① messenger/リンキンパーク

7/21
前へ
/130ページ
次へ
 そして、久しぶりに次郎に来たのは、ゴールデンウィークが終わった次の日だった。  今年は、小規模ながらではあったが、凧揚げ(浜松祭)が行われた。去年(2020年)は中止になり、街中の飲食店はカキイレ時を失ったので、今年は少しマシか。  「ん、スーさん、何だか嬉しそうじゃん?」  長髪の大将がカウンターの俺に背中から言った。  俺は嬉しがっているのか。  冷奴とビールを飲んでいた俺は、連休前に病院で見た村木の姿と、予想を思い出していた。  あの村木の破綻は、今の俺には全く意味がないのに、俺の表情は緩んでいたようだ。  「前の青い奴、最近、来ないよ」と大将がからかうように告げてきた。大将は俺が今年の春に絡んだ、あの天野とすっかり仲良くなったと思っているらしい。   あのバカの顔など見たくはない。別に来なくていいよ。関わりたくない。この店にも迷惑をかけた。関わりたくないのだ。  だが、他人と上手く関われない人間がどうなるか、俺の働く病院には、その良い“例”が二人もいるではないか。  「…」  俺は無言で肩をすくめて見せた。  改めて、俺の状況を説明しよう。  俺は、今から約9年ほど前に脳腫瘍を患った。  大脳と小脳の間に出来たこの厄介な腫瘍は、二回の手術で除去されたが、俺から滑舌と言葉を奪った。以来、理学療法で多少改善されたが、俺は会話が苦手になった。言葉が少し出しにくくなった。呂律が上手く回らない。  腫瘍が奪っていったのは、それだけでは無い。  仕事と恋人をも奪った。  俺は当時、勤めていた某公的保険事務所を辞め 、さらには交際中の恋人と別れた。  …年金事務所を辞めたのは俺からであり、恋人に別れを告げたのも俺からだから、『腫瘍が奪った』は正しくはないが…。  職を失った(手放した)俺は、退院後、浜松市内(時には市外)の様々な仕事の求人に応募し、ことごとく落ちた。  全く誰も俺などを相手にしなかった。  それはそうだ。30半ばの“病み上がり”の男を雇う会社はそうそうは無い。  金が無くなり、いろんなバイトをした。複数の派遣会社に登録し、日雇いなど、いろんな職場を巡った。  ここ数年は、高校野球の有望な選手を救ったり、離散した一家を結びつけたり、その原因になったおかしな“カウンセラー”を潰したり、大学の研究室で悪どい教授に“操られて”いた事務員の女を“お節介”に助けたりした。  また、市内の倉庫で働き、そこで揉めたりした。  DV騒動に巻き込まれたり、最近では元カノの為に半グレと争ったりした。    最近は、幼なじみの相談を聞いたり、青い髪をしたおかしな若者と口論したりしている。  現在は、自宅近くの病院で清掃のバイトをしている、40才を越えてもフリーターとして働いている情けない“おじさん”だ。  俺みたいのを“下流”というのだろう。否定出来ない。
/130ページ

最初のコメントを投稿しよう!

3人が本棚に入れています
本棚に追加