アンゼルマは逃げられない。

2/7
1人が本棚に入れています
本棚に追加
/7ページ
 ***  彼女はどうやら、特定の日が来るのを酷く恐れているらしい。  その日というのは、八月二十八日。今年は日曜日が当たっている。これが小学生や中学生だったら“夏休みが終わるのが嫌なんだろうな”くらいの日だが。生憎というべきか、僕達はお互いとっくに成人している身だ。今年でどっちも二十五歳で社会人。夏休みは仕事によってはろくに取れない年もあるし、そもそも予め決まっているわけでもない。  一体、八月二十八日に何があるというのだろう。ちなみに、その日は彼女の強い希望により、デートをすることになってはいるが。 「最近変だよ、一穂」  僕達は同じ会社に勤務している。僕は営業事務、彼女は総務。部署が違うので一緒に帰ることができない日も多いが、この日は僕の方がちょっと強引に仕事を早めに片づけて彼女と一緒に帰宅することを選んでいた。件の日が近づくにつれ、彼女の顔色が死にそうなものに変わっていくのが気になって仕方なかったからだ。 「本当に、悩みはないの?……八月二十八日に、何かあるんじゃないの?」  あと何日。あと何日。カレンダーをみながらぶつぶつ呟くのを見ていたら、いやでもその日がいつなのか透けるというものだ。 「何か怖いことがあって、その日を一人で迎えたくなかったから……日曜日だけど僕とデートしたいって言いだしたんじゃないの?」  仕事の疲れもあるし、基本的にはデートは土曜日にすることが多いのである。それが、二十八日だけは絶対にこの日がいいと言ってきたのだった――それも、一カ月も前からである。一か月前の段階では、仕事がどうなっているのかもまったく予想がつかなかっただろうに。 「一穂、僕にできることがあったら何でも言ってよ。力になりたいんだ。僕にできることなら何でもするからさ」  駅までの帰り道。大学時代から付き合っている僕には、彼女の異変は明白だった。二人きりでいるというだけではしゃいだ彼女。趣味の漫画の話、ゲームの話、最近できたお店の話にドラマの話――とにかく思いついたことを片っ端から笑って話しかけてくれる彼女。それをじっと頷きながら聞いている僕、というのが当たり前の光景だったのである。
/7ページ

最初のコメントを投稿しよう!