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第六章 そして、探偵はいなくなった その⑧
「次はぼくから訊いてもいいかな? 確認したいことがいくつもあるんだ」
ぼくはどこかしんみりとした感情を消すように話を変えた。
「ああ、構わないよ。もとからそのつもりで君を呼び出したんだからな」
「いつから気づいていたの? 黒井美紀の存在に」
ぼくの予想では閖が殺された後だったが、夢九の答えは予想を裏切るものだった。
「違和感を覚えたのは、黒屋敷に入った時だよ。空き室があるのに部屋が足りないって言ってたからおかしいと思った。それでもしかしたらと考えて、罪可が殺されたことで黒井美紀がいるんじゃないか思ったんだ」
それだけで気づけるのは世界広しと言えど夢九ぐらいだろう。正に天才的な観察力に洞察力だ。ご先祖様譲りだとしても、やはりすごい。
「で、明確に気づいたのは上代が殺された時だ。上代を殺す犯人の姿を見てしまったんだ。君の推理通り風呂場でな。おそらく上代は偶然見てしまったのだろうな。黒井美紀を」
「よく殺されなかったね」
夢九ならばたとえ相手が刃物を持っていようが、対処はできたはずだ。しかしだとしても危険だったことには変わりない。よく無傷で、それも協力者にまでなれたものだ。
「初めは私を殺そうとしていたよ。刃物で切りかかられる寸前だったさ。だが、少し会話をした後すぐに私が敵でないと理解して、協力者になったんだよ。やはり対話は大事だな」
「なんて言ったの?」
興味があった。一体夢九がどんな言葉をかけたのか。
「なに、私はただ『ここに集められた探偵たちも罪可と同じようなことをしているぞ』と言っただけだ。そして『私はシャーロックホームズの子孫で悪いことが許せない。だから協力しよう』と言ったらおちたよ」
その時点で夢九はまだ罪可さんの罪について知らないはずだが、おそらく黒井美紀相手にホットリーディングやコールドリーディングを使って聞き出したのだろう。
「悪魔だね」
まさに悪魔だ。黒井美紀の復讐心を煽るような情報を与え、自分自身が味方であることや信頼に足る人物であることを伝える。過去のことで探偵が信頼できない黒井美紀でも、同じように今の探偵を憎みその上あのシャーロックホームズの子孫である夢九のことは信頼せざるを得なかったのだろう。
「そっちの方は君の得意分野だろうが、私も捨てたものではないだろ?」
ぼくは夢九の言葉に何も答えなかった。
「その後は君の想像通りだよ。黒井美紀に中禅を殺させた後は、私の代わりにするために黒井美紀を殺し、楽椅を殺害し、人形館に火をつけて轟にハンカチに付着した毒を吸わせて殺害し、そして最後に自殺と見せかけて鈴無を崖から突き落とした」
夢九はあっさりと自分が楽椅や轟、そして鈴無を殺したことを認めた。
「外部犯だと思わせたり、内部犯だと思わせたり、挙句の果てには轟の犯行に思わせるように犯行を行わせたのはぼくらを混乱させるため?」
「もちろん君たちを混乱させる狙いもあったよ。だが、それ以上に信じ込ませるためでもあった」
「信じ込ませるため?」
「人は嘘の後に出てきた答えが真実だと信じ込んでしまう傾向にあるんだ。たとえそれが嘘でもな」
「なるほど」
実際に鈴無がそうだった。初めは外部犯を疑っていた鈴無だが内部犯でも犯行が可能であるとわかり、そしてそれが轟にしか不可能だと考えた途端に他の可能性を疑うことをやめてしまった。それ以上思考を回すことをやめてしまったのだ。
「じゃあ、次の質問。閖が殺された夜ぼくと話をしたのは、黒井美紀が帰ってきたときの音に気づかせないため?」
黒井美紀が屋敷内に戻るためには、玄関のドアを開けなければならないが、誰かが起きていればその音を聞かれてしまう可能性がある。そしてあの夜ぼくは起きていた。だから夢九は音に気づかせないためにぼくと会話をしていると思ったのだが、どうやら違うようだ。
「いいや、あれはただ暇だったから話しただけだ。考えてもみろ。たとえ君が気づかなかったとしても、他の人間が起きていたら気づかれるだろ。実際轟は起きていたのだから」
そう言えばそうだった。ぼく自身が轟にそう言ったのだった。
「じゃあ、黒井美紀はぼくらが屋敷から出た後に戻ったってこと?」
「ああ、君が鈴無を犯人として推理したまんまだよ」
つまり中禅以外の犯行方法を夢九に置き換えればいいわけだ。
罪可さんはフラノクマリン類の過剰摂取による薬害で殺害。閖は黒井美紀によって風呂場で殺害後に、階段付近まで運ばれる。マスターキーを使って部屋へ入り中禅を殺害後、鍵を閉めて密室をつくる。黒屋敷が炎上するとともに、黒井美紀は夢九に殺害される。人形館で二階のダクトから送られる一酸化炭素で、楽椅は殺される。予めしみこませた毒を轟に吸わせて殺害。そして最後に自殺と見せかけて鈴無を崖から突き落す。
「その鈴無だけど、鈴無に犯行をかぶせたのはどうして?」
正確に言えばかぶせたのはぼくだが、元をたどればそう指示を出したのは夢九だ。
「君はどうしてだと思う?」
逆に質問で返される。
ぼくは少しだけ考える。なぜ鈴無だったのか。間違った推理をさせるため? 鈴無に間違った推理をさせて、あたかも罪をかぶせようとしていたように見せるためだろうか? いや、それだと他の人間でも可能だ。
考えにつまった時は、考え方を変えるべきだ。
なぜ鈴無だったかではなく、他の人間ではなぜダメだったか。
それはつまり鈴無にしかない何かがあったということだ。鈴無にあってほかの人間にないモノ。
……そういうことか。
「……探偵社会にひびを入れるため?」
「正解」
夢九は頷いた。
「前にも言ったが、私は今の探偵が嫌いだ」
今の探偵は本物の探偵ではない。夢九は確かにそう言っていた。
「今の探偵はどいつもこいつもつまらない偽物だ。そしてそんな探偵の存在を容認している元凶はこの探偵社会だ。探偵に規則を求め、正しい人格を強制する。そんなのもう探偵と呼べないだろ。だからこそこの探偵社会にひびを入れてやろうと思ったんだ。そしてひびを入れるために、一番手っ取り早いのは、疑わせること。信じていたはずの探偵が、信じるに足らない存在かもしれないと疑わせること、それこそが私の目的だ」
「なるほど」
そのためには鈴無はうってつけの存在だろう。代々続く探偵一家でもあり、誰よりも社会が求める今の探偵像を体現しようとしている。正に今の探偵社会の象徴のような存在だ。そんな人間が殺人をそれも複数人を殺害すれば、当然社会は混乱する。夢九の言う通り探偵に疑念を抱く。
「でも、それだけで変わるほど今の社会は脆くはないよ」
確かにひびを入れることは出来た。実際に今回の事件は連日テレビや雑誌に取り上げられ、中には探偵の存在に疑念を抱くような論調もある。しかしそれは一過性に過ぎない。数日たてば忘れられるし、ひびはすぐに上から塗装されより強固なものへと変えられる。全く無意味だとは言わないが、少なくともここまでするほどの意味があるとは思えない。
「わかっているさ。私もこんなので今の探偵社会が変わるとは思っていないし、何より今の私にとって探偵がどうなろうと関係ないからな」
そんな程度の考えで罪をかぶせられたんじゃ、鈴無も浮かばれないな。しかも文句も言えない。鈴無は夢九に負けたのだ。探偵として犯罪者に敗北した。たとえ生きていたとしても何か言う権利もないだろう。
「次の質問だ。ぼくが気づかなかったらどうしていたわけ?」
夢九の計画はおそらく黒井美紀の凶行を目のあたりにした瞬間に出来上がったものだ。しかしそれにはぼくが協力することが必須だったはずだ。夢九が死んだことを証言し、さらに轟に虚構まみれの推理を聞かせ、ノートに記録させる。そしてその上で生き残り、警察や探偵にノートに記された内容の信憑性を高めるための証言しなければいけないのだから。
仮にぼくが計画に気づかなければ、鈴無の推理が真実とされてしまい、轟のノートの信憑性がなくなってしまう。犯人が書いたノートなど誰も信じないはずだ。それどころか島で起きた出来事すらもわからなくなる。
つまり計画を完璧にするには夢九に都合のいいように嘘の推理を語り、さらに生還できる存在がいなければいけないのだ。
「さっきも言っただろ。君なら気づいてくれると思っていたと。気づかない可能性などはなから考えていなかったさ。実際君は気づいたうえで、私の考え通りに、いやそれ以上の働きをしてくれたんだからな」
「そう考えるとぼくらは探偵と助手としてしっかりと連携をとれていたんだね」
「ああ、そうだな」
探偵と助手としては理想の形だ。言葉などなくとも互いの考えを理解し、有利に進むように行動していたのだから。だが、中身を見れば最悪だ。犯罪者と犯罪者の助手だ。
そのことについて夢九はどう考えているのだろうか。
わからない。ぼくにはいくら考えてもわからない。意図は読めても何を考えているかはぼくも、おそらく夢九もわからないのだろう。
でも、だからこそぼくはここに来た。
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