君のところへ、真っすぐに。

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 俺を贔屓(ひいき)していた人だったから、警戒心はもちろんあった。  セクハラ野郎、とよくみんなに陰口を叩かれていたし、顧問をしている陸上部でも評判は最悪だった。  ただ、コーチとしては優秀だった。  人格はともかく、アドバイスが本当に的確だった。  水曜日、矢来は塾があるから早めに帰る。そこからが俺と山田先生、ふたりきりの時間だった。  別にやましいことは何もしていない。中学二年の終わり頃だったか、「先生は若い頃、少年野球のコーチをしていたことがあるんだよ」と、俺の自主練に付き合ってくれたのだ。  ──警戒はしていた。  ただ、いくら警戒したところで、中学生が体育教師に勝てるわけがなかった。  いつものように練習を終えたあと、俺は先生に部室の中で暴行された。閉め切られた部室の中では、夏の夜のうだるような熱気も俺も逃げ場がなかった。吐き気がするほど暑い。朦朧とする意識の中で矢来の背中を見ていた。あいつじゃなくてよかった。馬鹿な俺でよかった。気持ち悪いのが、痛いのが、おとなしくしていれば早く終わってくれると思ったのに、俺は殺された。  その夜、俺の母さんから電話を受けて、矢来はここへやってきた。俺の身体は先生の車の中だったけれど、俺はここにいた。あまりに透きとおった俺の身体を見て、矢来は言葉を失った。 「──ごめんな、一緒に甲子園行けなくて」  あのときとそっくり同じ言葉を呟いて、矢来の野球帽に触れた。彼はへたり込んだまま、放心したみたいに、涙があとからあとからあふれてくる。  ずっと考えていたことがある。何かに宿ったり、できないんだろうか。俺たちふたりが一緒になれば最強だと思う。だけど、矢来にとり憑いてしまうのは、さすがに怖い。  物体にとり憑くとなると、俺は喋れなくなるんだろうか。人格は残るんだろうか。そもそもそんなことできるのかな。少し怖かった。 「……矢来、そんなに俺と一緒にいたいの?」 「当たり前だろ……」 「そう。……それって、俺が人間の姿じゃなくなっても……もし失敗して、俺がこの世から綺麗さっぱりいなくなってしまうとしても、試してみたい?」  俺の呪縛は彼を苦しめるだけだと思っていた。  だけど。矢来は俺を見つめて、ためらいながらもゆっくりと頷いた。 「お前が嫌じゃないなら、だけど。……まだ消えていい奴じゃないよ……」 「わかった。じゃあ、ダメ元でやってみるわ」  俺はとり憑くものを探して校庭を見渡した。この場所とも、今夜でお別れだ。  ──あれ、待てよ。 「……矢来」 「……な、何?」 「俺天才かもしれない」 「……、は?」
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