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去年の年末、原さんが向こうから嬉々として俺に告げてきた。
「鈴木くーん、アイツ、他の病院に移るんだってさ!」
その時俺は、コロナ用病床のあるフロアのゴミを回収し、廃棄場へ捨てに向かう途中であり、原さんの話に構っていられなかった。
「あ、アイツ?」
すれ違いざまに尋ねた。
「ほら、アイツだよ、アイツ。あの仏頂面の男!」
『仏頂面』とは誰の事か、すぐに理解できた。あの無愛想なオヤジだ。
しかし、異動とは何か。
「ははは、どっか行くんだってさ。ざまあねーなあ」
原さんはかなり嬉しそうに去っていった。
院内でたまに行き交う俺とは違い、原さんはあのオヤジと頻繁に顔を合わせるらしく、それであの無愛想な態度を取られたりしたのだろう。
原さんはかなり思い込みが激しい老人だ。
あのオヤジよりも歳が古いはず。年下の同性の人間にあんな態度を取られて、原さんは怒りが多かったのだろう。
そのオヤジがどこかへ行くらしい。
異動か、辞めんのか。
分からないが、原さんの口振りではこの病院から居なくなるようだった。
そして、あのオヤジの所属が売店ではなく、病院自体だと分かった。
そんな原さんも俺には隠しているが、あの村木に騙されて、ここで働き始めた事に俺は気付いている。
そして、原さんの期待通りにはならなかった。
数ヶ月経っても、元板前(無愛想オヤジ)は消えなかった。
年が明けても、2021年の新年度を向かえても、まだ病院にいて、すれ違うと舌打ちを繰り返し、態度も相変わらず悪いままだった。
俺は原さんに事情を聞きたかったが、止めた。別にどうでも良かったのもあるが、面倒くさかったのだ。それに原さんには分からないと思った。
「何? 何で?」
カズちゃんは興味津々だ。
「…ん。こ、これは俺のよ、予想な、なんだけ、けど、ど…」
俺は自身の予想を述べた。
おそらく、あのオヤジは異動に関して病院側に相当ゴネたのではないか。「異動しなくない!」と。
あーいうタイプの人間は、自分の環境が変わる事を極端に嫌がる。自分の“テリトリー”に知らない人間が来るのも嫌だし、“自分から出る”、などもっての他だ。
どういう形で病院側から異動話が出たのかは分からないが、オヤジの抵抗は安易に予測できる。あの病院に雇われているオヤジは、『そのまま継続』を願ったのだろう。
で、それで病院側はどうしたのか。
おそらく、オヤジに残留の条件として、違う仕事を頼んだのではないか。
つまり「そんなにこの病院にいたいなら、この仕事をやってよ」と交換条件を出して、オヤジもそれを飲んだのではないか。
俺がそう思う理由がある。
年明けして、俺が5階のゴミ回収に向かうと、ナースステーション隣のゴミ置き場にあのオヤジがいた。
何故か、介護助手やナースのする感染防止用のビニールエプロンを着けていた。
また廊下で患者の車椅子を押す姿も見るようになった。
あのオヤジは売店の配送の他に、介護助手(おそらくその支援)の手伝いもするようになっていた。まだまだこの病院で働くつもりのようだ。
この病院関連の仕事にこだわっている。
何故か。
それは、『そうしないと、この病院に居られないから』なのだろう。
「何でそこまでして、その助手の仕事してんの?」
カズちゃんは素知らぬ顔でなかなかキツい事を訊いてくる。その理由ら一つしかない。
他に働ける仕事が無いからだ、と俺は思った。
板前だった、というそのオヤジが料理とは微塵も関係が無い病院の売店やその配達の仕事、介護助手(支援)をしているのは、板前の仕事に“戻れない”からだ、と推察できるだけ。もしオヤジが本当に元板前なら、料理関連の仕事をしているだろう。
あのオヤジは料理の仕事に“戻れない”、正確には『戻らない』『戻る場所がない』だと思う。
何か特別な理由があるのかも知れないが、おそらくあの性格が災いしているのではないか。
『他人を見下し、関われない。自分が認めた人間としか友好的に付き合えない』
「職人」と言われるタイプに多い性格。
それで上手く場所だったり、環境ならば、あの態度で居られる。
しかし、そこから“外れたら”、単なる“厄介なおじさん”でしかない。
そんなあのオヤジには、この職場(病院)以外に働き口がない。だから、おそらくは非常に不本意ながら介護助手(支援)のような仕事も引き受けているのだろう。
もし、本当に板前に戻りたいのなら、料理関連の仕事に再就職できるはずだ。または過去のツテなどから、そうした仕事を紹介してもらえたりするはずだ。それが出来ないのは、やはりあのオヤジの性格や態度に原因があるのだろう。
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