番外編短編・向井探偵の正義

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 文花が探偵事務所から帰ると、向井は一人で愛人ノートを読み込んだ。  文花の執着心に気を取られていたが、愛人の素性もなかなか酷かった。  不倫などをしていると倫理観がも壊れているのかもしれない。万引きや詐欺、違法薬物に手を染めている愛人が何人か出てきた。  文花はともかく不倫された事で頭がいっぱいで、それらの罪についてはスルーしているようだが犯罪は犯罪だ。  向井は愛人ノート読みながら笑いが込み上げてくる。  よく調べたものだ。  その汚い執着心を真っ当に綺麗なものの変えてやろうと向井は思った。子供の頃からよく読んでいたミステリーの探偵のように正義の為に動いても良いかもしれない。  向井はノートを片手にとある愛人の元へ向かった。  万引き常習犯の文芸雑誌編集者だが、向井の尾行には気づいていなかった。ドラッグストアで化粧品をカバンに入れようとしていた。  猫背でオドオドした女だった。二十代前半で若いが、若々しいが美人でもなかった。 「おまえ、今化粧品カバンに入れただろ」  女の手を捕まえた。 「店員さん!この女、万引きしていました!」  女はしばらく抵抗したが、店員が数人駆けつけると観念したようだった。  そんなような事をしばらく繰り返した。  麻薬を購入している所を捕らえて警察に連れて行ったり(この女はすぐ観念していたが)、パワーストーンで癌が治ると病人に売りつけている詐欺をしている女を警察に通報したりした。  不倫している女はやっぱりどこか倫理観が壊れており、犯罪に手を染めるのも抵抗が無いようだった。  文花の調査のおかげでもあるが、犯罪の証拠を見つけた時は快感だった。  また文花は調べた不倫した女の末路を調べると、家庭崩壊したり病人になったり、子供がいじめられたり散々な様だった。 もちろん金持ちの男と結婚して一見幸せそうな女もいたが、これだけの不幸な末路を見ると一時的なハリボテのような幸福なのかも知れないと思ったが。  だからといって文花は別に幸せそうではないが。  ある日、夫が週刊誌にゲス不倫作家だと報道されゲッソリとした顔でやってきた事もあった。  報道は過激で夫と不倫相手のメールの内容も暴露されている。妻である文花はブスだと罵りゲスいメール内容だった。  ネットでも炎上して、メールを流出したのは文花ではないかと叩かれていた。作家の妻Aさんとして写真も載っていたうもちろん目隠しはされているが、シルエットははっきりと写っていて、文花井の雰囲気は伝えてくる写真でもあった。 「向井さん、私どうしましょう」  やつれていて、食事もろくにとっていないようだ。  外は雨で初めて文花と会った時を思い出す。あの時のような思い詰めた緊張感が伝わってくる。 「ネットでも叩かれてて。私、メールの流出なんてしてないのに」 「そうだよなぁ。文花さんがそうしたところでメリットはないだろ」  今にも泣きそうな文花の顔を見ていると、理不尽な現状にうんざりとしてしまう。不倫している夫の本はこの炎上で売り上げが伸びているらしい。  一方妻はこの現状。なぜこんな不平等があるのか。そうイライラとしたが。 「これ、返すわ」 「あ、愛人ノートね」  向井は愛人ノートを文花に返した。しばらくずっと借りっぱなしだった。  文花はノートの中身を確認しながら眉根を寄せる。 「愛人のその後を調べてたの?向井さん」  ノートには文花の文字ではない赤い文字が書き込まれていた。赤い文字には、不倫相手がその後どうなったが詳細に書いてある。 「この愛人、逮捕されたの?万引きで。この女は詐欺、こっちは大麻…。ああ、この女は病気になってるし、子供がイジメられてるし、夫が自殺してる女も…」  文花はノートをまじまじと読みながら、だんだと冷静になってきたようだった。ほんの少しだが、思い詰めた緊張感のようなものが緩んでいた。 「因果応報かね。まあ、何にも悪い事してなくても不幸になる人間も多いが」  文花のように不倫されたり、別段悪い事をしてなくても不幸になる事はある。むしろそういったケースの方が多いかもしれない。  しかしこのノートにある女の末路は、自業自得なのかもしれない。世の中に正義などあるかはわからないし、因果応報があるのかもわからない。でもこのノートにある現実は、少しはそう思わせるのには十分だった。  もしかしたら義なる神様という存在が居るのかもしれない。そう思えてならない。 「なんか、少し元気出てきたかも。そうね、不倫なんてしてるとろくな結果にならないのかもね。だとしたら私の夫はヤバいわね。」 「ははは、その末路を見届けられるのは文花さんだけだ」 「そうね。一生夫を離さないわ。どんな終わりになるのか見届けてやるわ」  そう言って文花は笑った。  弱々しい笑みではあったが、その目には強い意思のようなものが宿っている。  肝の座った強い意思を向井は感じた。それは執着というより執念。女の執念は恐ろしい。呪い殺すなどいった力はないが、一度肝が据わると絶対に意思を曲げない強さを感じ取れた。 「向井さん、なんか私お腹すいちゃったわ」 「俺も。昼飯栄養ドリンクだけだったんだよな」 「だめよ、そんなの」 「まあ、いいいじゃん。奮発して鰻でも出前とるか」 「本当?」  文花は子供のような笑顔を見せた。  探偵事務所の応接室で、二人は黙々と鰻重を食べた。  窓の外の雨音はいつのまにか聞こえなくなっていた。
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