血も肉も食べ方を知らない羊のように飢えている

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 アイリがアイスミルク、篠田はカフェオレを注文した。  ウェイトレスが背を向けると、篠田が声を低めて言う。 「別に文句つけるわけではないんですが、アイスミルクって牛乳と氷をグラスに注ぐだけですよね? それで六百円というのは、なかなかじゃないですか」 「喫茶店のアイスミルクは、家でコップに牛乳注ぐのとは違うんですよ。それを言ったら、バーのカクテルだってお酒混ぜるだけでしょう。行ったことないですけど。あ、でも牛乳パック丸見えで注ぐのはやめてほしいです。今まさにそうです。めっちゃ見えてる。スーパーにめっちゃ置いてあるやつです。というか私が家で飲んでるのと同じやつです」  そんなことを言っている間に、飲み物が運ばれてきた。  ややこしそうな二人からそそくさと離れたウェイトレスを見やってから、篠田が言う。 「そういえば、SNSに左手薬指の婚約指輪のどアップが映り込んだ写真を載せるのはやめてみませんか」 「なぜですか。いいじゃないですか、載せたいんです」 「変な輩にちょっかい出されるかもしれないじゃないですか。男よりも、女に。なに見せつけてんだ、みたいな」 「篠田さんは平気なんですか?」 「いえ。毎回、胸がキュッてなります」 「私は、篠田さんに彼女ができたとき、どんなに彼女との写真を見せつけられてもなんとも思わなかったので、その感覚がいまひとつ分からないんですよね」 「それは、アイリさんは僕に恋愛感情を抱いていないから無理からぬことですね」 「でもあの時、篠田さんが私のことを好きなんだろうなっていうのはなんとなく分かってたので、全然付き合える見込みのない私を吹っ切るために適当な女の子と交際したのが見え見えで、それはかなり嫌でした」  窓の外から、車のエンジン音が響く。歩道を行きかうカップルの会話が、かすかに聞こえる気がした。  つまりはそれくらいの静寂が、篠田とアイリの間に訪れていた。  新宿でもこの辺は、カラスとは違う鳥の声が意外に多く聞こえるものだな、とアイリがぼんやり思っていたら、ようやく篠田が口を開いた。 「……痛みを感じる動物を食べるのはかわいそうだから、っていう理由での菜食主義者の方がいるじゃないですか」 「痛覚を持つ有感生物を食べるのはやめよう、ってやつですね? よく、菜食主義者に対して『動物を食べるのはかわいそうだっていうけど植物だって生きているんだ、それを食べるのはかわいそうじゃないのか』って主張すると返ってくる反論ですよね」 「あれ、僕、分からないでもないんです。食べられる生き物自身がなんの苦痛も感じないなら、少なくとも目に見える反応を起こさない植物を食べるほうが、お互いにマシなんじゃないかっていうのは」 「はあ」 「植物も痛みを感じているって話も聞くんですけど、動物の痛覚とはまた別だと思いますし。そう考えて植物なら食べてもいいっていう、なに目線だかは分からないですけど――やっぱり神かな?――、そういう判定をくだすのは、一理あるかなと」 「まあ」 「でも痛覚や反射の有無で食べていい生物かどうかを判断するのなら、たとえばケニアの奥地あたりから、『痛覚を持たない牛』とかが発見されたら、これは食べていい生物に入るんでしょうか?」 「ヴィーガンとかだと、動物の搾取をやめようっていう主張だったりするので、牛はだめなんじゃないでしょうか。そもそも痛覚と反射に準拠して食べていいかどうかを決めるなら、麻酔を打ってしまえば反射自体なくなるわけですし」 「あと無精卵ってニワトリの月経じゃないですか。なにもしなくてもトリは勝手に卵を生んでしまう。あれを食べるのも動物への搾取なんでしょうか」 「篠田さんがそんな話を展開させてどうやってもとの話題に着地するのか不思議に思っていましたけど、もしかして単に錯乱しているだけですか?」 「もちろん現実逃避です」 「ずっとカフェオレ見下ろしながらしゃべってるから、怖いです。もっとも、篠田さんの奇行は珍しくはないですからいいんですけど」
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