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今も、時々考えることがある。「胃洗浄」についてだ。
胃洗浄は、明確に手順が示された医療行為だ。主に経口にて胃管カテーテルを挿入し、まずは対象となる薬毒物をできるだけ吸引・排出する。
それから洗浄液の注入・排液を行い、透明になるまで繰り返す。
効果についての評価は、対象物の回収率によって為されるが、経過時間、量、臨床的状態等によって異なるため、容易ではない。だがいずれにせよ「できるだけ排出する」のが目的であり、完全なる排出はありえない。
薄めても、薄めても、それは希釈だ。無限の希釈である。ゼロにはならない。
須井はかつて―― まだ子どもだった頃、錯乱した母親に対して自分が行っていた行為を、どこで聞いたのかは分からないが「胃洗浄」と呼んでいた。
しかし、今考えればあれは、催吐に近い行為であった。胃管などもちろん使っていないし、ただひたすらに水を大量に飲ませ、大量に吐かせた。医師が見つけたなら即刻制止したであろう処置を、須井は日常的にしていたのだ。
だが仕方なかった。当時の自分には、どうしたら良いか教えてくれる者はいなかったのだから。
吐き出す時、母親はもがき、暴れ、苦しんだ。涙と胃液が溢れ、それでも須井は「すべて出させなければ」というその一点だけを考え、彼女の痩せた背をさすった。
母親はその都度、「暢ちゃんゴメンね」「迷惑ばかりかけてるね」と謝る。須井はどんな言葉をかけても母には届かないだろうと思い、いつしか黙るようになったが、母親の存在を迷惑と思ったことなど、自分が思い出せる限りただの一度もなかった。
その代償に、確実に心のうちに生まれてくる感情があった。
母と幼い一人息子を置いて消えた父親への怒りである。
自分はいい。だが、母にどれほどの苦しみと孤独を与えたのか、それを突きつけて咎めてやりたいのに、伝える手段もないのだ。もはや父親とも思えぬその男を、おそらく自分は生涯ゆるさないだろう。
その感情が、心に堆積した。
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