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貴志と美夏は会社の同僚だった。新卒で入社したIT関連会社の同期だったのだ。二人は入社式の時からお互いの存在を意識していた。
美夏の凛とした佇まいが貴志の気を引いた。日を追う毎に打ち解け、距離が近くなると、美夏のおどけたり、甘えたり、時にふてくされた態度で気を引こうとする、あどけなさに惹かれた。貴志の前だけで見せる素の美香に心を鷲掴みにされたのだ。
初めは友達のような接し方だった。偶然顔を合わせた会社帰り、一緒に食事へ出かけたり、話が盛り上がって映画を観にいったり、貴志のスーツ選びに美香が付き合うなんて事もあった。
恋人同士のような甘い雰囲気にはならなかったが、お互いがお互いの事を弄り、茶化し、揚げ足を取って、テンポの良い言葉のキャッチボールを交わし最後は笑い合う。そんな関係だった。言いたい事を言い合える関係が貴志にとっては心地良かったし、美夏もそう思ってくれていると感じていた。
「ねぇ貴志、私、会社を辞めようと思っているの……」
美香がそう言ったのは富士登山をしている時だった。山小屋で一泊して山頂からご来光を眺めている時に、美香はポツリと言った。眼下に広がる雲海の彼方から、黄金色の太陽が眩いばかりの光を放ってゆっくりと浮かび上がる。肩が触れ合うほどの距離で荘厳な景色を見つめている時に美夏は言ったのだ。
貴志はその光景に感動して涙を浮かべた。だけどあまりにも突然の言葉に絶句して、溢れそうだった涙が一瞬で乾いた事を、まるで昨日の出来事の様に思い出す。
「えっ、会社を辞める?」
こんな奇跡の瞬間にそんな大切な事を言い出さなくても、と言う思いが零れそうになったが、それを飲み込んだ。
貴志は美夏の答えを待った。どうして辞めるのか、辞めて何をするのか聞きたかった。だけど沈黙の後に返ってきた言葉は、綺麗だね、という一言だけだった。
美夏は太陽に照らされて赤く染まった頬に一筋の涙を引いてそう言った。会話は成立していなかった。だけど美夏の心の中を想像したら胸の奥にキュッとした痛みが走った。
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