ひとすくい

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   隼人がポイを構える。  今度はすぐには水に入れない。じっくりと、倫太郎の願い事の動きを観察する。  泳いでいる願い事が群れから離れて箱の壁際の水面近くに来た時、彼はサッとポイを斜めに入れた。壁際にいるため、逃げ場はない。  ──いける!    隼人も私も、そう確信した。  けれど「ぴょん」と願い事は跳ねて、水の中に戻っていった。ご丁寧に、ポイの紙を破ったうえで。 「……なんで?」  私は思わず、そう呟いた。  だって救ってほしいから、神様に願ったはずなのに。どうして拒否するかのように、逃げるんだ?  すると私の問いに応えるように、店主は言った。 「きっと、その願い事はすくう必要はない願いだったんだろうねぇ」  訳がわからず理由を聞こうとしたが、その前に店主が告げる。 「じゃあ、君の存在を貰おうか。ミナシ様も、また人の子を連れて来てくれてありがとうね」 「いえいえ」  ミナシ様もさも当然のように答えている。 「どういうこと?」  呆然とする私に、ミナシ様は言った。 「私と店主はグルだったってことよ。迷い込んだ人の子を見つけたら、こうして連れてきて存在を奪う。そうすれば、この祭りでの下働きを補充できる」 「そして連れてきてくれたお礼を、ミナシ様に渡すって寸法さ」 「……そんな」 「そもそも人の子に願い事をすくうことは、ほとんどできない。神様と違って、すくえる願い事を見極めることができなからね……隼人くんだっけ? 君みたいになるのよ」  つまり、私たちは最初から騙されていたということだ。隼人もそれに気づき、事態の深刻さに気付いたのだろう。泣いて喚き始めた。 「やだ、やだ! お願い! 俺、消えたくない!」 「大丈夫さ。死ぬわけじゃない。ある程度働いたら、自由にしてあげる……いつになるかわからないけどね。おや?」  店主が、願い事が泳ぐ箱を見て笑った。 「あはは! 一応、ここの神社内だからかな? 隼人君の『消えたくない』っていう願いが新しく泳いでいるよ」  そして店主は、私を見て言う。 「どうだい? 彼の願いをすくってあげたら? すくえたら、隼人君は帰れるよ」  ずっと隼人の掬い方を見ていたので、まだ私のポイは残っている。隼人は私に一縷(いちる)の望みを託したのだろう。 「潤、ポイは斜めに入れて水を落とすように掬うのがコツだ」  と、教えてくれた。 「わかった」  私は願い事に狙いを定めて、水面近くに来た時にポイを斜めに入れて掬い上げた。願い事は紙の上で跳ねることなく、お椀の中に入る。 「お見事!」  店主は拍手をして、私の腕前を称賛した。でも隼人は、絶望した表情で言った。 「どうして……どうして、じゃないんだ?」 「ごめんね。隼人君」    私が掬ったのは、彼の願い事じゃない──だ。  この「ひとすくい」の屋台に来て箱の中を見た時から、他の願い事に群れることなく、ずっと私をジッと見つめる願い事がいることに気づいていた。それは体調がいい時に、この神社に訪れて祈った私の願い。    ──病気が治って、長く生きられますように。    両親はハッキリと言わなかったが、入退院を繰り返す私は何となく「長くは生きられないのでは?」と、感じていた。  それが確信となったのは、深夜に泣いている母の姿を見た時だ。 「何であの子は長く生きられないの? 持ってあと数年の命なんて」  そう言って泣き続ける母を、父は慰めていた。でも両親は私の前では、そんな素振りを全く見せなかった。だが時々、朝に母の顔を見ると目元が腫れていることがあるのに気づくようになった。  だから願ったのだ。母のため、父のため、そして私のために──長く生きたいと。 「隼人君を助けたいとは思ったよ。それは本当」  彼の願い事を掬おうか、一瞬迷った。  でも元はと言えば私が止めたのにも関わらず、彼が二回目の挑戦をしたのが原因だ。だったら、自分の願いを優先したとしても文句を言われる筋合いはないはず。 「潤君も自分の存在を賭けて、もう一回やるかい?」 「やらない」 「そうか」  店主は残念そうにしていたが、私の願いはもう叶ったのだ。やる必要はない。 「……潤」  縋るように、私の名前を呼ぶ隼人に言った。 「次に『ひとすくい』をやる機会があったら、絶対隼人君をすくうから」 「本当?」 「うん」 「約束だからな」  彼のその言葉を最後に、私の記憶は途切れている。気づけば私は祭りから帰っていて、家の布団で寝ていた。  翌日、隼人のことを周りに尋ねたが、皆一様にこう言った。 「『隼人君』って、誰?」  倫太郎にも聞いたが、「そんな奴知らない」と一点張り。そんな倫太郎の父親だが、無事に目を覚まして元気になった。  もしかしたら店主の言う「すくう必要がない」という言葉は、「すくって叶えなくても、自力でどうにかなるから」という意味だったんじゃないか。そう後に、私は気がついた。  だから、あの願い事はポイの上であんなに抵抗したのだ。  隼人の両親も忘れていた……いや、あれは元々知らないという態度だった。彼の痕跡は、この世のどこにも残っていなかった。そのうち私も、「隼人」という存在は幻だったんじゃないかと思うようになった。    でも倫太郎の父親はともかく、私が罹っていた難病は完治し、大人になった今でも元気である。「信じられない。奇跡としか言いようがない」と、主治医は言っていた。  なら、やはりあのお祭りも、ひとすくいも、隼人も現実にあったことなのだろう。けれど私はあれ以来、神様のお祭りに行くことはできなかった。  ミナシ様の言っていた「七つまでは神のうち」という言葉。つまり、あの祭りにたどり着ける条件は、七歳までの子供だったのかもしれない。  そう、私は結論付けた。
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