2話 気まぐれの人助け

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2話 気まぐれの人助け

 ただでさえ冷たい空気が痛いほどに大気を揺さぶる。ここに温度計があったならマイナス表記の限界を突き抜けていることだろう。生き物は凍死してもおかしくない。 『ご主人様っ!』  冷気を振り撒きながら進むグラースのそばに焦った様子でキオンがやってきた。 「状況は?」 『なんか血まみれの人間が倒れています。ほとんど息がありません』 「……へえ? 懲りるということを知らないのね。本当に可哀想な生き物」 『まったくです! こんな綺麗な世界を汚すなんて、目にもの見せてあげましょう!』  グラースは人間が嫌いだった。グラースの領域を汚したのが人間だというならば、一切の情けをかけない。  血臭が一層強いその場所に赤い染みを広げながら人が倒れていた。 「……倒れていたのは、これ?」 『そうです、ご主人様』 「他に気配がないことを考えるとこの男はひとりで私の領域に来たということかしら?」 『何か引っかかりますか?』 「ええ、まあ。だけどその前に……どうしようかしら?」 『このまま領域の外に放り出してはどうでしょう?』 「そう、ね……」  言いながらグラースは目の前の人間をじっと見つめた。こんな寒空の下、満身創痍でよく生きているものである。 「こんな状態で私の領地に入り込んで生きていたことに敬意を表して、治療してから領域外へ放り出しましょうか」 『殺さないのですか?』 「今回きりの特例よ。次はないわ」 『本当にお優しいですね。お変わりなく』  そう言ったキオンに微笑んだグラースは、命の灯火が消えかけている青年へと手を伸ばす。  グラースの手が青白く発光し、青年を包むように広がった。 「……これで死にはしないはずよ」 『この後、どうするんですか?』 「ここから一番近い人間の領地はヘリオス帝国だから、私の領域とヘリオス帝国の国境にでも置いてくるわ。キオンは先に戻って、氷菓食べていていいわよ」 『わかりました。気をつけてくださいね」 「ありがとう」   キオンを見送ったグラースは呑気に気を失っている青年を浮かせ、重力操作で横抱きにし国境へと向かった。       ♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎  国境の上空でグラースは顔を顰めていた。眼下では騎士服に身を包んだ人間たちが慌ただしく動き回っている。 「ワーワーと大声で騒々しい……」  早いところ目的を達成させるため、グラースは空中へと手を翳す。途端に先ほどまで陽を覗かせていた空はその姿を隠し、ハラハラと雪が舞い散り始めた。それはすぐに視界を奪うほどの猛吹雪へと形を変える。 (この吹雪なら、大人しく巣に戻るでしょ)  そう思っている間にも地上の人々はすぐに一ヶ所へ集合すると、少し先にある国境壁の中へ入っていった。 「……やっといなくなった。さてと」  グラースは人の気配が消えたことを確認したのち、すぐ近くへと着地した。  そばにちょうど良い木を見つけたグラースは静かに男性を木の股へ下ろす。  次の瞬間にはグラースの姿はなく、降り積もった粉雪だけが微かな痕跡のように一筋の朔風と踊っていた。       ♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎  突然の吹雪により国境の関所内へと避難していた人々は驚くほどすぐに鎮まった外を見て、困惑したようにざわついている。 「あれほどの吹雪がすぐに止むなんて……」 「突然吹雪いたことも変だよな……」 「ですが、これで捜索は再開できるかと。……いかがいたしますか?」  騎士の1人が背後にいた長髪の青年へと声をかけた。濃紺の髪を後ろで縛ったその青年は切れ長のライトグリーンの瞳を細め、静かに指示を出す。 「また突然天候が変わるかもしれません。もう少し様子を見たのちに捜索を再開します。備えておいてください」 『はっ!』  指示を受けた騎士たちが一斉に動き出す。全ては数刻前から姿を見せない主を捜し出すために。  指示を飛ばした主の側近であるその青年は、つい今しがたまでの吹雪について考えていた。 (あの吹雪……あまりに突然だったな。すぐに止んだことと言い、天候を自由自在に変えられる存在など限られている。ましてやここは、あの『氷酷の魔女』との境界地)  そこまで考えて、青年の心に一抹の不安がよぎる。  『氷酷の魔女』は極めて冷酷で4災の中で最も怒らせてはならない存在だ。もし己が敬愛する主と『氷酷の魔女』が相見えることが起こっていたのならば……。  この上なく嫌な想像に、青年は半ば強制的に思考を止めた。 (まったく、ちゃんと無事でいてくださいよ……)  しばらくして、青年たちは捜索を再開した。範囲を広げて主の名を呼び続ける。  声をかけながら進んでいくと、ひとりの騎士がその姿を見つける。 「陛下! おりました!」  叫び声によりその場に人が集まる。青年は騎士たちの間を縫うようにして主に駆け寄り、抱き起こした。 「陛下、陛下!」  血まみれの衣服を纏った主への必死の呼びかけに男の瞼がかすかに揺れ、その眼が遂に開かれる。 「陛下っ……!」 「……こ、こは……」  目を覚ました主にその場にいた全員が安堵の表情で見つめる。男はしばし視線を泳がせ、状況を確認するとすぐに体を起こす。 「陛下! そのお体で動かれてはっ……!」 「心配するな、どこもおかしなとことはない」 「ですが……」 「本当になんともないんだ。……そういや、あの人はどうなった?」 「あの人……とは?」 「俺のそばに人がいただろ?」 「陛下お一人でしたが……」 「何……? おかしいな、確かにいたんだが……」 「その人物が、何か?」 「ああ、誰だか知らないが俺が今生きているのはその人のおかげだ。本当に見ていないのか?」 「はい……」 「そうか……」  少しばかり残念そうにする主に安心しながら青年は魔女の領域であるルアルの地に視線を向ける。 (……まさか、な)
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