第二章 一日目 その①

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第二章 一日目 その①

 迎えた当日。ぼくと夢九はE市へ向かうため電車に乗り込んだ。  目的のE市はぼくらが住む街から二県ほど離れており、そのため今朝はいつもよりも早い起床で、目の前に座る夢九は先程から眠そうに何度も目をこすっていた。 「そんなにこすったら、目を傷つけるよ」 「眠いんだから仕方ないだろ」    夢九は不機嫌そうに睨んでくる。 「だったら寝れば良いだろ。着いたら起こしてあげるよ」 「他人がいるところで眠れるわけがないだろ」    そう言って夢九は半開きの目で乗客を見回し、何をされるかわかったものじゃないと付け足した。  そう言えばそうだった。この見た目だけは大人な探偵は、まるで警戒心の強い猫、あるいは戦時中の兵士のように、他人が側にいると途端に警戒心を露わにするのだ。 「暇だから何か面白い話をしろ。とびっきり笑える話をな」    例のごとく傍若無人を発揮し、夢九はそんなことを言い出す。 「そんなポンポンと面白い話が出来るなら、ぼくは今頃芸人か落語家にでもなってるよ」 「私相手になら、簡単なことだろ」 「どうしてさ?」    ぼくは夢九の言葉の真意がわからず、訊き返す。  いつも仏頂面の夢九を笑わせることほど難しいことはないだろう。 「君が振られた話をすればそれだけで私は腹を抱えて笑い、その上拍手までしてやるからだ」    想像を超えるほどひどい発言にぼくは絶句してしまう。しかも実際に夢九が腹を抱えて笑う姿が想像できるので、なおさらひどい発言だ。 「なんで振られたんだっけ?」    夢九は意地の悪い笑みを浮かべる。 「だからそれは――」 「はははははははっ」    ぼくが答える前に夢九は腹を抱えて笑い出した。  様子を見るにぼくが振られた理由も知っているのだろう。その上で訊いてくるとは相変わらず性格が悪い。  夢九は満足したのか、いつも通りの仏頂面で言う。 「前から思っていたが、君はなかなかに惚れっぽいよな」 「そりゃあ、ぼくはワトソンだからね」 「は? 君がワトソンであることと惚れっぽいところがどう関係しているんだよ?」    夢九は不思議そうに首をかしげる。 「君はホームズの子孫だ。そんな人間の隣にいるんだから、ぼくは誰よりもワトソンじゃなければいけないだろ」 「つまり、君はワトソンらしく振舞うために、演じてたってことか?」 「まあ端的に言えばそうだね」    ぼくはどこか歯切れ悪くうなずいた。  ワトソンと言えば、誠実で包容力があって几帳面な反面、慎重さが欠如していたり、惚れっぽかったり、金銭的に大雑把だったりと一般的に考えられているほどに、単純ない人物ではなかったそうだ。    そしてだからこそホームズの傍にいることが出来たと言われている。  だからぼくも夢九の隣にいるためにそうあろうと、ワトソンのようにいようと演じた。    しかしいくら演じようともぼくはワトソンにはなれなかった。当然だ。元来のぼくの性格や生い立ちはワトソンとは正反対だったのだから。  それでも無理に演じようとした結果、どこか歪で側だけのワトソンが出来上がってしまったわけだ。 「どうりで気持ち悪いと思ったわけだ」    夢九も同じように思っていたらしい。 「君がワトソンになれって言ったんだろ」 「言葉の綾だ。別に私はそこまでは求めてない」 「だったらもっと早くに言ってよ」 「……もし私がホームズの子孫でなくなったらどうするんだよ」    夢九が少しだけ声を低くして訊いてくる。 「子孫である事実は変えられないだろ」    ぼくも夢九も変えることはできない。たとえ死んだとしてもだ。 「例えばだよ。その時も君はワトソンっぽくあろうとするのか?」 「そうだね。……もしそんなことになれば、ぼくはぼくでいようとするんじゃないかな」 「……そうか」    そう言って夢九はどこか寂しそうな表情を浮かべて窓の外へ視線を向けた。    珍しい表情だ。もう一年ほど夢九と一緒にいるが、そんな表情を夢九が浮かべるのは初めてのことだった。だからだろうかその表情に少しだけ嫌な予感を覚えた。なんだかこのまま夢九がいなくなってしまうような気がした。  いや、気のせいか。  ぼくは無理やり嫌な想像を頭から追い出す。  夢九が眩しそうに眼を細めたので立ちあがり窓にぶら下がるブラインドを閉めた。ブラインドを閉める直前に見えた景色は、先程までの退屈な田舎景色とはうって変わって海一色だった。 「そう言えば、昨日夜遅くまで起きていたけど実験でもしてたの?」    夢九の部屋からは日付が変わり、太陽が顔を出すまで光が漏れていた。 「ん? ああ、本を読んでたんだよ」 「本?」 「今日から陸の孤島に行くからな。その復習と予習だよ」 「サバイバル本でも読んでたの?」    夢九は基本的に何でも読む。それこそミステリーから魔術書と幅広く。  だからサバイバル本を読んでいてもあまり驚きはなかった。 「いや。『そして誰もいなくなった』と『十角館の殺人』だ」 「チョイスが物騒すぎないかな」    どちらも舞台が島で、人が死んでいく内容だ。今から島に行くというのに、それらの本と同じような出来事が起きたらたまったモノではない。 「何言ってるんだ。島に行くんだぞ。むしろ他に何を読んで復習をするんだよ」 「小説のような事件がそうそう起こるわけがないだろ」    というよりも起きてもらっては困る。
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