② Don’t Stop Believin/ジャーニー

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 その話題の後、俺は会に尋ねた。  「…そ、それでささ、そこ、こ、お俺、働けたり、す、するかな?」  「岡部コートっすか?」  「違う、よ。お、オレンジのヤツが、がいた、た倉庫…」  「あー、いけるんじゃないっすか? かなりキツかったし。…派遣もしょっちゅう頼んでいると思いますよ。働く奴ら、すぐ逃げるって話っすから(笑)」  (だろうな)とは思った。そうした現場の事は日雇い派遣をする人間には情報としてすぐに回り、遠慮される傾向がある。それでもやる奴は、余程“性に合っていた”か、金がない連中だ。  つまり、相当厳しい現場なのだ。  「…そ、そうか。あ、ありがとな、な」  「…」  会が不思議そうに俺を見つめた。  そして、「ホッピー、飲もうかな?」と言い出した。今夜は俺が奢ろうと思っていたから、構わないが、あんまり飲み過ぎないで欲しい。  会の頭は、浜松から東京に向かっているようだ。    それから一週間と少しが経ち、7月に入った。  今年の夏は暑そうだ。  俺は会の言っていた南区の倉庫に来ていた。  病院の仕事が休みの日である。  俺は以前登録した派遣会社サンレディ浜松に連絡を入れ、『南区の倉庫の仕事』で探してもらった。  すぐに該当する仕事があった。内容からして、会の言っていた仕事だろう。  人の出入りが激しい現場らしく、人員は募集中だった。俺は日雇いで1日働く事を約束した。  即日で日雇い派遣が決まった。  相当人気の無い職場らしい。  そして、病院が休みの日、朝から南区へ車で出勤した。8:30~17:00までの仕事。休憩は1時間。  あの老けた顔は見たくはないが、村木の情報を得るためだ。しかも情報を仕入れると同時にわずかながら小遣い稼ぎになる。悪くない話だ、と思ってしまった。    仕事は会の言う通り、かなりハードだった。    現場は、南区の倉庫街にある体育館のような建物だった。家庭用絨毯、マット、カーテンがぎっしりと並べられて、番号が割り振られていた。そこから台車を使い運び出すのだが、これがなかなかの重労働で倉庫は古く、冷房など無い。運ぶ物は厚いビニールで包装されていて、抱えないと上がらない。まるで熱々の棒に押し当てられるような感じだった。  へばってきて、ビニール包装を掴むと、それを見た社員から怒声が飛ぶ。  「ビニール、引っ張んな!」  思わず声の方を向く。俺よりかなり若い社員だ。こちらを睨んでいる。  「す、すいま、せ、せーん!」と謝り、腹の底では怒り狂っていた。  作業は朝8時半からだが、9時過ぎには汗まみれになっていた。マスクもしているためか、息苦しい。ここは地獄か。  倉庫内の作業員は社員が2人。倉庫側のバイトが5人。残り20数人は全て派遣バイトだった。それもサンレディだけではなく、他の派遣会社の人間もいる。相当、人員集めに苦労していると見える。  俺が以前、働いていた曳馬の倉庫と同じだ。常に仕事があり、それで人員が足りないのだ。  仕事内容はあの曳馬の倉庫の方が遥かに楽だ。  俺は、朝、作業員が集まった時にそれぞれの顔を見たが、山内らしき奴は何人かいてよくわからなかった。老け顔の日雇いなど誰も似ている。あのオレンジ髪を黒くしたのなら、もう特徴がないから判別できなかった。  10時に1度休憩があった。  俺はもう既にヘロヘロだった。周りを見ると二十代らしき若者らも疲れ顔をしているが、まだ精気がある。俺は自分の年齢を感じた。  いつまでもこのような仕事はできない。  今の病院でのゴミ回収がお似合いなのかもしれないが、あの仕事もいつかは出来なくなるのかもしれない。  そうしたら俺はどうするのか。急に不安になってきた。  少し暗い気持ちで倉庫を出た。  蒸し暑い倉庫から出ても、外は灼熱の晴天だ。  倉庫脇の木陰に人が集まっている。あそこが喫煙スペースのようだ。その中の人間の顔を見たかったが、疲れていた俺は断念した。買ってあったペットボトルのスポーツドリンクを半分以上飲んで、吹き付ける熱風に身を任せ、喫煙スペースとは逆の出入り口付近で座り、へばっていた。  俺はこの現場に来たことを心から後悔していた。キツすぎる。  会は今頃東京か。  五輪が近づいている。  休憩が終わる。マスクを付けて、また蒸し風呂のような倉庫の中へ入らないといけない。暗い気持ちになる。    12時になった。昼の休憩だ。  若い社員が 「作業は1時から再開するから!」と怒鳴った。そんなもの言われなくてもわかる。  俺はもうヘロヘロだ。  残り僅かなペットボトルを持って、外に出た。少し雲が出てきたが、まだ熱風が吹いている。嫌になる。  昼飯は、事前にコンビニでおにぎりとパンを買ってある。ここの日給が出たら、もっと良い飯を食べようと、思っていた。  休憩時間にいた場所に行き、座ろうとした時、俺の後から出てきた奴と目があった。俺の目の前を通りすぎようとした。この先にトイレがあり、そこに向かうつもりだったのだろう。  「…あ」  ソイツが小さく叫んだ。  座ろうとしていた俺と顔を見た。  山内だった。  会の言うとおり、髪色を黒にしてやがる。老けが増した感じがする。俺より年上じゃないのかと、疑いたくなった。  「な、何で!」  俺はこれを待っていたのだ。倉庫でコキ使われた怒りもあり、俺は怒りも込めて山内のシャツの襟首を掴んで引き寄せた。  「ひ、久しぶりり、だな?、お、おいっ」  山内は驚くとともに暴れた。  「じい! な、なんだ、てめえ!」  山内から汗とタバコの臭いがした。かつては喫煙者だった俺だが、退院後、今は喫煙していない俺にはタバコの臭いはもはや悪臭でしかない。離れたくなるが、逃がすわけにはいかない。  「か、髪、く黒にし、したのか? に、似合ってて、ねねーな」  「うるせえ、じい!」  俺はコイツに「じい」などと呼ばれる仲では無い。  第一、老け顔ならコイツの方だろう。  「…おま、オマエのほうがが、“じい”だ、だと思うがな、な」  俺は山内の襟首を掴んでいる右腕を上に伸ばしてやった。俺の右脇ががら空きになるのでボディーに攻撃してくると思ったが、山内は軽く暴れるのみだった。俺から離れようともがく。  倉庫から出てきた若い奴等が俺たちを不思議な顔で見ながら、トイレや喫煙スペースに向かう。  山内は変に目立つと、不味く思っているらしく、とにかく俺から離れようとしていた。  「は、離せ!」  「お、お前、は、浜松に住んでんのか?」  「うるせえ」  「あ、あのツンツン頭ま、の、真里谷とかいう、か、カッコいい、お、親分はは、どうしたた?」  「うるせえ。マリアは別にいるよ! じいには関係ねぇだろ!」  「…じい、じいって、て、なー。顔からら、して、おお前の方が明らかに“じい”だろ?」  「うるせえ」  「ま、また辛いもん、くれて、てやろうか?」  「…」  『辛いもん』という言葉に山内は固まった。あの“ニンニクカラシ赤味噌”の味が山内の脳裏に残っているのだろう。嫌な顔をして、俺の下半身を見た。俺がまた隠し持ったあれを口にぶちこむと思ったらしい。  俺は、山内の襟首を離してやった。  山内がばっと後退りした。  「お、おい。オマエら、む、村木って爺さんを 、お、襲ったたか?」  「あ?」  「爺さんだ、だよ、爺さん」  山内は少し考えている。  「あー、あのクソ爺か? しょんべん臭せぇ爺さんだろ?」  酷い言い方だ。かつては仲間ではなかったのか。  「お、おまえら、去年のの11月頃、その爺さんを、は、張り倒してび、病院お、送りにしただろ?」  「何の話だよ? バカか。じい!」  だから、その「じい」は止めて欲しい。だが、コイツの歳からしたら今年43歳の俺は「じい」なのだろう。“お”は付けて欲しいなあ。  「嘘つけけ。お、襲っただろが、が?」  「襲ってねぇよ! あのクソじじいの事はウエさんから教えてもらったんだよ!」  知らない名前が出てきた。  「う、ウエさん?」  「あー、そーだよ! あれはウエさんから紹介されてきたんだよ。それに、『病院だから患者のデータ持っている。』とか『アイツのスマホには名簿入ってる』とかな。…アキラ姉もそう言ってたんだよ!」  「で、で、あの色黒のの、い、飯尾ってのを、よ、寄越したのか、か?」  「ふんっ。離せや。そーだよ!」  「で、な、何もな、なかった、たって?」  俺は、ヤニ臭い山内の襟首また掴んで、笑ってやった。  「…」  「…ご、ご苦労。で、何で、ま、まだ浜松に、い、いるの?」  「うるせぇな! 金が無えーんだよ!」  「で、ひ、日雇いか?」  「じいもそうだろが!」  山内は聞いてもないのに、いろいろ話してくれる。馬鹿なのか、実は良い奴なのか。  やはり、去年の俺のスマホ(古)の強奪や病院に飯尾を寄越したのは、コイツらの計画だったのだ。そしてそこには、これまたやはりアキラの口添えがあったらしい。
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