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1 運転手はチンパンジー?
私はリストラ転職のタクシー会社所属運転手、いわゆる法人タクシー。ようやく個人タクシー資格取得可能の運転手歴10年で、この業界ではまだまだ若手の50歳。
水揚げ次第の歩合給制。年功年齢関係なし、男女格差一切なしの究極的公平平等賃金形態。
だが高収入を得るには、超長時間営業か社長の身内等のコネによる特別待遇が絶対必要。それ以外の一般的な人々には、低賃金の長時間労働で、出世も昇進も夢がないから若者は定着しない。結果として恒常的に人手不足。
タクシー会社は、車が稼働さえすれば儲かる給与形態のため、年中運転手募集中。ある人が言った「二種免許(タクシー免許)さえもってれば、チンパンジーでも雇う」の言葉に真実味がある。そんな業界に吹き寄せられる人々は多種多様。奇人変人悪人と賢人少々。
2 金と共に去りぬ
Aは50代半ば、法人タクシー運転手歴8年。バツイチ独身で社員寮住まい。そんな彼の起こした金銭事件。
30万円入りの茶封筒を、タクシーに置き忘れたことに思い至った男性客、当該会社に緊急連絡。
会社は乗務日誌の乗車の時間、乗車地、降車地を確認しAが特定された。会社側の詰問に徹底否認の後「泥棒扱いする会社なんか辞めてやる」の捨て台詞を残し、去っていった。直ぐに社員寮の彼の部屋へ訪れるも、もはやもぬけの殻、彼の私物は一切残っておらず、その手際のよさに最初から準備万端し腹をくくっていたのが明らかだった。
2日後、競輪場で仲間が見かけたA、普段は100円車券数枚を握りしめ必死なのに、この日は束になった1000円車券を持ち余裕の様子。声を掛けると完全無視し人混みに紛れ、以来6か月間行方不明。逮捕されたとも聞かず、現在に至る。
彼を知る人達は「金が無くなったら、シラーっと別のタクシーでここら辺に顔を出す」と意見が一致。会社が30万円を弁済したのかどうかは、誰も知らない。
3 女性の敵も即採用
Bは40代後半で、成人した息子と妻の3人暮らしの法人運転手。
彼には外見では判断出来ない病気或いは狂気が潜む。
若い女性客を乗せると突然、卑猥で露骨な言葉満載の猥談をどれだけの拒否も抗議も空しく降車まで続ける。泣き寝入りした方も多いと思われる
が、当然ながら抗議苦情がきた。
会社は反省文と謝罪文を書かせ、厳重注意処分を科すが、日を置かず2度目の苦情。解雇を言い渡された時に、彼の妻が涙ながら土下座の謝罪で夫の更生を誓う。
運転手不足の会社は、ついつい許す。それから1ヶ月も堪えられず3度目を引き起こす。そこに至り結局解雇。一部運転手の中で知られていた事だが、彼は既に過去2つの法人で同じ前歴があり解雇されていた。
法人タクシー会社間の連携は極めて薄く、この地域には未だ運転手募集中の20余社があり。彼が近日中に全社制覇のタクシードライバーとなる可能性は大いにある。
4 思い込みスイッチON
女性関係と言えば、個人タクシーのCを忘れるわけにはいかない。
気さくで気易すいお喋りに、うかつに話しを合わせた女性客に対し、「この女は俺に惚れてる」の思い込みスイッチがONに入り、「ホテルへ行こう、ホテルへ行こう」を繰り返し執拗に誘う。
しかも女性一人客に限らない。女性二人客にも積極性は変わらず、二人まとめてアタック。そんな彼だが、女性三人組にはアプローチの素振りも見せない。その理由は「3人相手は身体が持たない」そうだ。この言葉から、女性二人客に対しては、それなりの実績ありと推察される。
容姿年齢ほぼ無制限の広いストライクゾーンのため、知らず知らずに知人や仲間の奥さんが誘惑の被害者になる。殴られて顔をパンパンに腫らして営業しているのはそんな時。それでも一向に懲りない様子。
警察沙汰になった事が無いのは不思議という外に言葉が浮かばない。
5 料金メーター異常なし
個人タクシーDは遠回りのスペシャリスト。
乗客が道不案内と知った途端、彼の頭はフル回転。目的地への最短ルートは先ずカット、赤信号で止まる回数が最多となるスピードを選び、いかに料金メーターを上げるかに腐心。それと同時に、万が一を考え言い訳を用意している。
顧客常連客主体の法人タクシー時代は、この技術をあまり使えなかったが、個人タクシーとなった今、日々研究を重ね益々腕をあげノビノビ悪徳営業に励んでいる。「きょうは、こんなに安く早く着けて良かった。ありがとう」とおっしゃる方は、前回Dのお客さんだったに違いないと、他の運転手は確信している。
タクシーは勤務形態が異なり、一般企業人との友人関係維持は困難になり、運転手仲間が中心になる。しかしながら彼に友人は皆無。彼も全然欲しがっていない。
彼は公言している。「金だけが味方。友達は必要ない、なんのメリットがあるのか俺には分からん」
現在彼も個人タクシー組合に所属しているが、利が無いと見限った時、迷いなく離脱、一匹狼になるのは確実。
そうなれば陸運局以外に彼を制御できなくなるが、余程苦情が殺到しない限りお役所は一個人タクシーにそれ程熱意をみせない。
例え注意勧告や処分を考えた問い合わせには、抜け目なく用意された言い訳で対抗するに違いない。
この人格を創り上げた、彼の過酷な生い立ちや生活環境に同情の余地は充分にあるが、その詳細についてはここでは触れない。
6 超走り屋の女性ドライバー
法人タクシーのEは爆走女性ドライバー。その口癖は「なめられたらアカン」女の運転手だからトロトロ走って時間に遅れたとは言わせないため、いつもアクセル全開で突っ走るが信条。
女性客は女性運転手だと安心したのに、走り出したら一瞬で凍りつき、泣き出して途中で降りたとか、普段文句や口数多い男性客が、降車時には料金支払いも忘れるほどの茫然自失、小さな声で「ジェットコースターの方がまし」と呟やいたとか。
こんな運転でいつまでも無事では済まない。街路樹にぶつけ自身を含め乗客二人を六ヶ月入院させた。死者が出なかったのが奇跡的と思われた事故、車は全壊のうえ、その地域の無線客が激減し会社は大損。
退院後の彼女に会社は当然下車命令、運転手への復帰はなかったが、地理や道路に詳しい事情を考慮したのが表向きの理由で無線室へ配属。
本当は少しでも弁償金を確実にとりあげるためだった。
的確な誘導と滑舌の良さに顧客運転手双方に好評だったが、一つ難点があった。現在地から配車お迎え地点までの予想所要時間があまりにも短く、運転手側の「そんな時間では無茶や絶対無理」の抗議に「私やったら行ける」と冷たく一刀両断。どこまでも強気で男勝りは健在。
7 生涯現役大迷惑
その対極といえるのが、個人タクシーF。高齢の彼は個人タクシーの先駆けてとして知られている。
その超低速走行は、落語「いらち車」の登場人物顔負けのノロノロ運転。
本人は「制限速度厳守は当たり前、法令遵守で無事故無違反、安全運転のお手本」と主張しているが、高速道路利用を要望されるお客さんは乗車拒否。
一体全体どこが法令遵守なのか、重大な法令違反は明らかだが絶対譲らない。
近頃は「急がば乗るな」のタクシーと周知され、呆れられ避けられて水揚げ不振。
そんな彼が新車に乗り換えると聞いたとき、乗客運転手全員が啞然「止めてくれ、まだ続ける気か」と心の中で大合唱。
ご家族も大反対と聞いてるが、彼は近隣で有名な亭主関白。電話口、大声でしょっちゅう奥さんを𠮟りつけている様子から、全然聞く耳持たないのがよく解る。
現行制度の下では、免許更新が可能の間、彼は死ぬまで個人タクシーを続けられる。
所属の組合長や役員達も、彼からみれば若手のひよっこ。箴言忠告は難しい。誰が彼の首に鈴を付けられるのか。無理無理。
8 サイドビジネス大繁盛
奥さんが水商売、看護師さんや美容師さんの人は多く、見方によればヒモと疑われる怠け者がいる。
しかし法人タクシーG運転手、奥さんは専属主婦にも拘わらず水揚げにまるで無頓着。何故なら彼の本業は金貸しで大金持ち。タクシー乗務の理由を聞けば「営業車を無料で使え、経費なしで集金が楽、おまけに零ではない水揚げ歩合と会社所属による身分保障で大助かり」との説明に納得。
会社が彼を受け入れてるのは、多数の所属運転手が彼への返済に迫られ、ズル休みしないから。
過去一度も逃亡や踏み倒しが無い理由は、何かの拍子に見せるその眼光の鋭さにありそうだが、怖くて聞けない雰囲気がある。
真偽のほどは確かではないが、実は会社も彼から大きな融資を受け頭が
上がらない状況という噂。「陰の社長」とも呼べる。時には運転手の後ろ楯になり、セーフティネットの役割を一部担っている。
9 アイドル運転手引退
腕力を必要としないにも拘わらず、まだまだ女性が少ないこのむさくるしい業界に、ある日奇跡的に若くて可愛いHが入社。老いも若きも全運転手が「お嬢お嬢」とチヤホヤ持ち上げ、秘密にしていた独自の仕事ノウハウを教えた。
だが亭主持ちと知れた日、潮が引くが如く手のひら返し。
意外にしたたかな彼女、運転中結婚指輪をはずし、女子大生のバイトホステスのごとき初々しい接客態度。
事情をしらない男性客の指名配車は、ドンドン増加。なかには勘違い男性も現れ、妻の不倫を疑った旦那との喧嘩でちょっとした騒動。
結局彼女は半年で運転手稼業から身を引いた。もし続けていれば一級の運転手になれた。会社は、一日も早く離婚しての、現場復帰を希望している。
伝説の「ただ乗り不可の接待タクシー」と今は呼ばれている。
10 貴人の末裔 天職or天罰?
私が敬称抜きで話せない方、それが個人タクシーのIさん。
ご本家には古代より連綿と続く家系を記した系図が残されている。でもご本人曰く「あれは鎌倉か室町時代にでっち上げされたええ加減な代物で大したことないよ」と一言。
私は「それでも鎌倉室町と言えば凄い血筋じゃないですか。きっと先祖伝来の金銀財宝や壺が家宝で残っているでしょう」と聞くと、「我が家は分家の分家の端っこ。本家の事、詳しくは承知しないが多分何も残っていないと思うよ。強いて我が家で先祖から伝わってると云えば、先祖代々由緒正しい貧乏の血筋かな」と朗らかに笑っておられた。
この上品で穏やかな物腰もあって、多くの上得意を中心の余裕営業、羨ましい限り。
「Iさんにとって、タクシードライバーは天職ですね」と言えば「天職かな?ひょっとすると先祖の悪逆非道による天罰かもしれない、ハッハッハ」と呵々大笑。
11 轍の跡に?
二宮金次郎も驚く読書家で個人タクシーの先輩Jさんの前歴をふとした事で知った。
ある日乗ってきた外国人が通訳を介し、「昨日のタクシードライバーは、
50年前私がOX大学に在学中、その学生寮で暮らしてKと呼ばれていた留学生だった。お互い大変驚いたが、旧交を暖める間もなく降車せざるを得なかった。今日帰国するので、その前に再会を期待してこの乗り場へ来たが叶わなかった。君がもし彼の知人なら、『ビルが懐かしがっていた』と伝えて欲しい」との事。
名字は分からないが愛称のKと年齢、風貌から、Jさんと確信した。
翌日Jさんに報告、確認し、この機会とばかり色々な話をした。Jさんは
化学を専攻し私には理解不能の、高分子化合物ポリマーの研究に勤しんだそうだ。
「卒業後、帰国途上ついフラフラとあっちこっち放浪、そこで怠け病にかかり何度か転職、現在に至った」と聞きました。
私の感心した様子に「口外しないで欲しい。人の噂や話のネタにされるのは嬉しくないので」と釘をさされた。
その日以来Jさんとしばしば談笑し多くの事を教わりました。
膨大な読書量に裏打ちされた柔軟で自由な発想に毎度感心するばかりだったが、強く印象に残っているのは、「私は異端、異説、少数意見の中に真実を見つけるのが楽しみの天邪鬼」と少々自慢気味の言葉。
高齢で廃業される前日、自戒を込めてと断って、「手に入れた知識と情報は、かけがえのない財産。有効活用して有意義な生活を楽しもう」が別れの挨拶。
この本はこの最後の言葉にプッシュされたと言える。
次回あなたの乗るタクシー、運転席に誰が居るのかハラハラドキドキ、 乞うご期待。
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