飛んで火に入る

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 とぼとぼと、いつも通り、代わり映えのしない道を歩く。道なりのコンビニは三件。今日は一番公園に近い青い看板の店に寄るつもりだ。  仕事帰りとわかる固めの鞄を肩にかけ、いつも決まった商品だけを、この時期だけに買いに来ているともなれば店員に認識されることも多々あるだろう。  でも、私は買わずにはいられない。あなたに会うための手段をそれしか知らないからだ。  ――線香花火が消えるまで、待っていてあげる。  そう言ってあなたは去って行った。あの夜から十年が経ったというのに、まだ私はあなたを待っている。あの一言がなければ、私は、こうして夏の間じゅうずっと、同じことなどしていないだろう。  店頭に花火が並び出す頃、私はあの人との約束を思い出す。いつも通りの日常を重ねながら、あなたの影を探している。  日々の雑事から解き放たれることもない。ただひたすらに、私は待っているのだ。  そう。  いつもそうしている。  そうしているから、私は、忘れられないのだ。  最近ではセルフレジも増えた。私は店員が控えめなあくびをしているのを見て、セルフの方で会計を済ませ、手早く鞄の中に放り込む。  今日は栄養ドリンクと花火。奮発したと思う。  メロディと共に開く自動ドアに映り込んだ私の姿は、まるであなたのように見えた。  けれどあなたはどこにも居ない。  似るかと思って伸ばした髪も、ずいぶんと痛んでしまった。サロンに通う余裕もない私は、動画サイトで見た髪にいい方法を片っ端から試したけれど、結局どれが作用しているかわからないまま今に至っている。  私はずうっと、待っていた。  少女が大人になるように、大人としての曲がり角をゆっくりと曲がるように、私はあなたにとって正しい相手であれるよう努力をした。季節になれば必ず一度は火を点した。  だけれど、あなたは私のところには還ってこなかった。  最後の会話のことは今でも昨日のことのように思い出せる。  ベンチの上で、最後の一束をどうするか、なんて話をしていたとき、私はただの相談事のようにそれを言った。 「結局私は、ほかのひとが言う言葉の意図がわからないの」 「そう」 「わからないの……それで、困ってるのよ」 「……そう、でもあなたはそんな悩みを持っていても生きているじゃない。それは普通のことよ」  普通とは何なのだろうか。  正解とは、何なのだろう。  当時の私はそのまま、あなたに聞いた。 「普通、なの?」 「ええ……そうなのよ。あなたの知らないことも、たくさんある。あなたの普通は、普通じゃないのと同じ。誰かの普通は、普通じゃないの」  さあと、湿った風がながれてきて、ろうそくの火が大きく揺れる。  さらさらと揺れる葉たちも流される。言葉の内容までもふわっと流れていく。私は普通なのだろうか、普通じゃないのだろうか。 「……ええと、つまり」 「わからなくて当たり前なのよ。あなただって、」 「私?」 「いいえ、なんでもないわ。さあ、火をつけて。ちょっと用事を思い出してしまって」 「行っちゃうの、」 「ふふ、大丈夫。戻ってくるわ」  心配しないで、振り向かないで。  その花火が終わる頃には戻れると思うし。  あなたは私にそう言って、長い黒髪をなびかせて去って行った。  その日、手持ちの花火が全部黒く短くなっても、あなたは戻ってこなかった。嘘をつくような人ではないとわかっていたから、門限のぎりぎりまではいて、それから、私はひとりで家に帰った。  翌日以降、あなたが言った通りの事を反芻してクラスメイトに話しかけた。結果は変わらなかった。こちらのダメージも、変わらなかった。  結局他人の感情がわからない私はどんどん孤立していった。仕事はできたから、できるだけ人間ではないものを対応するようにした。それなりに生きてくこともできるようになった。  でも、あなたを知らない人たちの中で生きていくのは、とても、つらい。  外の世界よりもあなたと話している方が有意義だった。それに甘えていた。あまり気にはしていなかったつもりだったけれど、会えなくなってからは非常に難儀した。あなたの言っていたことの一部は正しかったのかもしれないけれど、すべて正解ではなかったことに絶望した。  結局それも解釈のひとつだと理解するまでに、一体何年かけてしまったのだろう。  定位置のように流し場の蛇口をひねり、小さいバケツに水を満たした。  アロマキャンドルにも似たそれに火を点して、じいと、揺れる灯を眺めた。それだけではだめで、私はかさかさと音を立てながら、パッケージを開封して、ひとつひとつをわけて、風に飛ばされないよう鞄の下にそれらを敷いた。  最初の一つは、よく燃えてくれたかわりに、あっけなく落ちて消えた。  ぽつ、とひかるそれを、私は眺めることしかできなかった。ぱちぱちと爆ぜる音すらも聞けずに、凪いだ瞬間に消えたのだった。  次はもう少し丁寧に、と思ってやった。残り数ミリになった火の玉がすとんと落ちて、辺り一面、闇にかえった。今度は、次は、そのあとは。  手探りの作業にも大分慣れてきた。この夏はもう一月ほど同じ事をしているのだから、さすがにいけるだろうと判断はしていたものの、まだまだ、できないことばかりだ。  私は次の花火に火をつけ、ゆっくりと、ろうそくから離れる。  まるで繰り返す動作のように、平行移動していったのだと思う。あなたは全くといっていいほど私に見向きもしなかった。会話はした。言葉は交わした。なのに突然、いなくなってしまった。  こんなじっとりと暑い日々の中だったと思う。  夕日に赤く光るあなたの顔が、きれいだった。 「ねえ、あなたのお名前は」 「いつか思い出すときが来るかもしれない。だからね、それまでは私の名前なんて気にしなくていいのよ」 「ふうん、わかった。頑張って思い出すね」 「……ありがとう、」  あなたの微笑みの意味も私はわからない。わからないと言っているはずなのに、いつだってあなたは私に何かを伝えようと躍起になっていた。けれど結局伝わらなかったのだと思う。  だからあなたを思い出すことも、本来的にはなかったはずなのだ。  だって私は、あなたの名前も住所も、ありとあらゆるあなたに関する事象を、私はしらない。知るはずもない。  だから、待つしかなかった。  来る日も来る日もただ、待っていた。毎日パッケージを開封して、ゆうるりとあなたを待つことにした。あれは暑い夏の日だった。だから言われた通りにしていれば、夏が過ぎれば会えると思っていた。  だけれど、私の持っている線香花火は、あと数本。  その間に、還ってきてくれるだろうか。戻ってきてくれるだろうか。大人買いした線香花火が、まだ自宅にいくつも残っている。  わからない。  わからないから、私はまたろうそくの先に紙を近づけ、炎で照らす。  まあるく膨らんだ世界で、私はその球体のなかにいるかもしれないあなたをみていた。  ぱちぱち、呼び込むように火花を散らすそれを見て、じっと待っている。黙って待っていることしかできない。  私は、このまま、外の世界でひとりきりでいるしかないのかもしれない。私が一生愛したあなたは、私の中にしかいないのに、このままひとりで生きて行くにはつらすぎる。それでも、そうだとしても。  私は、私のままで生きていたいと思うのに、あなたがいないこの世界で生きるには、少々味気なさ過ぎる。加速する火花たちに引っ張られないよう、慎重に、私はその灯火を見つめる。  かえってきて。  待っている。  私はここでずっと待っているのだから。  そうしたら、かえってきてくれるのでしょう?  あの子のように、あのひとたちのように。  記憶のなかの、あなたのように。  最後のひとつを火に向ける。今日は、会えるだろうか。  もう会えないのだろうと思いながら、風物詩のように私はあなたへの火を点す。  真っ暗闇に、真っ黒の服。  私の顔は、あなたに見えているだろうか。この小さな火を見つけてくれるだろうか。  じじ、と羽虫が近づいてきて、その暖かさに沈んで消えた。
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