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 貴志は美夏の横顔を見つめて思った。昨日のお昼過ぎ、登山を開始した時からずっと、美夏はこの事を胸に秘めていたのだろうなと。  入社して五年、一人前のシステムエンジニアになってこれから重要なポジションを任される、そんなタイミングでの退職だ。相当悩んだ事だろう。どこかで言い出そうと思いながらも、言い出せなかったに違いない。  ご来光を眺めている時にポツリと言ったのは、何かが美夏の心に刺さったからかもしれない。そう思ったら目の前の美香が愛おしくなった。それと同時に、手放してはいけない人だと確信した。 「結婚しないか?」  貴志は自分の口から出てきた言葉に戸惑った。ついさっきまでそんな事、頭の中にも心の中にも無かった筈なのに、突然湧き出て急速に膨らみ、抑える間もなく飛び出してしまったのだ。  美夏も戸惑っていた。くりんとした円らな瞳がいつも以上に丸みを帯びて大きく見開かれ、それと同時に口もぱっくりと開いていた。 「貴志……」  美夏は貴志の胸に顔を埋めた。  タワーマンションの最上階、美香と暮らす部屋には沢山の写真が飾られている。その中の一枚はこの時に撮ってもらったものだ。  二人の会話を隣で聞いていた初老の男性がニヤニヤと笑っていて、その何とも言えない照れくささに耐え切れなくなった貴志が、男性に撮影をお願いした。 「おめでとう……」  小さな声で男性は言った。 「ありがとうございます」  貴志と美夏の声も小さかった。  空港から帰って来た貴志は、サイドボードの上に置かれている写真を手に取ってじっと見つめた。気が付くと目に涙が浮かんでいた。  あの頃の僕達は……  抱えきれない思い出が甦って来る。貴志は頭を振って浮かび上がる思い出に蓋を閉め、写真を元の位置に戻した。
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