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sideモンド
***
「お前は、本当に愚かだったんだな」
父上のこの一言の意味を、当時の俺は何も理解していなかった。寧ろ、“王命”で婚約が解消された事すら喜ばしいと思ってしまった。
父上と友人だった伯爵の娘であるカレドア。彼女に初めて会った時、不思議と親近感が湧いた。後から考えれば、第二王女殿下と見た目がよく似ていたから、だった。見た目は似ているけれど性格は正反対。
穏和で静かなカレドア。明るくてお喋りな第二王女殿下。
カレドアと婚約する前に、第二王女殿下には出会っていたから、カレドアと会う度に比べていたのは確か。第二王女殿下の明るさやお喋りな所が良かったんだ。俺は口下手だったから。話題を探さなくても次々と話題を提供してくれる第二王女殿下の方が一緒に居て心地良かった。
だから、婚約して初めての王家でのお茶会にカレドアをエスコートしておいて、俺は彼女を放置していた事、全く罪悪感なんて無かった。それからもカレドアより第二王女殿下……ニーア様を優先していた。ニーア様のお名前を呼ぶ事を許されて、有頂天になっていた。その上、好きだ、なんて言われれば余計に。
だから俺も好きだと答えて、でも、婚約者が居る、と言えば、そんなのどうにかなる、というニーア様の言葉を聞いて、ただ待っていた。そうして、婚約が解消されて、めでたく俺とニーア様は婚約した。
その時に父上に言われた。愚かだったんだな、と。
侯爵夫人には伯爵令嬢より王女の方が良いだろうって思っていたから、変な父上だ、と思ってた。
元婚約者のカレドアからのデートの誘いは、無視した。
だって、もう関係ないんだからさ。
そう思っていたのに。ニーア様との婚約の時に交わした契約書には、今後一切、ニーア様のお名前は呼べない、とあった。しかも身分は第二王女殿下ではなく、伯爵令嬢だ、と。どういうことか、と契約書を読み進めていくと。
カレドアとニーア様の立場を交換している、という事が解った。
この時、俺は気付けば良かった。
何故、2人の立場を交換出来るのか。
ということに。
国王陛下の命令なのは理解出来る。その裏に気付くべきだった。だけど、苦い顔をした父上の気持ちにも全く気付かず、俺はニーア様を今度からカレドアと呼ばないといけないのか。そんな気持ちしか無かった。
名前を立場を人を入れ替える事の重さを、理解出来る程、俺は大人では無かった。
その重みを知るのは、ニーア様が婚約者として俺の屋敷に来るようになってから。最初は何でも口にして色々と言うニーア様を愛らしい、と思っていたのだが。
ある日のお茶会で俺が少しだけ席を外した時のこと。ちょうど部屋に、ニーア様に見せたい物が有って取りに行っていたのだが、俺の家で行われていたお茶会の場所は、俺の部屋の真下の庭で。ちょっとしたイタズラ心で窓を開けて、上からニーア様を呼ぼうとした。
「ちょっと! 何よ、このお茶! 熱すぎるわよ! 私が火傷しても良いと言うのっ」
「で、ですが、カレドア様が、前回のお茶会では温いと仰っていらしたので、少し熱めに、と」
「はぁ⁉︎ 私の所為だとでも言うの! 前回は前回、今日は今日よ! ああもう、大体私はカレドアなんかじゃないわよ! もう! お父様ってばいくらなんでも、私とあの女の名前まで入れ替えなくても良いのに! あー、イライラする! お前、ちょっとこっちに来なさいっ。私に口答えするなんて生意気よっ」
あまりにも酷い言葉の数々に、それがニーア様の声だと理解出来ても、状況を理解したくなかった。侍女が口答えをした、と言い掛かりを付けたニーア様。俺は何をするのか、と窓から下を覗き込むと、熱いと言っていた茶を侍女の頭からかけていた。
「あ、熱いっ」
「そうよ! こんなに熱いのよ! それなのに私に飲ませようなんて失礼しちゃうわ! 私がモンドと結婚する時にアンタが居たら、クビにしてやるから!」
なんて事だ……。我が家の侍女に、茶をかけるなんて……。ニーア様の侍女だったとしても、許される事なんかじゃない。
「あーあ! モンドも冴えないから、侯爵家の使用人まで冴えないのかしら! まぁ身分的には問題無いし、金も有る家だから我慢してあげるけど。他の侯爵家の釣り合いが取れていれば、そっちが良かったわぁ。エルノ様なんか、私好みなのにね! さすがに既婚者の妻を追い出して後妻に入るのは、お父様から反対されちゃったから。ちょうど良いのがモンドしか居なかったのが、私の不幸よねぇ」
なんて酷い……。エルノ様は俺の8歳上のお方で既に侯爵位を継ぎ、奥方とも仲睦まじいと聞く。とても見目の良い方で。俺も決して悪くないはずだが、エルノ様には勝てない。それにしても、なんという酷い態度。これがこの方の本性なのか、と足元が崩れるような気がした。
何故、父上が愚かだった、と俺に言ってきたのか解った。考えてみれば、婚約者が居るのを知っているのに、ニーア様は俺と親密な距離だった。側から見れば不貞だ。王女殿下が不貞を働いている。
表立って言う者は居なくても、周りから少しずつ指摘も受けていたじゃないか。
明るくお喋り。裏を返せば、お淑やかであることが好まれる淑女とはかけ離れている。明るいのは良い事だ。だが思っている事を全て口にしても許されるのは、5歳くらいまで。王族や上位の貴族家の子ならば、そういう教育を受けさせられるはずじゃないか。何故なら足元を掬われるから。
つまり、ニーア様は、そんな貴族教育を受けていない事になる。若しくは受けても覚えていない、ということ。
この婚約は“王命”だから、解消も破棄も出来ない。もう一度、カレドアとニーア様を入れ替えるくらいしか……。
そこまで考えてハッとした。
カレドアは、ニーア様と入れ替わった。ということは、カレドアの名前を捨てて第二王女殿下として生きることになる。彼女は……そんな暮らしを無理矢理与えられた。
俺が愚かな所為で。
……それから暫くして、ニーア王女殿下と、隣国の王太子殿下の婚約が発表された。カレドアは、ニーア様として隣国の王太子妃に、なれると言うのだろうか。それは隣国を騙しているということになるのでは……。
俺は、その恐ろしさに身体を震わせる。
だが、俺に出来る事は無いのだ。
出来る事は、ニーア様をカレドアとして生きさせるために、その尻拭いをしていく人生。
俺は。愚か。彼女に謝る事すら出来ない、愚か者。この後悔を抱えたまま、生きていくしかない。
sideノティス
***
この日を待っていた。ずっと、ずっと。
「王太子殿下、はじめまして。ニーア、と申します」
顔にも出さず、声も震えていない。カーテシーも王族使用で完璧だ。ただ、若干指先が震えているのが失敗かな。まぁこれくらいは大目に見るよ。やっと、君が僕の所に来るのだからさ。
「はじめまして、ニーア王女殿下。私はノティス。ノティスと呼んでくれるかい?」
「はい、ノティス様」
顔を上げた彼女は、本物のニーアなんかよりよっぽど王女らしくて、凛としていて、嫋やかだ。やっぱり彼女が婚約者になるよう手を回して良かった。
「本日は、よろしくね」
「こちらこそ宜しくお願い致しますわ」
彼女にとっては2度目の婚約締結日。
彼女が“王命”で婚約を解消してから2年が過ぎている。僕は15歳。彼女は14歳。本当ならば、病弱なニーアとの婚約はもっと早い予定だった。でも、僕が提案したんだ。病弱ならば治ってから婚約しましょう、と。
僕の国では成人は16歳。それまでに僕に婚約者が居ないと、王太子妃の座を狙う国内外の令嬢や王女達の争いが激化することは理解していた。一応、表向きは隣国との友好関係のため、という事で、何処からの打診も僕と父上はのらりくらりと交わしていた。
聡明な彼女なら、僕が16歳になるまでに、かなり王女としての振る舞いを身につけられるだろう、そう思っていたけれど。彼女と婚約者との婚約を失くすのは、もっと早いと思っていたんだよね。まさか王命を出さないと、解消出来ないとは思ってもいなかった。どうやら彼女は、あの婚約者が好きだったらしい。なんかイライラする。
まぁ良い。こうして、ようやく彼女と婚約出来たから。もちろん僕は破棄も解消もしないよ。だって僕の妻は彼女しか居ないからね。一目惚れなんだ。
「あの、ノティス様」
「なに?」
「少々お話したい事がございまして」
僕にはその内容が直ぐに理解出来た。彼女は、自分がニーアの身代わりだと話すつもりなのだろう。
「いいよ。君達は少し下がって」
僕や彼女の護衛や侍女達を声が聞こえない程度に下げる。謝意を表してくれた彼女は、ただならぬ決意の表れのような顔で僕を見た。……ああ、彼女の目に僕が映っているのが、こんなにも嬉しいなんて。
そんな事を考えている僕に、意を決した彼女は、全てを打ち明けて来た。黙っていたっていいのに。そして、彼女は僕に罰を受けます、とも言った。
ふふ。知ってるよ、カレドア。君とニーアが立場も名前も入れ替えたなんて。ーーだって、僕が手を回したのだから。
「罰は与えないよ。もちろん、本来なら騙された事を憂いて怒るべきだけどね。下手に怒って友好関係を壊したら、戦争が起きる可能性が高い。でもね、私は自国もこの国も戦地にしたくない。だから、君……カレドアだったね? カレドアには悪いけど、このままニーア王女として生きてもらいたい」
尤もらしい事を口にして、この秘密を隠そうと告げる。きっと君ならば安心するから、生涯僕に尽くそうとする。他の男を見ることなんて無く、ね。
「ノティス様……」
ほら、目を潤ませて僕に感謝の意を込めた表情を浮かばせる。これでまた一つ、君が僕から離れない鎖が出来た。一つずつ君は僕に囚われていくんだ。強固な鎖を君から渡して来たんだから、仕方ないよね。
「ニーア、という名前だと君は嫌でしょう? だって君の婚約者を奪った女の名前だものね。でも、カレドアの名を呼んであげるわけにはいかない。だからね? 僕の国では幼少期と成人してからだと名前が変わるから、君が僕と結婚した時に、新しい名前を付けてみない?」
僕の国では、幼少期に病に罹り亡くなる子が多かった時がある。だから生き残った者の名前を子どもに付ける親が多い。そして成人すると、もう病に罹らないだろう、と判断されるから、新しい名前を付ける風習がある。もうその病の特効薬は有るけど、風習は変わらない。
カレドアは聡明だから、僕の国のマナーも言語も風習も地形も沢山吸収している、と叔母上……この国の王妃から手紙をもらっている。だからこの話をすんなりと受け入れた。
ふふ。
これでまた、君は僕から逃げられないね?
そんな事を考えながら、出会った時を思い出す。
本物のニーアに婚約者や友人を作るためのお茶会、というやつに僕も変装して紛れ込んでいた。だって僕の婚約者になる予定の第一王女と第二王女。見ておきたいと思うだろう?
第一王女には既に婚約者が内定していたから、ニーアになる可能性が高いのも知ってた。それなのに、あの茶会、最悪だよね。ニーアの母である第二側妃主催なのに、主催者としてお茶会をスムーズに進行させられないし、ニーアは礼儀も作法も何もない。挨拶一つ出来ないし、知識も無いから会話も噛み合わないし、とにかく最悪。
しかも、どうやら婚約者と来ている男を自分の男のように連れ歩くしずっとそいつにべったりだし。こんな王女を妻になんか出来ないって思ってた。男の婚約者は、どうしたのかな。なんて考えてハッとした。見た目がニーアに良く似た令嬢で。王女は2人しか居ないはずなのに、と。男に放って置かれて寂しそうな目も惹かれた。
滞在中に調べてみれば、王家から降嫁した曾祖母を持ち、ニーアとも血が繋がっている令嬢。婚約者の事を好きらしい。
でも、あんな不誠実なやつ、直ぐに婚約を解消するか破棄するだろう。特に政略的な思惑も無さそうだし。婚約が解消か破棄になったら、彼女を正妃にしよう。ニーアみたいな傲慢でマナーも挨拶も知識も何もかも無い女を妻になんかしたくないし。カレドア嬢が王家の血を引いているなら、友好関係に影響もしないだろう。なんだったら叔母上にでもお願いして養女にしてもらえば良い。
そう思ってのんびりしていたら、婚約はずっとそのまま続いている。
これにはさすがの僕も焦った。このままじゃ、ニーアなんかを正妃にしなくちゃいけなくなる。あんなのを妻にしたら恥どころか、我が国が他国から嗤われるだけだ。
そんなわけで、僕は叔母上にニーアとカレドアの入れ替わりを提案した。入れ替わりにしたのは、ちっとも婚約を解消しないカレドアへの意趣返しさ。君が知ったら意地悪だと言うだろうか? 酷い人だと詰るだろうか? でも、生憎僕は君を手放す気は無い。
君を手にするために、こんな大掛かりな事を叔母上と結託して行ったからね。あの国王と第二側妃は、自分達の計画とでも思っているだろうけど、そんなわけないよね。国王は第二側妃と出会ってからは、みるみるうちに国王として堕落したよね。
だから叔母上には、この計画が上手くいったら、国王と第二側妃を幽閉させて後々病死させる手筈を手伝うよ? って打診した。叔母上も国王に愛想を尽かしてたし、ニーアなんかを母国の王妃にさせられないって乗り気になってくれた。あ、もちろん父上はご存知だよ。妹である叔母上の事も大切な父上だし、即頷いてくれた。後は君の知っての通りだね。
まぁそんなわけで、カレドア。君は僕のものさ。
でも。後悔させないくらい、君を幸せにする。それだけは約束するよ。
「ねぇ、カレドア」
「はい、ノティス様」
「君はニーア王女の代理とか考えているかもしれないけど。僕は君と信頼と愛を築きたいと思う。どうかな?」
君は驚いたような表情を一瞬浮かべる。可愛いけれど、淑女は表情に出してはダメだよ?
「はい。よろしくお願いします」
少し嬉しそうに笑って、君が頭を下げた。
うん。僕も初恋が叶って嬉しいよ。
「では、先ずは婚約者としての時間を楽しもう? 僕達の結婚は、あまり急がなくても大丈夫。まだ僕も15歳だし。君も14歳でしょう? 父上はまだまだ元気だし、2年か3年くらい先でも大丈夫だから、婚約者として距離を縮めていこうね」
「はい、ノティス様。……わたくし、ノティス様がこんなに優しい方で嬉しいです」
そう言ってくれるけど、僕は腹黒って言われてるし、誰にでも優しくもない。それに僕の想いは結構重たいよ? 初恋だしね。まぁそれはこれから知ってもらうとして。
「じゃあ、先ずは君の新しい名前を一緒に考えようか」
(了)
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