宵山Opening Night

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2  さて、話を始めたいと思うっスけど、その前に一つ質問を……。皆さん、「方相氏(ほうそうし)」ってご存知っスか? 「物を包む紙のことでしょ」って、伊佐里クン、予想通りのボケをありがとう。それは「包装紙」っスね。  説明が難しいんでざっくり言っちゃうと、「追儺(ついな)」っていう厄除けの儀式があるんスよ。大晦日や節分の日に行われて、鬼を払うっていう。ウチは神社なんで毎年、その儀式をやるんスけど、その時に鬼を祓う神様の格好をするんスよ。金色の四つ目の面を被って、黒い衣装を着て、矛と盾を持って打ち付けながら「鬼やろう!」って叫ぶ。その神様が「方相氏」っス。  で、俺の家系は爺ちゃんの代から、この方相氏の役割を担っているらしいっスね。勿論、俺の親父も方相氏でした。毎年、方相氏として堂々としている親父の姿に小さい頃から俺は憧れてたっス。将来は親父みたいな方相氏になるって、小学生の時に作文で発表したこともあったっスね。  ただ、幼い頃の夢って……。いや、幼い頃に限らず、長年抱いていた夢とか願望って叶わないことの方が多いっスよね。俺はその事を高校入学と同時に思い知ったっス。  俺には一つ年上の兄貴が居るんスよ。出来が悪くてガサツな俺とは違って、学校の成績もトップでスポーツ万能で剣道部の主将をやってる。何処に出しても恥ずかしくない完璧兄貴っス。ただ、俺には厳しかったっスけどね。何となくだけど、自分が兄貴から見下されてるって事は感じてたっス。  でも、俺には唯一兄貴に勝ってる事があって、それが「神社への貢献度」。俺は小学校の頃から中学時代まで、ずっとウチの神社の手伝いを優先してたっス。放課後は友達と遊びに行くこともなく、部活動に精を出す訳でもなく、真っ直ぐに家に帰って境内の掃き掃除とか、お客さんにおみくじやお守りを渡したり、朝から晩まで神社の仕事を手伝ってたっス。大変だなんて思った事はないっスね。神社の為に働けるのは嬉しかったし、ここで頑張れば将来は親父の跡を継いで方相氏になれるかもしれないって本気で思ってたっスから……。一方で兄貴は学校とか部活動ばっかで神社の仕事には一切興味を示さなかったっスからね。勉強や運動では譲っても良いけど、方相氏の役だけは兄貴には譲れないって心底、思ってたっスからね。    何故、「思ってた」なのかって? 鋭いっスね。  結論から言うと、俺は方相氏にはなれなかった。親父は兄貴にその役割を継がせたんスよ。それを俺は高校の入学と同じ時期に突然、知らされたっス。  そりゃあ、最初は納得いかなかったっスよ。必死になって親父を問い詰めた。でも、親父は 「あれは格式ある行事だ。お前みたいな奴に継がせるのは不安でしかない。お前が憎いわけじゃない。お前は兄と違って必死に神社に尽くしてくれた。だが、兄の方が優秀だ。性格は良いが使えない人間と性格は悪いが優秀な奴が居たとして、後者が必要とされる場合もある。間違いがあってはならない儀式においては、優秀な人間の方が必要なのだ」 と言って、あとは何を言っても聞き入れてくれなかったっス。あの時、俺と兄貴は親父に和室に呼ばれて同時に知らされたんスけど、あの時の兄貴が俺を見た時の目は思い出すと腸が煮えくり返るっス。憐れむような、蔑むような眼差し……。兄貴に殴りかかりたい衝動を必死に堪えたっス。  そっからっスね。俺がグレたのは。高校入学してからは神社の手伝いはさっぱりしなくなった。というより、家や神社にまるっきり近付かなくなったんスよ。新入生歓迎会で見かけて面白そうだった軽音部に入部して、そこで知り合った友達の家とかを渡り歩いてギター三昧でしたね。エレキギターは長年、神社を手伝ってた時の小遣いがあったので、この機会にバーンと買ったっス。  家にあまり帰らなくなった事は両親や兄からは何にも言われなかったっスね。たまに帰っても、親父もお袋も何も言わずに飯だけ出してくれて、兄貴からは「あぁ、居たのか。居ても居なくてもどうでもいいから気づかなかった」みたいな嫌味を言われるだけでした。本当は説教でも良い。何か話しかけて欲しかったって気持ちがあったっスけど、家の雰囲気がそんな感じだったんでますます俺は家に帰らなくなったんスよね。友達とライブハウスやカラオケ行ったり、夜の京都の街を遊び歩いてたっス。たまに路上でライブやってたっスね。  高校入学から数週間くらい、そんな日々を過ごしてたんスけどね。四条河原町の路上でいつもみたいにライブしてる時、俺はある人と出会ったっス。  
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