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「おばあちゃん、おばあちゃんの好きな花火の季節だよ。毎年連れてってくれた花火だよ」
「手前の湖面に少しの屋台と花火が揺らめいて、明かりのない星空花火だったよね」
「わーって声が出るぐらいきれいだったね」
「週末、天気いいんだって」
「また行きたいな、おばあちゃん」
中学生の少女はしわの多い手を握っていた。
ベッドに近づけたパイプいすに座り、肘はベッドに深く沈んでいた。
市民病院は町の丘陵にあった。
少女は昏睡状態の祖母の額にかかる髪をそっと整えた。
「風鈴も買ってきちゃった。他の病室に迷惑にならないように、いつもはテレビの横につけとこかな。でも今日は窓開けて外の風に泳がそうね」
と中学生の孫は窓枠になんとか背伸びしてガラスの風鈴を付けた。
病院の下の、噴水のある公園から蝉の声がきこえた。風はあまりなく、彼女は自分で、涼と印刷された短冊を揺らしてちりんと鳴らしていた。
ベッドの祖母の元に戻り
「おばあちゃん、きこえた?・・・いい音でしょ」
噴水の霧の水滴を含んだ、やや冷たい風が吹き込んできた。
風鈴が鳴った。
短冊はクルクル回って、裏の、早くよくなってねと書かれた手書きの文字が見え隠れした。
風鈴が短冊の願いを音にしてくれたような感じがして
「きっとおばあちゃんに伝わったな」
少女はとてもうれしくなり
動かない祖母の手をとると、しっかり握りしめた。
孫娘が、耳や手にもたらす刺激を呼び水に、昏睡状態の祖母は、いつものように記憶を意識に乗せはじめていた。
―― 「戦争に行っても必ず生きて帰ってきます。私のことはこれっぽっちの心配など要りません。安心してください。もし、戦争から戻らなければ、私のことは忘れてください。他の男性と結婚して、あなたの新しい人生を生きてください。幸せになってください。それが私の望みです。今まで機械ばかりいじってきましたので文字は苦手です。どうやら箇条書きみたいにしか書けません。ごめんなさい。あなたを愛しています」
そう書かれたメモの上に、凛々しい白い制服の海軍将校の青年が鮮明に浮かんでいた。
祖母は言った。
―― 「いつの頃かわかりませんがあなたがはっきり見えるようになりました。どんどんあなたに会いたくなるのです」
涙を拭っていた。
―― 「手を伸ばせば、触れられるのではないかと思えるのです」
―― 「今日は思い切って言わせて下さい。・・・もう、そちらへ行ってもよろしいですか、私?」
―― 「・・・、あなたのお好きなようになさりなさい」
将校の眼差しは真っ直ぐだった。
―― 「もうあなたのもとにまいります。恥ずかしいですが、70年分抱きしめてくれませんか」
―― 「勿論ですとも」
―― 「ですが、今は、あなたの大切なお孫さんが・・・」
―― 「大丈夫です。この子の夢は医師になることです。私の最期をみとるに一番ふさわしい子なんですよ。おばあちゃん子で、とっても可愛い孫なんです」
「あなたならいい女医さんになれます、頑張りなさい」
そう祖母の手から言葉が聞こえてきた。
青年将校の腕に若き日の祖母は包まれた。
病院の廊下に、おばあちゃんおばあちゃんと泣き叫ぶ声が響いた。
看護師の慌ただしい靴の音が行き来する。
風に風鈴の短冊が回っていた。
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