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- ネムノキ -
静かな朝だった。こんな日はもう何度目だろう。窓の外は相変わらず赤いまま。【神の大選別】が起きる前は木々がたくさんあって、鳥たちが思い思いにさえずり、どこかから飛んできた種が淡い色の花を咲かせていた。食卓に下りると植物の絵を描いていた手をとめて、祖父が「おはよう」と言ってくれるのだ──
「・・・・・・ん、あれ・・・?」
看病に疲れてそのまま眠ってしまったのだろう。ベッドにつっぷしていたケヤキが目を覚ました。
「マゴ!おはよう!」
「・・・・・・おはよう、ケヤキ」
祖父はいない。今この家には、私とこの子、ケヤキだけだ。
「というか・・・・・・ケヤキであってる?なんか、成長したよね?」
私が記憶している彼は、まだ幼く、たどたどしい話し方に加えて、どんぐりのようなまん丸な瞳にぺたぺたした小さな手をしていた。しかし、ふとした時に、身長や掌の大きさ、単語の種類、言動の落ち着きなどといった変化を感じていた。今、私に優しく笑んでいる少年を見る限り、これまで感じていた違和感は正しかったのだと思う。
「僕は生長が早い方だから、マゴからすると違和感が大きいかもしれないね」
ぐ、と伸びをして立ち上がったケヤキは、「水を持ってくるよ」と言って部屋を出て行った。うん、初めて会った時とくらべると、この三日ほどで身長が30センチ程のびている。歩き方も背筋が真っ直ぐで堂々とした歩き方だ。見ていて気持ちが良い。間違いなく好青年になるだろう・・・・・・・・・何がどうして一体そうなっている?
思えばいろいろとおかしかった。祖父は行方知れずになるし、地下に種の保管室があるなんて気づきもしなかった。そこから持ち出したひとつの種がはじけ飛んで、かと思えば男の子が現れるし、しかもその子は私と祖父を知っていた。さらには今までの私の記憶が間違いだったと訂正され、新しい世界のインプットを余儀なくされている。子どもは急成長するし、祖父は今日も帰っていないようだし・・・ああ、そうだ。昨日の謎の人物。ケヤキは誰かと話しているようだった。外はガスが充満しているから外界からの客とは信じがたい。私の手をひっかいてきたリスのようにこの家のどこかでひっそりと暮らしていた人物だろうか?それはかなり怖い話なのだが・・・・・・あるいは、ケヤキのように種が爆ぜると瞬間移動のように現れるタイプの人なのか。
熱もすっかりさがり、落ち着いた空間にいることで頭が冴え渡って今まで起きた支離滅裂な事物への疑問が一気に湧いてきた。おじいちゃん、私どうしたらいいの・・・!
「歩くの遅い」
「走ったら水がこぼれちゃうだろ」
「お前、ドジだもんね。お前のせいでオレは寝不足だ」
「悪かったって言ってるじゃないか・・・」
部屋の外から複数の足音と話し声がする。それは次第に近づいてきて、寝室の扉を開けた。
「紹介するね、マゴ。ネムノキだよ。昨日、いろいろあって開芽したんだ」
「いろいろの部分を詳細に話せよ」
「・・・・・・・・・」
何、急に。どうして二人はそんなに険悪な雰囲気なの。
ケヤキと一緒に部屋に入ってきたのは、ケヤキより頭ひとつ背の高い女の子・・・いや、男の子?スレンダーな体躯に肩のあたりまで伸びた髪、そして眠たげだけれど目が覚めるようなピンク色の瞳──の彼は、ひどくケヤキを睨んでいる。
「あ、初めまして、私はこの家に住んでる・・・」
「あんたがプロトポルでしょ。それくらいわかるよ」
「プロトポル・・・?」
「創作者のことだよ。僕たち、創生種子を開芽させて育てる人のこと。つまりは、マゴの呼称さ」
すかさずケヤキが補足説明してくれた。ネムノキと会話をしていた時の死んだ魚のような目ではなく、いつもの輝きのある瞳だ。少しほっとする。けれど、それも束の間。
「本当に何も知らないんだ。これから世界を作り直そうってのがあんたみたいな頼りない奴で大丈夫なわけ?」
ケヤキの瞳から温度が消えた。
「マゴのことを知りもしないのに悪く言うつもり?」
ネムノキを睨めあげるケヤキが憤っていることは明白だった。一気に緊迫した空気が張り詰める。指一本でも動かせば、それが引き金となって殴り合いが起きそうな気配すら感じた。じっとりと手汗が滲む。そんな私とは対照的にネムノキは涼しい顔でケヤキを見下ろしていた。
「・・・・・・まさか。仮にもプロトポルだもん。上手に付き合わないとオレが損するでしょ」
この子は、きっと冷静な判断を下す子なんだろう。進んで喧嘩を売るタイプのように見えて、それは対象の価値を決める判断材料に過ぎないのだ。その証拠にケヤキの正義心を揺さぶるよう私を貶すような言葉を放ち、ケヤキの出方を窺っていた。あの時、ケヤキが仕返しに酷い言葉を浴びせたり、それこそ殴り合いに発展していたかもしれない。その点については、決して“争いを好まない”ケヤキに感謝したいところだ。
「マゴ、水だよ。飲んで」
「あ、ありがとう」
そういえば彼は水を注ぎにいってくれたのだった。コップを受け取り、緊張で乾ききった喉を潤す。いつもと同じ水のはずなのに、なんだかとても美味しく感じて、先行きが不安になった。
「じゃあ僕は一階に下りるね。マゴは病み上がりだからゆっくりしてて。何かあったらいつでも呼んで」
「うん。ありがとうね」
ケヤキは、柔らかく微笑むと、「いいんだよ」と私を抱きしめた。太陽の光を溜め込んだ森の香りがする。とても落ち着く匂いだ。離れるのが名残惜しい。
「ネムはどうする?」
「オレは陽が沈むまで適当に過ごす」
「わかった」
ドアが静かに閉められ、ブーツの分厚い足音が遠ざかっていく。
沈黙。部屋には私とネムノキの二人。お互い口を開かない。でも、見られてる。さっきからすっごく私、見られてる。品定めでもされているんだろうか。ケヤキ、どうしてこの子を連れて行ってくれなかったの・・・。
「ねぇ」
「! はい・・・」
どうやら品定めが終わったらしい。私はこれから、煮たり焼いたり、炙って転がして深穴にでも埋められるのだろうか。
「何から知りたい?」
「・・・・・・え?」
「おじいさんから何も聞いてないんでしょ。代わりにオレが説明してあげるよ」
「・・・・・・ほ、ほんと?」
「ホント」
彼が歩く度にコツコツと革靴のヒールが床板を跳ねる音がする。椅子に座った彼は細長い足を組み、いたずらを思いついたような笑顔を浮かべた。
「二面性があると思った?」
人は、図星だと言葉を失う。
「ふぅん・・・どうりでケヤキが懐くわけだね」
「・・・ケヤキのこと、知ってたの?」
「知る知らない以前に、あんなおバカ、ちょっと見てたらどんな奴かすぐわかるでしょ」
「お、おバカ・・・?」
「お人好し、でも確たる善悪を持っている。それ故に善人には善行を、悪人には悪行で報いる。そういうわかりやすい奴じゃん」
善悪の話はおいといて、確かにケヤキは特別にお人好しな子だ。自分より他人を迷わず選択できるような、正義の子だと思う。
「・・・・・・あんたは人の良いところしか見ないんだ」
「え?」
「二面性があるのは、オレよりケヤキの方だからね。ケヤキは性質上、周りの影響を受けやすい。あんたの育て方があいつの良し悪しを決めると言っても過言じゃない」
「私の育て方が…?」
間抜けな顔をしているであろう私を見ておもむろに立ち上がったネムノキは、これまた細くて長い人差し指を私の鼻先寸前に突き出した。
「いい?最初に言っておくけど、良いところも悪いところも全部見ておかないと、神があんたに託した争いのない世界は創れないよ」
どこにあっても一目で見つけることができるだろうピンクの瞳は宝石のように透き通っていて、いっそのこと恐怖を感じる程に美しい。
「生きている以上、どちらか一つに選択できる物事の方が珍しいんだから。大抵の奴は白黒つけずにグレーで放置するけど、プロトポルはそうはいかない。善か悪か。生かすか殺すか──そういう判断をあんたはしなきゃいけないってこと、早い内にその脳みそにたたき込んでおいた方がいい」
視界にドアやクローゼットが入ってくる。ネムノキが離れても、ずっと彼の言葉が耳の奥で反響していた。
《プロトポル》──私は本当にその役目を担ったのか。神様が消した世界を、神様が創ったとされる世界を、神様でもなんでもない、世に生まれることもなかった私が、世界を創造するという空前絶後の一瞬を。
「よし、ちょっと自覚が出てきたみたいだから本格的に説明していくよ」
そう言ってネムノキはどこにあったのか、キャスター付きの黒板を運んできて図を描き始めた。いまチョークで描いているのはこの家だ。ただの三角屋根で表現するのかと思ったら、外壁の曲線や丸窓など特徴を描き込んでいる。一言でいうが、上手だ。次に、シカやクマなどの動物たち、虫や花、地を這う匍匐系の木から天に届くような高木まで。雲の上にいるのはきっと神様だろう。最早、図ではなく、それはひとつの絵画のごとくクオリティーだ。ここまで私のために準備をしてくれるなんて・・・・・・最初は上手く付き合っていけるか不安だったけれど、存外良い子のようなので大丈夫そうだ。
ネムノキの手が止まった。いよいよ、ここ数日の私の疑問が解き明かされる──!
「・・・・・・やっぱ色ほしいな。モノクロはオレの作品じゃない」
「ちょっと待ってて、色チョーク探してくる」と部屋を出て行ったネムノキ。私も存在を知らなかった黒板を探し出してきたのだ。どこにあるのか、そもそもこの家にそんなものがあるのかわからない色チョークも、どこかしらから見つけ出してくるだろう。
だがしかし、ネムくんよ。窓から見える世界には、夕日が浮かんでいるよ。
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