わたがし

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 中学最後の夏休みだから、終業式の日にヒロキは思い切ってマユを夏祭りに誘った。二人は島根県のとある町の同じ集落で育った同級生。しかし、その家庭環境は大きく違った。  マユは町の中心部で代々診療所を営む医者の家系、ヒロキは両親ともに会社員のごく一般的な家庭だった。育ちの違いはヒロキも十分承知していたが、彼はマユの事が小学生の時からずっと好きだった。  マユは高校は広島の全寮制の私立に進むだろう、というのが集落内での認識だった。ヒロキには進学校であるその高校に行けるほどの学力はない。二人は来年の春からは別々の道を行くのだ。残された時間は短かかった。 「いいよ」  ヒロキの誘いにマユは素っ気なくそう答えた。その表情からは嬉しいのか、あるいは断り切れないだけなのか、ヒロキには分からなかったが、とりあえずOKはもらえたので、彼は心の中でガッツポーズをした。  当日夜。地元の神社で行われるその夏祭りは、二人の家から徒歩で二十分ほどのところにあった。待ち合わせ場所である二人の近所の交差点にヒロキが着くと、意外にも浴衣姿のマユが先に来ていた。 「待たせちゃったかな」 「ううん、私も今来たところ」  マユの頬は少し赤くなっているように見えた。  マユの浴衣は花の模様をあしらった古風な藍染めの浴衣だった。おそらく元々家にあったものだろう。それは彼女によく似合っていた。反対にヒロキの浴衣は地元のスーパーで売っていた安物で、ヒロキは少し恥ずかしかった。  二人は神社まで歩いた。二人で並んで歩くのなんていつ以来だろうか、ヒロキはそんなことを考えた。同じクラスだが普段はほとんど会話をしない二人である。来年に控えた受験の話などをぽつぽつとした。  神社に着くと拝殿で行われている神楽の音で賑やかだった。境内を囲むように屋台が並んでいて、そこに浴衣姿の人達がたくさんいた。当然ヒロキたちの顔見知りも多く、彼等は二人の姿を見て少し意外そうな表情を見せたが、特に何も言わなかった。  二人は境内をぐるりと回ることにした。少ししてわたがしを売る屋台が目に付くとマユは、 「あ、わたがし買いたい」  そう言ってヒロキを見た。ヒロキは手でマユに買ってきていいよ、と促した。ヒロキは急に自分を見たマユにどきりとしてしまい、言葉がとっさに出なかったのだ。  わたがしを買い終えたマユは笑顔で帰って来た。美味しそうにわたがしを少しずつ食べている。マユがお祭りを楽しんでいるようなのでヒロキは少しホッとした。  神社の境内は広くはなく、ゆっくり屋台を見ながら歩いても十分ほどで一周してしまう。二人は二周目に入った。するとマユは再びわたがしを売る屋台のところで、 「ねえ、またわたがし買って来ていい?」  少し照れたようにヒロキに行った。ヒロキが見るとマユの手にはもうわたがしはなかった。 「うん。買ってきなよ」  ヒロキは答えた。マユは少し早足で屋台に向かった。わたがしが好きなのかな、とヒロキはその時はそう考えるだけだった。  マユは再びわたがしを買って来て、二人はまた歩き始めた。ヒロキは自分も何か買おうかな、と思いつつも緊張でお腹は空いていなかったので色々迷っていると、いつの間にかもう一周していて、またわたがしを売る屋台が見えて来た。するとマユは、 「ねえ、もう一回わたがし買っていいかな?」  そう言って来たのでヒロキは驚いた。見るとマユの手にはもうわたがしはない。 「いいけど…」  その言葉を聞くなり、マユはまたわたがしを売る屋台へと向かった。その後姿を見ながらさすがにヒロキの心中も穏やかではなかった。  立て続けに三回もわたがしを買うだろうか。裕福な家で育った人は変わった人が多いってどこかで聞いたことあるけど…。それとも、やっぱり自分と祭りに来るのは嫌だったのかな…。そんなことを考えているとマユがわたがしを持って帰って来た。 「ごめんね、何度も」  マユは少し申し訳なさそうだ。 「いや、いいけど…。わたがし、好きなの?」 「…うん。こんな時しか、食べれないし」  そう言うとマユは照れくさそうに下を向いた。別に悪気があってそうしているのではなさそうだったので、まあいいかな、と思ってヒロキはまた歩き出した。  少し歩いて、マユが口を開いた。 「ねえ、やきそば食べない?」  大きめな声で、急にそう言って来たのでヒロキは驚いたが、自分も何か食べないと、と少し焦っていたので、 「あ、いいね。食べたい」  と即答した。 「わたし、お母さんから多めにお小遣いもらったからごちそうするよ。お祭り誘ってくれたし」 「本当に?じゃあ、お言葉に甘えて…」 「よかった。ねえ、ヒロキ君さ、悪いけどふたつ買って来てくれない?お金渡すから」  マユはそう言うと、財布から取り出した千円札をやや強引にヒロキに手渡した。普段の静かな彼女からは考えられない言動だった。ヒロキはそのマユの態度に圧倒されて彼女に従うしかなくなり、焼きそばを売る屋台へと一人歩き出した。  焼きそばはすぐに買えるものがなく、新たに作っているところだった。ヒロキは何となくもやもやした気持ちで煙の上がる鉄板を見ていた。好きな人と来ることができた祭りの楽しさは、いつの間にかどこかへ消えてしまっていた。  先程のマユの態度に納得がいかないヒロキは、何気なしに後ろを振り返ってみた。  そのヒロキの視界に入ったマユは手に二本のわたがしを持っていた。一本は先程買ったもの、そしてもう一本はおそらくヒロキが焼きそばを作るのを見ている時に買ったものだろうと思われた。  マユはそのわたがしを、そばにいた二人の子供たちに渡した。さりげなく、できるだけ周りの人達に気付かれないように。  その子供たちをヒロキは知っていた。同じ集落の子だ。その子供たちはきょうだいで、その親は女性の一人親だ。何年か前に離婚を機にこの地に帰って来て、女手ひとつで働きながら子供四人を育て、しかも病気がちな母親の面倒も見ている。恐らく金銭的に余裕のない家庭なのは、誰の目から見ても明らかだった。  ヒロキが注意深く見ると、すぐそばに残りの二人のきょうだいがいた。二人ともわたがしを持っている。マユがヒロキと歩いている時に渡したものだろう。  その時、マユがヒロキの方を向いた。ヒロキの視線に気づいたマユは少し申し訳なさそうに笑った。  焼きそばを買い終えたヒロキがマユのいるところに戻ると、 「ありがとう。ごめんね、本当は私が買いに行かないとダメだよね」  マユは素直に謝った。そして、 「はじめにわたがしを買ったとき、物欲しそうに子供たちに見られちゃって。あの子たちの家庭環境も知っていたから、つい。…止めた方がよかったかな」 「そんなことないよ。いい事だと思う。俺にはできないよ」 「そうかな…」  マユは複雑な表情を見せた。  その姿を見たヒロキは、マユとの距離の遠さを悟った。小さい頃から人を助ける仕事に就くことを義務付けられた彼女と、何も考えないでただ歳を重ねて来た自分と。  二人はそれから焼きそばを食べて、神楽を見て神社を後にした。  帰り道、二人の会話は行きの時よりも少しだけはずみ、やがて待ち合わせの交差点まで来た。ヒロキはもっとマユと一緒にいたかった。でもぐっとその気持ちをこらえて、マユと別れた。今の自分では彼女と釣り合わないのは分かっていたから。  時は流れて、受験が終わるとマユは予想通り広島へ行ってしまった。ヒロキは家から少し離れた海沿いの県立高校へ進学した。  夏休みにマユは一時的に帰省するが、バスケ部に所属するヒロキは毎日部活で忙しい。  そんな二人がまた顔を合わせるのは、もう少し先の話である。 完
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