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5つの約束
「なあ絢音。」
「なあに?」
…それは、結婚式まであと1か月と言う、3月の…まだ京の街に雪の残るある日の午後だった。
昼食の片付けがひと段落し、夜はなににしよっかなぁ〜と思案していたら、やおら藤次が自分に話しかけてきたので、絢音は不思議そうに返事を返す。
「ワシらなあ、来月で結婚やん。」
「そ、そうね。このまま何もなければ、そうなるわね。」
「なんね。何もなければってなんやねん。まさか、この期に及んで婚約破棄やなんて、ワシは絶対認めんぞ!」
「なによ。藤次さんが結婚やんなんて、確認するような言い方するからよ。式場もドレスも、部長さんに仲人までお願いしてるのに、今更婚約破棄してほしいなんて言うわけないじゃない。バカねぇ。」
「…ほんなら、まあ、ええけど。でや、結婚するにあたって、決めときたい事あんねん。」
「はい?」
目を丸くする絢音に、藤次はノートと筆記用具を持って、ちゃぶ台で料理本を見ていた彼女の横に座る。
「まあ、プリナップ…婚前契約って程堅苦しいもんやないけど、結婚するにあたって、約束事…5つ決めとこかなて。」
「約束事って…具体的に?」
「んー…例えば、ワシ料理苦手やから、料理担当はお前。代わりに、洗濯担当はワシ。みたいな?」
「家事分担なんて良いわよ。共働きじゃないんだから。今まで通り、私が全部するわ。」
「ん。ほんならそれが、1個目の約束、家事分担はなし。やな。」
カリカリとノートに記入していく藤次を半ば呆れながら見つめていると、彼はペンを置き、普段見せたことないような真面目な顔つきで自分を見つめるので、絢音はドギマギする。
「な、なによ。そんな顔して。」
「いや、お前に限ってないとは思うけど、一応、これも決めとこかなて。」
「なに?」
問う彼女に、藤次は徐に口を開く。
「浮気。不貞行為や。もし、お前がワシ裏切ったら、ワシは慰謝料もなんもいらん。離婚もせん。ただ…」
「ただ?」
恐々聞く絢音に、藤次は冷たく言い放つ。
「お前殺して、ワシも死ぬ。ワシが欲しいんは、犯した罰の償いの証は、お前の命や。ワシとの結婚が、お前は最後や。他の男となんて、絶対許さん。一生…いや、死んでもなおワシと添い遂げる。それが2つ目の、約束や。」
「藤次さん…」
「お前は?お前は…ワシがもしお前を裏切ったら、ワシをどないしたい?」
「あ、アタシは…潔く身を引くわ。すごく、辛いけど…もしかしたら、気が狂ってしまうかもしれないけど、藤次さんには、好きな人には…幸せになって欲しいもの。」
「そっか…ほんなら、命の代わりに、ワシが持っとる財産全てを、お前にやる。勿論、この長屋もや。ここでお前以外の女と暮らすなんて、辛いからな。まあ、ワシがお前裏切るなんて、もうあり得んけど…とりあえず、これで3つやな。」
「ねえ、あと2つは、何か楽しいことにしましょ?浮気とか殺すとか物騒な話、あんまり考えたくないわ。」
「そら、ワシも同じや。せやけど、罪には罰。検察官の性分や。堪忍な。」
そうして薄く笑いながら、藤次はペンをノートに滑らせ、3つの約束が書かれる。
「じゃあ、今度は私が提案していい?約束。」
「ああ。ええで。なんや?」
その言葉に、絢音ははにかみながら口を開く。
「週一回で良いの。2人で外食しましょ?子供ができて、家族が増えても、必ず。私が小さい頃…お父さんお母さんが生きていた頃は、そうしてたの。だから私も、したくて…」
「そんなん…いくらでも行ったるわ。毎日でもええくらいやで?」
「いやよ。特別感なくなっちゃう。第一、毎日じゃ食費も身体にも悪いわ。」
「…ほんなら、週末土日にしよ?2人のうちはデートの帰り、子供出来たら、どっか遊び行った帰りとか、週末は…なるべく外で過ごそ?そんで、沢山思い出作ろ?な?」
「……ちょっと贅沢な気がするけど、良いわ。なんのかんので、私もデート…嬉しいし。」
「ん。なら、これが、4つ目やな。…さて、最後は…なんにしよーかのー」
腕を組んで思案する藤次に、絢音は少し顔を赤らめて呟く。
「最後のいっこも、アタシ…決めていい?」
「なんや、なんかまだ思い出話があるんか?」
「ううん。違う。約束して欲しいのは…これ。」
「ん?」
なんやと首を傾げる藤次の頬に、絢音はそっとキスをしたので、彼は忽ち真っ赤になる。
「おまっ…いきなりなんな!」
キスされた所を押さえて狼狽する藤次に、絢音は照れ臭そうに微笑む。
「最後の約束はこれ。1日1回のキス。頬でも口でも額でも良いから、しましょ?折角、ずっと一緒にいられるようになるんだもの…沢山スキンシップ…したいわ。」
「お前…」
「ダメ?子供っぽい?」
「いや……ええで…それで…。ほんなら、最後の約束は、1日1回のキ……いや、スキンシップで…」
「キスじゃないの?」
不思議がる絢音に、藤次は顔を真っ赤にして俯く。
「そんなん、恥ずかしわ。第一、キスくらい好きな時に好きなだけしたら、ええやんか。」
「いやあよ。それじゃしない日だってあるかもしれないってことじゃない!1日1回キス!アタシ絶対、譲らないわ!」
「せやけど…」
モジモジする藤次に業を煮やした絢音は、彼からペンを引ったくると、ノートに大きな字で「1日1回必ずキス!!」と書き記す。
「これで5つね。約束…言い出したのは藤次さんなんだから、ちゃんと…守ってよ?」
そう言って笑う絢音が愛しくて、可愛くて、藤次は優しく抱きしめる。
「…分かった。その代わり、絶対余所見、すなよ?言い出しといてなんやけど、お前手にかけるなんて、ワシには辛すぎる。」
「バカね。余所見する余裕あるなら、1日1回必ずキスなんて言わないわ。本当に好きだから、あなたとずっと一緒に仲良くしてたいから、言ったのよ?アタシ。」
「ホンマやな?信じるで…ワシから離れてどっか行くんは、ナシやで?」
「うん。どこにも行かない。ずっと側にいる。…好きよ。あなた。」
「ワシも、お前が、好きや…」
そうして互いの腕の中で見つめ合い笑い合って、さっきのお返しやと言って、藤次は絢音の柔らかな頬にそっと口付けて、抱き合ったまま、西に傾いて来た太陽の光が差し込む窓を見つめながら、もうすぐ始まる新しい生活に、思いを巡らせた。
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