第二章 一日目 その⑧

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第二章 一日目 その⑧

「閖は詳しいんだね」  今の情報はただネットで調べただけでは、手に入らない類いのモノのように思えた。 「現地の人から聞いたんだよ。やっぱり探偵は情報が命だから。ああ、もちろん対価はちゃんと支払ったよ。体でね」  そう言って閖は旨を殊更アピールしてくる。  未成年の閖に手を出したとなれば、犯罪になるのではないだろうかと思ったが、何も相手が成人しているわけではない。同い年の人間だっているのだ。それに例え成人した相手だろうと、合意のうえならば問題はないのだろう。 「いいの? そんな情報をぼくなんかにタダで教えて」 「対価を望んだら何かくれるの?」    閖は怪しげな目でぼくを見てくる。  その迫力に押されてぼくは思わず、後ずさってしまう。 「ははっ。冗談だよ。今の情報なんてここに集まった人間なら皆知っているだろうしね」 「そうなの?」 「きっと依頼がきた時点で調べているはずだよ。中にはわたしなんかよりも詳しい人間だっているだろうね。むしろ巽君が知らないことの方が驚きだよ」  考えてみれば、そうなのだろう。  あの面倒草がりの夢九だって、いつも事前に調べていた。今回の事件に限らず謎に挑むときはある程度情報を集めてから挑んでいた。そしておそらくは今回も調べているのだろう。あの子供のような探偵は、いや、夢九に限らず探偵は謎を前にすると信じられないほどのバイタリティを見せるのだから。    だからむしろ閖の言う通り知らない方がおかしいのだ。  依頼によって陸の孤島に訪れるというのに、何も調べずにのこのことやって来たぼくは、さぞ滑稽なのだろう。    ただぼくにも言い分はあった。ぼく自身は興味がないのだ。謎や事件に。  もちろん考えたりはする。どんな風に事件が起きたのか、何故事件が起きたのかは考える。しかしそれは あくまでも人並み程度だ。ニュースで流れる事件を眺め、暇つぶしに推理する程度の興味しか無いのだ。謎や事件を解決することに命を捧げているような探偵と比べられることすら烏滸がましい。    じゃあ、なんで探偵のまねごとをしているのかと問われれば、それは単に反抗をするためだ。体に流れる血に反抗するためだけに探偵の真似事をしているだけなのだ。 「巽君はあまり興味無いみたいだね」 「ぼくは探偵じゃないからね。皆のように謎を解きたいと思うような衝動が湧かないんだよ」 「べつにわたしだってそんな衝動はないよ」 「そうなの? じゃあ、なんで探偵を目指しているの?」 「うーん。なんとなくかな。気づいたら探偵を目指していたんだよ」    意外だった。探偵は謎を解き明かすことに生涯を捧げるようないかれた人間ばかりだと思っていたから。 「あ、でも強いてあげるなら、謎を解いた時の快感を味わいたいからかな」 「快感?」 「そう。謎を解いたときってのはね、どんな性行為よりも気持ちが良いんだよ」    閖は恍惚とした表情を浮かべながら自分の体を激しく抱きしめる。 「全身に流れる血が、わたしの体を内側から愛撫してくれるんだ。優しく、時に激しく、そして時にはいじらしくね。あの時の感覚と言ったら、どんな性行為よりも、どんな自慰行為よりも気持ちいいんだよ。たぶん謎とわたしの相性が良いんだろうね。――ああ、でもそう言う意味では、わたしも謎を解きたいって衝動があるのかもね」  いくらなんでも不純すぎると思ったが、しかし思い返してみれば探偵とはそんな人間たちだった。  中には正義感を持っている人間もいる。いや、大半が正義感を持った人間たちだ。一つでも事件を解決しようと一生懸命になっている。    しかし中には、正義感など持たない、自分のためだけに謎を解こうとする人間もいる。  おそらく謎によって得られるモノがあるのだ。  閖ならば、快感を。  夢九ならば、好奇心を。  他にも地位や名声、お金なんかもある。    そしてそんな、自分のためだけに探偵をやっている人間ほど、優秀な人間が多い。だからこそ世間では探偵は変わり者が多いと言われてしまうのだろうが。  要するに探偵とは、自分勝手で変人なのだ。    だからそう言った意味では、閖は探偵らしいのかもしれない。  それにどんな動機だろうと、動機を持っているだけマシだ。野良猫のようにあてもなく放浪するぼくと比べれば遙かに立派である。  それからしばらく代わり映えのしない景色を横目に歩いていたが――突然景色が代わる。  桜だった。  桜の老樹が枝先に生け花のように淡いピンク色の蕾をつけ、それまで平凡だった風景が春色に染め上げられた。  もしかしたら逆なのかもしれないと思った。海に浮かんだ花びらは、春を知らない島に春を知らせようとしているのだとあの時は思った。しかし逆なのだ。この島から春は運ばれていたのだ。本土に、いや、日本全体に。  もちろんそれは錯覚だ。だが、そう錯覚してしまうほどに、目の前の桜は春を内包しているのだ。  ぼくと閖は自然と桜の木の下で立ち止まっていた。 「ねえ、巽君」  閖の声はいつもの快活とした声とは違い、どこか硬かった。  そしてその表情もまた硬い。 「もしわたしが死んだらここに埋めてくれないかな」 「死ぬ予定でもあるの?」 「いや、ないよ。だけどなんとなく死んだ後は、ここに埋めてほしいと思ったんだよ。ほら、桜の木の下には屍体が埋まっているって言うしね」 「あれは、嘘だよ。桜の木の下には屍体なんて埋まっていないよ」    ただ小説にそう書かれていただけで、実際に埋まっていることはない。 「そうなの? でも、わたしは屍体が埋まってると思いたいな」 思うではなく思いたい。まるでそうあってほしいような言い方だ。 「どうして?」 「だってこんなに綺麗なんだよ。それぐらいの曰くがあってもいいじゃん。いや、むしろないと釣り合わないよ」 「桜はすぐに枯れる。それで釣り合いがとれているんじゃないかな?」 「わたしからすればそれも羨ましいんだよ」 「桜と人間は似ているよ」  気休めでぼくはそう言った。 「似てないよ。人は生きれば生きるほどに醜く染まっていくんだ。だから死体は臭いんだよ。内側にたまった醜さが死に際して表に顔を出し始めるから。でも、桜は違う。桜は綺麗なまま散っていくんだ。綺麗な思い出と共にね。――だからわたしも死んだ後ぐらいは、綺麗になりたいんだ」  そう語る閖は今まで見た中で一番美しく、一番儚い表情だった。  何か気の利いたことを言うべきなのだろう。  閖は綺麗だよ、とか、人は醜くないよ、とか言うのが正解なのかもしれない。  だけどぼくは結局 「閖が死んだ後は、桜の木の下に埋めるよ」 と言った。  ぼくに気の利いた科白は似合わない。いや、似合わないのではない。相応しくないのだ。例えぼくがどんな綺麗な科白を吐いたところで、相手は映画の科白を聞いているようにしか思えないはずだ。シナリオや、演出や、演技力などは充分だ。しかし所詮は台本に記された科白。どんなに上手く取り繕っても、虚構でしかない。  だからそう言うしかなかった。 「閖はどこの高校に行くの?」    話題を変えるようにぼくは訊いた。 「東京の探偵学園だよ。たぶん今日来ている人間の殆どがそうなんじゃないかな」    探偵学園は東京、京都、名古屋、神戸の四校がある。 「巽君は?」 「ぼくも東京の探偵学園だよ」    理由はなかった。ただ夢九が入学するからぼくもついていくだけだ。 「おー。じゃあ、春からは同級生だね。よろしく」 「よろしく」    笑顔でそう答えたが、内心では複雑な気持ちが渦巻いていた。  入学前の段階で友人が出来たことは僥倖と言える。生来コミュニケーションというモノが不得手なぼくからすれば、一から友人を作らずにすむのだから、それだけで島に来たかいはあった。    しかし閖以外の人間、要するに今回集まった気難しげで変わった人間たちとも同級生になるというのだ。別に関わらなければいい話なのだが、世の中そう甘くはない。一度出来た縁というのは、人が思うよりも濃くて重いのだ。特に今回は島で一緒に生活したという、他とは一線を覆すほどの強い縁が出来てしまった。  入学前に知り合っただけでも縁が出来ているというのに、その上そんな縁まで結んだとあっては、関わらないという事は出来ないだろう。
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