ジャスミンハイと音楽の夜

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 誰かと約束する元気はなくても、そのまま家に帰りたくない夜もある。  理由は言葉にできないけれど、心がまだ今日を終わらせたくないと訴える。  どこかほどよい場所で心地よい時間を過ごしたい。  仕事帰りのそんな日に、時々立ち寄る店がある。  そこは学生街で、駅前から大学へと続く賑やかな商店街にある、美容室の2階。  下からは何があるのかよくわからない、隠れ家的なカフェ&バーで、ゆっくり落ち着ける雰囲気が気に入っていた。  食事も充実して、私の定番は日替わりのおつまみ三点盛りとジャスミンハイ。  一杯だけで長居はしない。  職場とも家とも違う場所で、ほんのひと時、自分と対話する時間が欲しいだけなのだから。  ここに来ると決まって思い出す、学生の頃によく通っていたバーがある。  下北沢の住宅地へ通じる路地にひっそりと存在していて、おしゃれすぎず寛げる空気感みたいなところが共通しているのかもしれない。  といってもずい分昔のことだから、記憶は曖昧だ。よくある20代前半の何でもない日々。  あの頃の出来事が、ぽつりぽつりと断片的に蘇ってくる。    ほの暗い照明に、アルコールとかすかなタバコの匂い。  恋と友情とそれに似た何か。  時間と心を持て余した若者たちと、寂しがり屋の大人たち。  そのバーのオーナーは当時30歳ぐらいで、私のタイプではなかったけどかなりモテていた記憶がある。  彼は個性的、というかとにかく自由な人物で、暇になると客席に座ってお酒を飲みながらゲームをしていた。客として紛れているものだから、急にお客さんに話しかけて不信がられていたなと思い出す。  疲れると店内にかけてあるハンモックで寝ていたし、人手が足りない時には道端で人が良さそうな人を見つけて、店のお酒を飲み放題と引き換えに皿洗いをお願いしたりしていた。  そんな感じにとにかく人が好きで、バーとは人と人の出会いの場という信念を持っている人だったから、カウンターでひっそりと読書なんてさせてもらえない。  独自のセンサーで、波長が合うだろうとと思う常連さん同士を紹介することもしょっちゅうで、自然に人とつながりたい人が大勢集まってくるバーになり、行けば誰かしら知り合いがいるという状況が出来上がっていた。  独り静かに飲みたい人には全く向かない店なのだ。  リアルよりSNSに繋がりを求める人が多くなっても、鬱陶しいほどに人と繋がる場所もなくなることはない。    このバーには自家製のお酒がいくつかあった。  私のお気に入りは、季節限定の自家製ジャスミンティーで焼酎を割ったジャスミンハイ。  店の裏庭のジャスミンが咲くのは夏の夜だけ。  ジャスミンハイはいつだって飲めるけど、私にとっては夏の夜の記憶と結びついている。  そのバーでバイトのリーダー的な存在だったのが礼くんだ。  自由すぎるオーナーの元、彼は実務において大変頼れる人物だった。  誰が誰と知り合いで、あの子とあの子は同じ人を好きだとかいう人間関係から、きれそうなお酒の発注まで受け持っていた。  彼は素敵な声の持ち主で、彼の「いらっしゃいませ」は自分の家に帰ってきたような安心感があった。あえて誰も口には出さなかったけど、みんな彼の声のファンだったのだ。   私が通っていた頃、よく店で会っていた気の合う仲間のひとりに、ナナちゃんという大学生の女の子がいた。  しゃきしゃきした関西弁で場を明るくしてくれる彼女の周りには、いつも性別、年齢問わず人が集まっていた。人の輪のスポットライトみたいで、どちらかというと地味で聞き役に徹する私には、とても眩しい存在だったのだ。  うるうるした瞳とか素敵な声とか、チャームポイントはたくさんあったけど、個人的に私が大好きだったのは、彼女のまあるいおでこ。いつもは前髪を降ろしているのだけど、時おり前髪がちょっと伸びすぎたとか寝ぐせが治らないとかであげていることがあって、私はそんな彼女に会うと何だか得したような気分になった。  学生も大勢通っていたけど、他にも美容師さん、弁護士さん、お医者さん、アプリを作っていた人、百貨店の靴売り場の販売員さん、さまざまな属性の人がいた。  多くの思い出の中で、特に印象に残っている夜がある。  オーナーが音楽好きだったこともあって、そのバーにはよくバンドマンたちが集まっていた。  若手のおそらくあまりお金を持っていないだろうと思われる彼らの打ち上げを、飲み放題千円とかで受けていることもよくあった。 「あいつらが売れたら、インタビューで俺のこと恩人みたいな感じで紹介してもらう」なんてよく言っていて、時々小規模なライブも開いていた。  バーの閉店時間は一応1時となっていたけれど、お客さんが帰らなければ始発まで開いていた。  終電近くになると、翌日の仕事やら学校のためにきちんと眠ろうという人たちが徐々に帰っていく。   その後に残るのは、徒歩圏内に住んでいる人。  それから、よくわからない心のもやもやを聞いてもらい足りない人。  とにかく嫌なことがあって独りになりたくない人。  オーナーもしくは礼くんに恋しているので、他の客が帰って二人きりになるまで粘ろうという人。  そのある夏の夜も、そんな人たちが残っていた。  話の中心になっていたのは、社会人一年生の茜ちゃんだった。    どうやら学生の頃から付き合っていた2つ年下の彼とお別れしたらしい。  輪のすみっこで話を聞いていた私は詳しい経緯までは分からなかったけど、ざっくり言うとよくある環境の変化というものらしい。 「普通、捨てるのは社会に先に出た私のほうじゃないの。なんで私が振られるの」  なんて、論点がずれている気もしたけど、こういうときは、とにかく何でもいいから感情を吐き出してしまいたいものだ。  お店での話題は本当にいろいろだったけど、印象に残っているのはやっぱり恋愛の悩み。  お客さん同士で付き合い始めて、別れるカップルもいればそのまま結婚したカップルもいた。  そいえば結婚式に呼ばれたこともあった。  別れ話の間に立ってしまい、何故か自分が一番疲弊してしまったということも……。    三姉妹で中学から大学まで女の子に囲まれてきた私は、男の人がどんな思考回路を持っているかなんて全く理解していなかったから、随分と勉強させてもらったなと思っている。  もちろん今だって分からないことの方がずっと多いのだけど。  ちょっと話がそれてしまったけど、その夜に茜ちゃんを救ったのは、常連の一人だったバンドマンのハルトくんだった。  彼はヴォーカル兼ギターで曲作りも担当していて、下北沢のライブハウスなんかはすぐに満員にしてしまうくらいの、音楽好きな人たちにはよく知られているバンドの中心的な存在だった。  彼の表現するやさしくてちょっと切ない世界観と声は、お店に通っていた他のたくさんのバンドマンたちの中では、私の一番のお気に入りだった。  私はバンドマンというのは近づかない方がよい人種だと思っていた。  実際、さっきまで一緒にいてべたべたくっついていた女の子を駅まで送っていったと思ったら別の女の子を呼んでくる、なんて場面や、パートナーがいていつも幸せアピールしてるくせに、 「今からくる女の子を口説きたいから俺のいいところ何か言って」なんて頼まれることも、数えきれないくらいあった。  彼氏にしたくない“3B”なんていう言葉は今もあるのだろうか。  “バンドマン”と“美容師”と“バーテンダー”。     「茜ちゃんの好きな歌って何?」  それは、オーナーの一言から唐突に始まった。  茜ちゃんが口にした曲名は覚えていない。だけど、その時の空気感みたいなのは今もリアルに思い出すことができる。 「ハルト、弾いて!」  プロのミュージシャンに対して何ともあつかましいお願いだと思ったけど、ハルト君は「知らない」と言いながらも、スマホにコードのようなものを表示させて、ギターをポロポロと鳴らし始めたのだ。  彼の奏でるメロディにあわせて、茜ちゃんが歌い始める。  ハルトくんにしてみれば初めて弾く、完璧じゃない演奏は不本意だったかもしれないけど、そのメロディはとてもきれいで、茜ちゃんは、時おり目に涙を溜めながら歌っているようにも見えた。  その後、礼くんも、ナナちゃんも、積極的に「私も!」と手を上げる人たちがひと通り満足した後に私も、自分の歌いたい(歌える)歌をリクエストして、みんなで歌った。    私はカラオケは苦手だけど、その時はマイクなんてないから、会話の延長みたいな感じで気楽に歌えたし、他の誰かも一緒に歌ってくれるから恥ずかしさもなかった。  とりたてて歌がうまいわけではない私たちのために、プロのハルトくんがギターを弾き続けてくれたことは、すごいことだなと思う。  音楽が目の前の女の子を癒していたことを、嬉しく思っていてくれたならいいな、と考えていた。  いろんな属性の私たちが同じ音楽を共有して、それぞれの感情が同じ空間で混ざり合う。  楽しい夜だった。    始発の時間になり、みんな眩しい陽の光に眠い目をこすりながら、それぞれの家へ帰っていった。  眠気や疲れさえ、幸福の余韻のようだった。  身体はだるくて、各々がこれから仕事とかバイトとか学校とかありえない、と思いながらも、夜を回想する心地よさに浸っていた。  その後、私は就職して別の遠くの街に引っ越したので、そのバーに通うことはなくなってしまった。  礼くんやナナちゃんや茜ちゃんたちと連絡をとることもない。  ハルトくんは時々テレビで見るけれど。  彼らとはあの場所があるから同じ時間を過ごしたのであって、他で会うことはなかった。   でも、私はあの夏の夜を思い出すと、どうしようもなく温かい気持ちが胸に溢れてくるのだ。  みっともなくてくだらない、でも夏の浜辺の、波に翻弄され太陽に反射する砂粒のような、ちらちらときらめく一瞬。  それを共有した仲間たちがどこかで時には悩みながらも楽しく暮らしている。  彼らがこの世界に存在している。  それはとても幸福なことだと思うから。  私はジャスミンハイとともに、そのことを思い出す。
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