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第二十二回 居酒屋にて・その五
「……まるで示し合わせたかのように一斉に、一番奥の席を指差したのだった」
我孫瓦警部は、その店員たちの仕草が芝居がかっていた、と言いたいのだろうが。
むしろ俺には、今の警部の言い回しの方が、なんだが舞台演劇の台詞のように聞こえるぞ。
再び、飲食タイムのようである。もはや一言断るまでもなく、料理の皿に箸を伸ばす警部。彼に合わせて、俺も同じようなペースで食べる。
そして、食べながら、ふと考えた。一応、今回のポイントは、山田原正のアリバイなのだろう。
二十二日の事件――山田原豪次殺害――は可能であるが、二十三日の方――山田原安壱殺し――は、どうやら無理と思われる……。
しかしそんなアリバイ云々よりも、俺の印象に残ったのは、理恵の『昔ながらの黒電話』という言葉だった。
そう。
1985年というこの時代でも既に、その傾向は出始めているから、皆さんも予想がつくと思うが……。
この後、回転ダイヤル式の電話機は、押しボタン式の電話機に、ガンガン駆逐されるのだ。
俺の元の時代である1999年には、もう黒電話なんて見たことないという子供も、結構いたらしい。だから二十一世紀になれば、ダイヤル式電話機の使い方がわからない、なんて大人も出てくるのだろうな。
しかし、1985年と1999年の電話事情を比べるのであれば。
何よりも大きな違いは、携帯電話の有無だろう。
こう言ってしまうと、1985年の皆さんの中には「偉そうなことを言うな、既に携帯電話は存在するぞ」と憤慨する方々もおられるかもしれない。
でもね、まだ今の時代の携帯電話は、肩掛けカバンみたいな、軍用無線機みたいな、ごつくて重いタイプだろう? あんな非実用的なもん、携帯電話とは言えねえよ。
あと数年、いや十年くらいかな? なんとあれが、缶ジュースくらいのサイズにまでコンパクト化されるんだぜ。
そうなると、仕事で使う社会人だけでなく、プライベートにしか必要ない大学生までもが、携帯電話を持ち歩くようになる。特に、もともと電話で話すのが大好きだった女たちが、だな。
俺自身は持っていなかったが、俺の友人女性なんかも、その一例だ。
最初は携帯電話ではなくポケベルを使っていた。ポケベルなら、この時代でも、もうあるんだっけ? 電話と違って受信一方だが「外出先でも連絡を受けられる」というのは画期的だった。それがいつのまにかPHSに変わり、携帯電話となった。
ちなみにPHSというのは、機能的には携帯電話と大差ないんだが、明確に区別されていたから、何か違うんだろう。実際、件の友人などもPHSから携帯電話に変えたわけだしね。知識のない俺にしてみれば「PHSは携帯電話と違って、電波が届かない場所が多い」くらいの感覚だったが……。
一応言っておくが。
残念ながら彼女は、あくまでも『友人』。もしも『友人』ではなく『恋人』であったなら、互いに頻繁に連絡を取り合うために、俺も携帯電話を購入したんだけどなあ。1999年だと、周りの友人たちは、もう大多数が携帯を持っていたから、そろそろ俺も買おうかなとは思っていたんだ。ただ「恋人できたら、それを機に!」と躊躇していたような感じ。まさか、自分が若くして亡くなるとは思ってもみなかったから……。
……などと考えていたら、また警部が語り始めそうな雰囲気だ。では、事件の話に戻ろうか。
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