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結局、暇な文花は向井の事務所で働く事になった。もちろん探偵の仕事ではなく、雑用作業だったが。クライアントの大部分が浮気調査の依頼でやってくる。
情緒が不安定なクライアントも多く、文花が話を聞き宥めた。文花自身が浮気された経験が豊富だ。豊富過ぎると言っていい。
なので、情緒不安定なクライアントを宥めるのは得意だった。クライアントから感謝され、果物やお菓子を貰う事も少なくなかった。
そんなある日。
ミイの旦那、浅山武がやってきた。
文花の姿を見つけると驚いていた。なんでも仕事で海外に転勤になったので、日本で世話になった人に挨拶に回っていると言った。
応接室に通し、向井と二人きりにした方が良いだろうろ思ったが、ミイの旦那は文花も同席するように頼まれた。
お茶を淹れ、応接室のテーブルに人数分置くと文花も同席した。
もちろん、浅山武は事件の真相も全て知っていた。
「妻が嫌がらせして申し訳ないです」
深々と頭を下げられた。
「旦那さん、あんたは運が悪かっただけだよ。そんな謝らなくて良いさ」
「そうよ。悪いのはミイよ」
「いえ、妻がやった事は僕の責任です」
ミイの旦那は、整った顔立ちで、スーツの着こなしも様になっている。イケメンなので、軽薄な印象も持ったが、発する言葉は一つ一つ丁寧で誠実だった。以前向井が、この旦那は不倫など出来ないと断言していた事は理解できる気がする。
「こちらこそ、うちの夫があなたの奥さんと不倫してしまって申し訳無いわ。しかもあんな事になってしまって。ごめんなさい」
犯人がわかり捕まった今は、素直にミイの死には同情する事ができた。十羽は好きな女を気を引き為に犯罪に手を染めたのだ。自分勝手極まりない。そして永遠にミイは不倫を反省する機会が奪われてしまった。
ミイに長生きしてほしいとか幸せになって欲しいという善良な気持ちはさすがに持てないが、ミイが不倫を反省する機会を奪われてしまった事は残念だった。ミイが心から罪悪感を持ち、文花に謝罪する機会はもう絶対になない。
「いえ、妻が不倫してしまうのも結局私が悪いんですよ。妻を幸せにできなかった私の責任です」
ミイの旦那は諦めや悲しみが滲んだ表情を浮かべていた。つくづくミイがこんな夫を無下にして不倫していた理由がわからない。彼女が犯した罪は軽くないと思った。殺された被害者ではあるが、少しも同情はできない。
「そうは言うけど、あんな女誰と結婚しても不倫してたんじゃないかね」
向井は若干小馬鹿にしたような口調で言い放つと、お茶に口をつけた。向井が言った事は文花も同感だった。ミイがきっと誰といても誰かを不幸にする行動をとっていたと文花は思う。
「そうね、例え私の夫と結婚してたら…あのメンタルの弱さでもって半年ぐらいじゃない?」
ミイの旦那は瞬きを繰り返し、文花の顔をじっと見ていた。
「私の夫は五十一人愛人がいたの。もう忍耐ねぇ。おかげで殺人犯と面と合わせてもそんなに怖くなかったの。すっかり夫にメンタルを鍛えられてしまったわ!」
まるで悟の境地に達したように文花は遠い目をした。十羽に対面したあの時、確かに少し緊張はしたが、不思議とさほど怖くなかった。もしあそこで十羽に殺されていたとしても夫に不倫されるよりはマシだった。今でもそう思っている。
「そう、ですか…」
浅山武は若干引き気味だった。
「そうよ、あなたの奥さんの嫌がらせはちょっとイライラしたけど、長年夫に不倫された事に比べると蚊に刺されたようなものだから。あなた、あんまり罪悪感持たないでね」
そう言って笑うと向井も声を立てずニヤニヤと笑った。
浅山武は呆気に取られていたが、犯人を捕まえた状況が気になって色々聞いてきた。
ミイの旦那はようやく笑顔を見せた。
かなり常識外れた文花と話を聞いて、少し元気になってきたようだった。
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