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試運転を兼ねて、近いところをクルージングすることになった。なんて贅沢な時間なんだろう。漁船とはいえ揺れも少なく、船酔いすることもない。水面が近いからずっとキラキラ輝いて、宝石が敷き詰められた床を滑っているみたいだった。
おみは終始ご機嫌で、「おみはうみのこ」という歌まで歌い始める始末だ。
「おみがいないときは、このおふねどうするの?」
「ちゃんとアタシが手入れするけん大丈夫ばい」
「あわーありがとー」
自分の名前を冠した船だ。愛着もひとしおだろう。甲板に転がっては「おそらがきれいー」と喜び、陸が遠くに見えると「やっほー!」と叫び。
勢い余って海に転げ落ちないかヒヤヒヤしてしょうがない。
「りょーた! みて、おさかな!」
「え、どこ?」
「ここー!」
おみが指さした先には小さな魚の群れがいる。宗像の漁師は毎日こうやって魚を追いかけているんだろうな。
船から落ちないよう抱えてやると、安心したのか水面をちゃぷちゃぷつつき始める。船はのんびりとした速度だから、つられて俺達ものんびりしてしまうのだ。
「おしゃかなしゃー」
「呼んでも来てくれないぞ」
「じゅるり……おしゃかなしゃ……」
「ますます来ないだろうなぁ」
よだれを垂らしつつ、相変わらず水遊びに興じている。やっぱり海の子なんだろうな。水の近くはよほど落ち着くらしい。
よく泣くのも、その影響だろうか。
「そういえば、たぎさんも昔は泣き虫だったんですか?」
「何千年も前の話しやん! ちっちゃい時は誰でも泣き虫やろ」
「ふぅん」
おきつさんの言葉から推察すると、多分三人の中で一番涙脆いのはたぎさんだろう。帰らんで! と泣いて引き止めたことは数多く、まるで眠い時のおみそっくりだ。
まあ、神様でも泣きたくなる時はあるよな。
「こう、思う存分泣かしてくれる相手がおるとさ。こっちも甘えてしまうんよね」
「おきつさん?」
「そう。姉ちゃん、一回も泣くなとか言わんかったんよ」
「……なるほど」
それは、なんとなく分かるかもしれない。俺もおみに「泣くな」と言ったことがない。というよりも、言えないのだ。
じいちゃんと離れ離れになって、本家に引き取られ。俺と出会うまでおみはずっと泣くことを我慢していた。実際はみぇみぇ泣いていたそうだけど、我慢しても我慢しきれないものが涙として溢れたものだったから天候への影響が非常に大きい。
異常気象を引き起こす恐れがあるとして、俺が連れてこられた。初めておみと出会った時のことを、俺は忘れられないでいる。
「変に我慢している姿を見ると、こっちも辛くなりますからね」
「そうらしいやん。アタシは漁業を守らないかん。やけ、泣いたらいかん。そう思うんやけど」
「おきつさんの前では意味をなさない」
「そういうこと。おみにとっては涼太がそうなんやろうね」
そうだといいな。俺は、ただ愛情を注ぐことしか出来ない。おみが泣きたい時、受け止めることしかできない。
でも、それがわずかでも救いになってくれていたら。俺はもう、十分に満足だ。
「りょーたー、うみ、きれーだねー」
「綺麗だな」
「おみ、およぎたい!」
「今はダメ」
「みえぇ……」
とはいえ、ダメなものはダメと言うのも俺の仕事。半べそのおみをあやしつつ、優雅なクルージングは続いていた。
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