夏の終わり

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 三月の雪は珍しくもなんともない北海道も、四月になるとさすがに雪も消え、五月に入ると花咲き乱れる季節がやってくる。  梅につつじに桜に水仙――本州以南ならば時間差で花開く植物が北の大地で一斉に花開き、道民たちは味付き羊肉と缶ビールを持ち寄って、花見とは名ばかりのジンギスカン宴会を繰り広げる。例年ならば、高校野球春季大会が行われるのもこの時期なのだが、今年に限っては春季大会もジンギスカン大会も行われなかった。  雪まつりに訪れた外国人観光客がもたらした新型コロナウィルスは、北海道では一度収束の気配を見せたものの、その後全国に広がり、結果、内角総理大臣が緊急事態宣言を発令するまでの事態となった。小中学校だけでなく高校までも一時休校となり、商業施設はもちろん市や道が管理する公共施設・屋外の公園までもが閉鎖になった。――普段、寝起きを共にしている家族が自宅の敷地でジンギスカンをしていても、道行く人からののしられたというのだから、もはや、集団ヒステリーとしかいいようがない。  ――今年の夏は、甲子園も南北海道大会もない。ただし、地方大会についてはまだ独自大会の可能性はある。高野連もその方向で動いているようだから、三年もそのつもりで練習を続けるように。  嫌な予感が予感ではなくなったその日、松原はあえて選手達の前でそう告げた。高野連が独自の南北海道大会を計画していても、大会で使用する円山球場は札幌市の持ち物なので、市が認めない可能性もある。不確定の大会開催の可能性をあえて口に出したのは、理不尽に甲子園を奪われた今年の三年生達にまだ野球を諦めてほしくなかったからだ。  高野連が正式に夏の甲子園の中止を決めた後、松原はひたすら電話をかけまくった。陽大苫小牧や小樽照北、北海道第一に東洋大札幌――いずれも南北海道の野球強豪校である。それなりに親しくしている監督もいれば、挨拶くらいしかしたことのない相手もいたが、車を飛ばして相手校のグラウンドで頭を下げて頼み込んだ。独自大会が開催されるのが一番望ましいが、開催できなかった時の為の保険のつもりだった。球場が借りられなければ学校のグラウンドでもいい。最後にこれらの強豪校と勝ち抜き戦ができれば、三年生に引退前の花道を用意してやれる。  松原の熱意にほだされたのか、思いは皆同じだったのか、各学校の監督は松原の案に乗ってくれた。特に陽苫と照北は感染者の多い札幌市の学校ではない為、苫小牧と小樽の市営球場を借りられる見込みがあるとのことで、ようやく少し胸を撫で下ろした矢先に――校長から呼び出しを受けた。 「――そんな、この上あいつらから、野球まで奪うと言うんですか!」  校長室に呼び出された松原に告げられた言葉。それは「練習禁止」の四文字だった。  休校期間中、野球部では寮を閉鎖していた。寮生活の選手達は親許に戻って自主練習を続けていたのだが、札幌や江別の自宅から通っている選手の為に、学校のグランドと練習場を開放していた。休校が明けた今も全体練習はほとんどできていない。遠征はもちろん、他校との練習試合さえも難しい状況なので、キャプテンの三沢と相談しながら今後の練習メニューの作成に頭を悩ませていたところだった。 「近隣住民から、複数の苦情が来ているんだ。……このコロナ禍に、北潮高校の野球部が練習をしていると」  休校期間中、教育委員会から部活動の自粛は求められたが、選手の個人練習は禁止されていない。練習の為に学校にやってくる生徒達に対し、メールやSNSや手紙や電話で複数の苦情が来ていると聞いて、正直、空いた口が塞がらなかった。  部員が飲酒や喫煙を行ったわけではない。無論、暴力事件でもなく、練習中のかけ声や足音に対する騒音苦情でもない。――まさか野球部員が野球の練習をすることが許されない時代がやってくるなんて、考えてみたこともなかった。  ――しかし、それは本当に近隣住民なのだろうか。  何しろ甲子園出場回数全国最多の高校なので、北潮といえば野球に興味のない道民であっても「ああ、あの野球の強いところか」くらいの認識は持っている。北潮高校が夏の甲子園で決勝まで勝ち進んだ時には、体育館を近隣住民にも開放して、学校関係者と住民とでメガホンを打ち鳴らし一丸となって野球部を応援してくれた。松原はその時甲子園のグラウンドで戦っていたので直接見てはいないが、近年稀に見るような高校生と地域住民との心温まる交流であったと聞いている。――あの夏から、まだたった四年しかたっていないというのに。  あんぐりと口を空いたまま固まってしまった松原に対し、校長は病の子を見るような――はっきりと憐れむような目をした。 「松原君、良くも悪くもうちの野球部が目立つということくらい、君も知っているだろう。君が他の学校に声をかけていることは知っているが、北潮高校校長として、高野連が認めた大会以外の対外試合は許さない。それで野球部に感染者を出してみろ。君に責任が取れるのか」 「しかし……これまで十代の重症者や死亡者は報告されていないはずです」  もちろん、感染対策は念には念を入れて行っている。これまで当たり前のように行っていたドリンクの回し飲みは絶対禁止とし、汗を拭くタオルも個人のものしか使用していない。外出は届け出制としてマスク・手洗・手指消毒も徹底していた。そのかいあってか、現時点で野球部員の中に発熱者や体調不良者はいないし、対策はこの先も継続して行くつもりだ。 「そういう問題ではない!このご時世に対外試合を行って、一人でも感染者を出してみろ、北潮高校全体が、コロナを出した学校として世間から叩かれることになるんだぞ!とにかく当面の間、野球部員の練習は禁止だ。独自大会が開かれなかった場合は――今年の野球部の活動は終わりだと考えたまえ」  四年前の夏、甲子園の決勝戦で負けた松原の肩を抱き、「わたしは君と野球部を誇りに思う」と告げたその同じ口で、校長は厳かに言い放った。  今年の三年生は一年生の夏に、先輩達が甲子園のグラウンドでプレーする姿を見ている。甲子園という場所が持つ独特の熱気を、歓声を肌で感じて、自分達の代もあの場所でプレーすることを目標に、高校生活のすべてを野球に捧げて来た連中ばかりだ。我々大人は既に連中から甲子園という唯一無二の夢を取り上げている。この上さらに野球までも奪って――誰にも守ってもらえなかった若者を社会に送り出すことが、世間とやらの総意なのか。  監督としてではない。教育者としてでもない。一人の人とて、三十九年生きてきて初めて、世の中を恨んだ。
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