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トプカプ宮殿の広間。今は観光地。皇帝が屋根のあるソファのところに座っていました。ドラマでは、この左側の小上がりスペースに部下たちが並んで腰かけていたようでした。
椅子の高さが低く、床に座る文化があります。この辺もアジアとヨーロッパが混じっている感じしますね。
・みんな何か国語も操っている・・
オスマン帝国の宮殿はトルコ語ですが、公用語というのはなかったそうです。
イスラム教はアラビア語でしか聖典を書いてはいけない決まりなので、イスラム教徒はアラビア語が分かっているはず。
そしてロシア語を話す人たちやヴェネト語(ヴェネチアはこの頃イタリアではなくヴェネチア共和国。貿易で力を持っていました)を話す人が出てきたり、商人たちはギリシャ語を使っていたらしいです。
奴隷は制圧されていない国から連れてこられるのが決まりなので、(侵略して奪ったり献上されてきたりする)奴隷は確実にトルコ語なんて知らなかったはず。言語の教育も元の言語がバラバラだとどうやっていたんだろう・・ってなります。
この帝国だけで一体何種類の言語が使われていたのか・・。
バイリンガルだのトライリンガルだのが割と普通にいたのか思うと戦慄します。5か国語を操っていた皇帝の記録もあります。
多くの国を征服して支配したので、こういうことが起きるんですね。みんな頭良すぎか。
日本は識字率が高いのすごい、と思っていたんですが、言語がここまで複雑になったことは一度だってなかったなと気付きます。
多民族国家になると、ジェスチャーとか発展しないのでしょうか。共通ジェスチャー。ジェスチャーって国によって意味が違うじゃないですか。ややこしいですよね。
ジェスチャーは同じ国だったら一緒であって欲しいなとか思ってしまいますが、多分そんな単純ではなかったんだろうな・・。
※ずっとトプカプ宮殿のことをトプカピって記載してたことに気付きました。英語だとトプカピなんですけど日本語だとトプカプなんです汗
画像検索を海外サイトでやっていたので英語発音をそのまま片仮名にしちゃってました・・。たまにやるやつ・・。直しました。失礼しました。
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