃やされちまうのか?
「ちげーよ、オフクロ。オレが知りてぇのは、ババアがヌイグルミと何か約束してたか、だよ。知ってんのか? 知らねえのか?」
「お母さん、セーラームーン系だったからネエ。おばあちゃまのヌイグルミには興味なかったのよね。だからおばあちゃまが、ヌイグルミに何をさせたかったなんてわかんないわよ」
なんだよ、使えねーオフクロだな。ババアはお前の実の母親だろ、おっ死(ち)ぬまえにちゃんと聞いとけよ、ったく。
ババアの遺産を全部大好きなヌイグルミに相続させるとか、だったらどーすんだよ。
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