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第一章 探偵と助手 その②
守谷夢九がどんな人物かと訊かれたとき、ぼくの脳内には必ずと言って良いほど変な人間だという言葉が思い浮かぶ。
奇奇怪怪で妙ちきりんな事件や出来事に出くわしたときに彼女は、驚くべき推理力や記憶力、思考力を持ってまるで絡まった糸をハサミで切るようにあっという間に解決してしまう。その様にぼくはいつも尊敬の念を抱かされるし、観客としてそれを見ている人間は必ずと言って良いほどに魅了される。しかしそれは優劣の差あれど探偵ならば一様に持っている能力であり、あくまでも守谷夢九という人物の一面に過ぎない。
彼女の本質はつまるところ飽くなき好奇心と探究心なのだ。それこそが守谷夢九と言って良いほどだ。
例をあげるならば、彼女は実験と称してぼくの朝食に毒を盛ることがしばしばある。しかもその度にぼくはお腹を壊しトイレと一日中付き合う羽目になるのだが、彼女は反省するどころか、そんなぼくをモルモットでも見るかのように観察を始めるのだ。他にも死体があった場所に寝転んだり、ぼくのパソコンを使い有名企業にハッキングをしかけたり、現場から盗んだ拳銃で自宅の壁に穴を開けたり、会いたい死刑囚がいるからと刑務所に忍び込もうとしたりなど彼女の変人エピソードをあげればきりがない。大晦日の朝から彼女の話を始めれば、おそらく年が明けてしまうだろう。
ただぼくはそんな彼女に対して一度もその奇怪な行動を辞めるようには言わなかった。もちろんぼくに迷惑がかかることは辞めろと言うが、それ以外はある意味で黙認するどころか手伝ってさえいた。
それは彼女の変人的で奇怪な行動はその根本に飽くなき探究心と好奇心があることを知っているからだ。毒を盛るのもあくまで、どんな効果をもたらすか知りたいという欲求故の行動であり、死体があった場所に寝転ぶのも、死体の目線に立ち、死の間際に何を見たかを知るためだ。それがあるからこそ、彼女は数々の難事件を解決してこられたのだ。その行動を辞めさせてしまえば、きっと彼女は守谷夢九ではなくなってしまう。
だからこそぼくは傍若無人な仕打ちにも耐えられるし、理不尽な扱いにも根を上げずに付き合いを続けてこられたのだ。
さて、そんな変人で天才の守谷夢九と、生まれ以外は平々凡々なぼくがどうして行動を共にしているのかというと、一年ほど遡る必要がある。
それまで親やその同僚たちの指示に従って生きてきた上に、人間の真似が下手くそだと友人から言われていたぼくだったが、齢十四にして人間らしく、それも思春期の少年らしく反抗期が到来し、その末に家出をしたのだ。
目的もあてもなく衝動の赴くままに家出をしたぼくは追っ手に気を配りながら、ただ日本という島国を放浪する羽目になり、半月も経たないうちにほとほと困り果てる結果になってしまった。
彼女と出会ったのはそんな時だった。
ある日、ぼくはつまらない事件に巻き込まれてしまった。テロリストによってショッピングモールが占拠されてしまうというとてもくだらない事件だ。
たまたまショッピングモールを訪れていたぼくは人質の一人になってしまった。
ただだからといってどうと言うこともなかった。
日本の警察は優秀だ。助けが来るまで適当に目立たないようにしようと、早々にぼくは軟弱で他力本願な決意を固めた。
しかしその決意は第三者によって、しかも犯人ではない人間によって崩れ去っていった。
その日偶々ショッピングモールに赴き、偶々事件に巻き込まれ、偶々人質としてぼくの横に座っていた守谷夢九によって。
初めて夢九を見たときぼくは言葉を失った。それまで異性とは、騙し、騙され、利用し、利用される、それこそスパイのような歪な関係でしか関わりを持つことが出来なかったぼくにとって、彼女の美しさはあまりにも現実離れしていたためかまるで絵画を見ているような気分に陥ってしまったのだ。
つまり彼女はぼくにとって初めて邪な心なしに見惚れることが出来た女性だったというわけだ。
そしてそれはぼくにとってみれば、筆舌にしがたいほどの衝撃だった。
それまでどちらかと言えば耽美主義だったぼくは、彼女を見た瞬間にその主義を変えざるを得なくなってしまったのだ。
正に女神のような人間だと思った。
しかしその女神は悪魔だった。それもぼくを厄介ごとに巻き込ませる。
彼女は見惚れていたぼくを睨み付けながら
「手伝え」
と言ったのだ。
ぼくはすぐに言葉の意味を理解した。彼女はつまり事件を解決するためにお前も手伝えと命令してきたのだ。思えばこのとき既にぼくと彼女の主従関係は出来上がってしまっていたのだろう。
もちろんぼくは断った。日和見主義に加え正義感を母親のお腹の中に置いてきてしまったぼくは、無駄なことをする気がなかったのだ。いくら相手が美少女だからと言って長年染みついた腐った根幹はそう簡単に変わらない。
しかしぼくの意思など彼女には関係がなかった。嫌がるぼくを巻き込むように、彼女は行動を起こしたのだ。
結果ぼくは手伝わざるを得なくなり、なんとか無事に事件は解決した。
正に悪魔そのものだった。
絶対に関わってはいけない類いの人間だと思った。
しかし彼女のほうはそうではなかったようで、事件が解決すると共にぼくに向かって
「私のワトソンになれ」
と言ったのだ。
平々凡々なぼくだったが、彼女のお眼鏡にかなうほどには能力があったようで、要するに助手になれと誘われたのだ。
そして彼女はその類い希なる推理力や観察力を持ってぼくが家出中であることや、厄介な家の生まれであること、そして根無し草であることを言い当て、その上で生活を保障することまでも提案してきたのだ。
「どうしてワトソンなんだよ?」
ぼくは訊いた。
へースティングスやフランボウなど、助手と言えば他にもいるだろう。それにわざわざワトソンなんて言い方をせずに、助手と言えばいいだろうと思ったのだ。
そんなぼくに彼女は堂々と答えた。
「私がシャーロックホームズの子孫だからだ」
ポワロやコロンボ、日本では明智小五郎や金田一耕助など過去に実在した有名な探偵は後世に語り継ぐために推理小説として描かれているが、その中でもシャーロックホームズは別格だ。
史上最高の探偵と言われ、憧れを一身に集め、探偵の始祖とも呼ばれる存在だ。そのためかシャーロックホームズの血縁を語る愚か者は多数存在する。
彼女もそんな愚か者の一人だと思った。
だが、すぐにぼくはそれが真実だと悟った。根拠も何もないが、彼女はシャーロックホームズの子孫であるとぼくの体に流れる血が訴えかけていたのだ。
そして真実だと理解すると同時に、ぼくが彼女に惹かれた理由がわかった。
気づけばぼくは、
「わかった。ぼくは君のワトソンになるよ」
と答えていた。
べつに彼女に惚れただとか力になってあげたいだとか思ったわけではない。
ただ彼女といる間は、ぼくはワトソンでいられる気がしたのだ。
こうしてぼくと彼女は生活を共にするようになり、探偵と助手という関係に至ったのだ。
そしてそれは一年経っても続いていた。
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