1♦︎ 地下へ行け

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 私は再び熱を出し、寝込むことになった。意外だったのは、ケヤキがかいがいしく世話をしてくれたこと。汗を拭き、着替えを手伝ってくれたり、小さな急須で水を飲ませてくれた。ちなみにこの小型急須は「吸いのみ」というらしく、主に病人が寝たままでも飲み物を飲めるようにした道具なのだとか。ケヤキが自分でこしらえたと言っていたが、その木材をどこから調達したのかは、聞いても教えてくれなかった。  意識がおぼろげになる中、木を彫る音を聞いた。この音を聞いていると心が落ち着く。それは、ざわついていた気持ちが冬の森のように静まり、冷気が熱をさらってくれるような感覚だった。  ──おじいちゃん。どこへ向かったの?もう会えないのかな。おじいちゃんは私の本当のおじいちゃんではないって本当?どうして秘密のままにしていたの?どうして、おじいちゃんも知らないはずの“普通の世界”を私に教えたの?  その日は、祖父の夢を見た。  まだ幼かった頃、祖父に木彫りをつくってもらったことがある。一本の薪が祖父の手によって見る間に姿を変えていく様を私は半ば興奮気味に見ていた。あたりなどはない。祖父のセンスと手先の器用さで象られていく。出来上がったのは、馬。筋肉から鬣の一本一本まで繊細に表現されていた。その出来のよさに祖父は満足げだったが、私はというと、正直不満だった。  もっと可愛いのがいい──とは言わなかった。祖父が黙々と、楽しそうに作っていたから、それを台無しにするようなことはしたくなかったのだ。しかし、そこは子ども。どうしても顔に出てしまう。  その日の夜、ベッドに入って祖父がおやすみの挨拶に来てくれるのを待っていると、後ろ手に何かを隠して祖父がやって来た。大きくてゴツゴツした手の中に隠れていたのは、可愛らしい小さな馬の木彫りだった。私のために彫り直してくれたのは明白だった。ベッドで飛び跳ねながら喜ぶ私に祖父は優しく微笑んでいた。  「──どんな夢を見てるのかな」  「・・・・・・おじいちゃん・・・?」  ひんやりしていて気持ちいい。額の熱が柔らかい手のひらに吸収されていくようだった。祖父ではない。この手は一体───ああ、彼か。覚えがある。私の掌の怪我を心配してくれた手だ。外に出ようとしたところも引き留めてくれた。そして、今も付きっきりで看病してくれている。ケヤキの手だ。でも、変だ。私と同じくらいの大きさなんて──  「・・・・・・ケヤキ・・・?」  「あ、起こしちゃった?ごめんね」  まだ熱は引いてないようだ。視界が膜をはったようにぼやけて見える。ケヤキらしき人物がこちらを覗き込んでいるが、表情がはっきりとわからない。  「もう少し寝ておいで。次に起きたら朝だから」  「・・・・・・うん・・・」  布団をかけなおし、安心させるように頭を優しく撫でてくれた。すると、急激に瞼が重くなり、深い眠りへと誘われていく。  「──だから言っただろ。黙っとけって」  「だって、すごく幸せそうな顔だったから・・・」  「病人は寝るのが仕事なの。わかったらもう邪魔すんな」  「・・・・・・わかってるってば」  ケヤキの他に誰かいる?そう思ったのと意識を手放したのは、ほぼ同時だったように思う。
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