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エピローグ
夢九との別れから早いことで一週間が過ぎた。道端に咲く春は駄物となりはて、桜を過去の記憶としていた。そしてそんな桜に感化されるように、あの島で起きた事件も一旦の終息を見せ始めていた。未だに事件について取り扱うメディアも少なからずあるが、それは週刊誌などの、所謂オカルトなどを扱うような雑誌などで、当初はあれだけ大々的に報じていたテレビなどの大手メディアは今では芸能人の不倫問題やら政治家の汚職やらへと興味を移していた。当然それに伴う世間の興味もそちらへと移っていった。
現金なものだと思ったが、仕方ないとも思った。
誰だって遠く離れた場所で起きた事件よりも、近所の事件の方が気になるように、探偵と言うどこか別世界に生きる人間に関することよりも、それと比べれば幾ばくかは庶民的な芸能人やら政治家やらのことの方が気にもなるだろう。まして犯人が亡くなっているのだから興味を持ち続ける方が難しい。
ぼくはと言えば相変わらず先の見えない迷路の入り口にすら立つことなく、ただ無為に無駄に毎日を貪っていたが、結局夢九のプレゼントを用意しているという言葉を追うように、探偵学園への入学を決めた。
そして今日はその探偵学園の入学式でもあった。まあ、その前に入寮式があるのだが。
本当ならばもう少し早く入寮するはずだったのだが、例のごとく優柔不断なぼくは最終日まで何も決めることができずに最終的には締め切りと言う名の制度に背中をせっつかれて入寮を決めたわけだ。
だから最終日になってしまった。
受付で寮の部屋を確認し、これから三年間を過ごす寮へと向かう。
パンフレットによれば寮は二人部屋らしいのだが、一体どんな人間が同居人になることやら。一応相部屋の人物に関する希望は予め訊かれていたのだが、ぼくはそれらに関することを夢九に任せていた(今思えば夢九が面倒な作業をやってくれるなんておかしいのだが)。だから同居人がどんな人間かぼくには見当がついていないのだ。まあ、夢九よりかはマシな人間性を持っているとは思うが。
しかしそれにしても受付にいたおばさんのあの表情は何だったのだろうか。
おばさん自体は、普通だった。むしろぼくと夢九が住んでいたマンションの管理人よりも話しやすく優しい印象を受けた。
しかし問題はその表情だ。なぜだかぼくが名前を言うや否やどこか憐れむような目を向けてきたのだ。まるで不幸な未来を予知してしまった占い師のように。ぼくがあの事件の生き残りであることは知らないはずだし、一体何故憐れまなきゃならないのだろうか。
そんなことを考えながら歩いていると、二二一と書かれた部屋の前に到着した。そこがこれから過ごす部屋だったのだが、何の因果だろうかぼくと夢九が住んでいたマンションの部屋と同じ番号だった。
部屋の扉は日本風と言うよりも外国風、もっと言えばイギリス・ヴィクトリア時代の建物をまねた造りだ。白い漆喰の壁と焦げ茶色のドアだ。おそらくシャーロックホームズの住んでいたベイカー街二二一Bを意識しているのだろう。学校内にある建物や雰囲気などもどこかあの時代のロンドンを意識した造りをしていた。夢九が見ればきっと呆れていただろうな。
取っ手をつかみドアを開ける。まず目についたのは居間だった。ダイニングテーブルやら机、ソファなどが置いてある。そして居間の両端にはさらに二つの扉があった。事前の説明に従えばそこは部屋と言うことになる。一人一部屋用意されていると聞いていたが、目のあたりにしてみると正に至りつくせりだな。学生に与える部屋とは到底思えない。言い換えればそれだけ期待されているということでもあるのだろうが。
ぼくが部屋に上がると同時に、居間にある部屋のうちの一つが開き、そこから一人の女性が出てきた。
そして女性は何故か試験管を片手に持ちながらこちらに走ってきて
「見つけた! やっと見つけたんだ!」
と叫んだ。
ぼくは咄嗟のことで反応できなかった。いや、咄嗟でなくとも反応できなかったはずだ。
ぼくはその女性を見た瞬間に息をのんでしまった。
何故ならその女性があまりにも夢九に似ていたからだ。
顔は似ていない。女性は軽くウェーブのかかった黒髪に、好奇心旺盛な猫を思わせる大きな二重の目を携えていた。しかしどこかまだあどけない、いや、いっそ子供と言っていいほどに幼い顔立ちをしていた。それに従うように身長を含めた体つきも未だに幼い。どちらかと言えば大人びと顔立ちや体形をしていた夢九とは正反対だった。
それなのに夢九に似ていると思ってしまった。何故だかわからない、この愛らしい顔立ちをした女性をぼくは夢九だと思ってしまったのだ。
「ん? お前は誰だ」
お前。
夢九の二人称は君だった。それだけの差異だがこの女性が夢九ではないと理解する。そして今思うと夢九の二人称が君だったことは、幾ばくか険のある態度を和らげていたのだと実感させられる。
「ぼくは……」
「ああ、答える必要はない。お前が和十巽だろ?」
ぼくが名乗ろうとするのを女性は遮った。
なんて自分勝手な奴なのだろうか。
「ふむふむ」
女性はそう言いながらぼくの全身をくまなく見てくる。
そして
「なるほど」
と勝手に何か納得したように呟いた。
「なんだよ」
ぼくは思わず訊いてしまう。
女性は待ってましたとばかりに笑った。
「お前は外国暮らしが長いな。それと家族とは折り合いが悪く、家出中か?」
その言葉は夢九との初対面時を想起させるものだった。夢九もあの時同じようにぼくのことを言い当てたのだから。
「なんでわかるんだよ?」
「部屋に入るときに靴で上がることを躊躇っただろ?」
「そりゃ靴で上がることは躊躇うさ。日本人なんだから」
ぼくはちゃんと靴を脱いで部屋に上がった。
「日本人ならばそもそも靴を脱ぐことに躊躇ったりしないはずだ。つまり靴を履いて部屋に上がる環境で長年過ごしていたということだ。だから靴を脱ぐことにためらいを覚えたんだ」
確かにその通りだ。ぼくは海外暮らしが長いし、靴を脱がない環境で育ったため今でもつい靴を脱ぐかどうか迷ってしまう。加えて宮代島での生活は、室内でも靴を履くものだった。
「君の言う通り確かにぼくは海外暮らしが長いよ。でも、そもそもとして君はぼくが部屋に上がるのを見ていないだろ? それなのにどうして躊躇ったとわかったんだよ」
彼女が部屋から出てきたのはぼくが靴を脱いだ後だ。ぼくが躊躇ったことなど知らないはずだ。
「そんなの靴の脱ぎ具合や、置かれ方を見ればわかるだろ?」
常識を語るように女性は言うが、普通わからない。
この女性も夢九同様に過程をすっ飛ばして結論を言う人間のようだ。
「どうしてぼくが家族と折り合いが悪く、家出中だと知っているんだよ?」
「荷物が少ないからだよ」
女性はそう言ってぼくの持つ荷物を指さす。
「それだけ荷物が少ない人間は、放浪の旅に出ていた人間か、もしくは極度のミニマリストだけだ。もちろんお前がミニマリストである可能性もあるが、そこは勘にかけさせてもらったよ」
「折り合いが悪いと思ったのはどうしてだ?」
「日にちだよ」
「日にち?」
「まともな親ならばこんなギリギリに子供を寮に入寮させないだろ。そしてそのことと家出中であることをかみ合わせれば、自ずと答えは出るものだよ」
「驚いた。正解だよ。君の言う通りぼくは家族との折り合いが悪く、家出中だ」
本当に驚いた。まさか推理の内容も夢九と同じとは。
女性はぼくのことなどお構いなしに、言葉を付け加えた。
「それと、お前が巻き込まれた事件だが、犯人は守谷夢九だろ?」
今度こそ言葉が出なかった。
その間女性はそう考えた理由など、自分の推理をつらつらと語っていく。
しかし混乱のただなかにいるぼくには、まったく入ってこなかった。
「君は一体……」
混乱の海から何とか顔だけ出せたぼくの口から出たのは、そんな質問にもなっていない言葉だった。
「そう言えば自己紹介がまだだったな」
女性はにやりと得意げに笑う。
「私の名前は調月(つかさき)無玖(むく)だ」
無玖。女性はそう名乗った。
そしてぼくを見ながら
「とりあえずお前は私の助手になれ」
と言って手を差し伸べてきた。
……なるほど。これが君の言っていたプレゼントと言うわけか。夢九。だとしても気が利きすぎだよ。
ぼくは少しの逡巡の後、その手を取った。
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