第六章 そして、探偵はいなくなった その⑨

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第六章 そして、探偵はいなくなった その⑨

「質問は終わりか?」 「いや、最後に一番訊きたかったことが残っているよ」    正直に言えば今までの質問はどうでもよかった。ただ一時でも探偵役を務めた責任を果たすために質問をしただけだ。いつものぼくならば興味も持たなかったし、訊きもしなかっただろう。  ぼくが訊きたかったのはただ一つだけ。 「夢九はどうしてこんなことをしたの?」    それだけが訊きたかった。いくら考えても夢九がこんなことをする理由が思い浮かばなかった。誰よりも探偵らしいと思っていた夢九が、ぼくが最も唾棄する犯罪者になってしまった訳を知りたかった。いや、言い訳をしてほしかったんだ。 「どうして、か……」    夢九はそう呟き、窓の外の月を見上げる。月の妖しい光が夢九の目と混ざり合う。 「君と同じだよ」 「同じ?」 「君が自分の体に流れる犯罪卿の血を否定しようとしているように、私もこの体に流れる探偵の血を否定したかったんだよ」 「……いつから気づいてたの?」    ぼくがジェームズモリアーティの子孫であることは一切話してないし、いくら調べようとも出てこないはずだ。 「仮にも終生のライバルだ。君を見た時に体に流れる血が教えてくれたよ」    ああ、そういうことだったのか。今更になってわかった。夢九を初めてみた時に胸が高鳴ったのは、ただ血がそうさせただけだ。いや、本当は気づいていたんだ。気づいていたが、気づかないふりをしていた。この想いだけはぼくのモノだと思いたかったんだ。 「わかっていながら、ぼくを助手にしたんだ」 「私にとって一種の反抗だったのさ。ホームズの子孫とモリアーティの子孫が探偵と助手になるなんて、これ以上ないほどの反抗だろ?」 「確かにこれ以上にないほどの反抗だ」    先祖泣かせここに極まりだ。 「でも、だったらこのまま反抗を続ければいいだろ? わざわざ危険を犯す必要はないじゃないか」 「そうだな。正直に言えばそれも悪くないと思った。このまま探偵と助手として君とずっといるのも悪くないと思ったよ」 「だったら――」 「だが、それじゃだめだと気づいたんだ」 「何も駄目じゃないだろ」 「駄目なんだよ」 「何が駄目なんだよ?」 「私が探偵である限り、私は私になれない。守谷夢九にはなれないんだ」 「ぼくは君を守谷夢九として見ている。ホームズなんて関係ない」 「知っているよ。君が私をそう見ようとしてくれているのはな。だが、君がそうでも他は違うだろ?」 「他の人間なんてどうでもいいだろ。例え他の人間が君をホームズの子孫として見ていようとも、ぼくは君を守谷夢九として見ている」 「随分と熱烈な告白だな」 「告白だよ。ぼくは君にずっと憧れていたんだ。誰よりも自由な君みたいになりたいとずっと思っていた」 「私もだよ」 「え?」    予想もしていなかった言葉にぼくは訊き返してしまう。 「君が私に憧れてくれるように、私も君に憧れているんだよ」 「嘘だ。ぼくのどこに憧れる要素があるんだ」    卑下ではない。純粋に客観視した結果だ。ぼくに憧れる要素なんて何一つないし、憧れていいところなんて一つもない。 「少し前に、君は環境も遺伝だと言っていたな」    宮代島での初日の夜にぼくと夢九は、人の性質は遺伝するかどうかを話した。そのことを言っているのだろう。 「その通りだよ。私は親の指示通りに、血の命じるままに探偵をやっていたんだ。だからといって別に探偵が嫌いなわけではないさ。でも、それすらも私の意思でない気がしてならない。私という人格は、そうなるように作られたと思えてしまうんだ。君は私を自由だと言ったが違う。私は自由の意味を知らないでそう振舞っているだけなんだよ。だけど君は違う。私と同じような境遇でありながら、自分の意思で生きている。例えそれが反抗だろうと、自分の意思で抗っているんだ。そんな姿が私にはどうしようもなく羨ましくてまぶしかった」    探偵をしている限り、夢九は夢九になれない。永遠にホームズの子孫だ。かと言って探偵をやめることは、世界が許さない。  だから死の偽装をし、探偵から最も遠い犯罪者になった。犯罪者になることでしか、夢九は夢九になれなかったから。それほどまでにホームズの子孫という肩書は重いのだ。    ぼくも同じだったからよくわかる。ずっとモリアーティの子孫として見られてきた。犯罪者を束ねる存在として見られてきた。ぼくの意思とは関係なく。世界がそれを望んでいたのだ。そしてその意思から逃れる方法は一つしかなかった。 「……ぼくのせいなのか?」    まただ。 「……君にそう思わせてしまったのは、ぼくのせいなのか?」    また人の人生を狂わせてしまった。これで何度目だ。数えるのもばからしくなるほどに人の人生を狂わせてしまった。その度にどうでもいいと思っていた。でも、今はそう思えない。罪悪感やら申し訳なさやらで死にたくなった。 「顔を上げてくれ」    俯くぼくに夢九は今までで一番優しい声でそう言った。 「恨んでいないさ。むしろ君には感謝している。前にも言っただろ? 私は探偵にならなければ犯罪者になっていたって」    確かに夢九はそう言っていた。でも、探偵になった後の夢九を犯罪者にしてしまったのはぼくだ。 「君がいなければ私はきっと血に流されるままに犯罪者になっていた。だが、君のおかげで自分の意思で犯罪者になれた。初めて自分の意志で未来を選べたんだ。感謝こそすれ恨むことはない」 「でも、それでもぼくのせいだろ」 「違う。こうなる運命だったんだよ」 「運命は君が一番嫌いな言葉だろ」 「だからこそ使うんだよ。今までの私と決別するためにな」    ああ、夢九はもう覚悟を決めているのだ。人を殺した瞬間にこれからの人生を決めたんだ。  ぼくに止めることは出来ない。夢九はぼくが血にあらがっていると言っていた。でも、違うんだ。ぼくはただ目をそらしているだけだ。犯罪者になる覚悟も、探偵になる覚悟もない。だからワトソンを真似てみたりして助手をやっていたのだ。逃げるために助手をしている人間に、覚悟を決めた人間を止めることは出来ない。いや、出来ていいはずがないのだ。 「これからどうするの?」 「とりあえずは、裏の世界で一番になろうと思う」    軽く言っているが、夢九ならば可能なのだろうと思わせてくれる。 「いつまでも偽装が通用するはずがないよ」    賢い人間ならば夢九が生きていることに気づくはずだ。 「わかっているさ。時間稼ぎさえできればそれでいいんだよ」    確かに時間稼ぎにはなるだろう。 「止めないのか?」 「ぼくが君の行動を止めたことがあったか?」    止めたいけど止める言葉をぼくは持たない。 「ないな。君はいつだって私についてきてくれた」 「今回だって――」    君が望めばついていく、そう言おうとしたが遮られる。 「それは駄目だ。君が君でなくなることは本意ではない。私は君が和十巽でいてほしいんだ」    初めてだった。夢九がぼくの名前を呼んだのは。そしてワトソンとは二度と呼んではくれないのだと寂しい気持ちになった。 「ぼくはこれからどうすればいいんだよ?」    情けないとわかっていたが、ぼくは訊いた。今のぼくは夢九という指針を失い大海で一人遭難しているようなものだった。この先何をすればいいか、どう生きていいかわからない。 「さあな。それは君が、巽が決めることだ」    当然か。高校生になろうという人間が何を言っているのだか。 「ただ私の望みを言っていいなら、君には探偵学園に行ってほしい」 「どうしてだよ?」 「そっちの方が面白いからだよ」    夢九は笑った。  確かにそれは面白いな。モリアーティの子孫が探偵になって、ホームズの子孫が犯罪者になるのだから。滑稽としか言いようがない。   この世界に対する一番の復讐だ。  しかしぼくは探偵になる覚悟がなかった。  ぼくには探偵に必要な要素が何一つ備わっていない。    そんなぼくの心情を見抜いたのか、夢九は 「それにプレゼントも用意してあるしな」    と怪しい笑みを浮かべながら言った。  プレゼント。そんなことを言われれば、気になって仕方がない。 「まあ、決めるのは君自身だ」    そう、ぼく自身で決めなければならない。夢九が自分自身で歩き始めたように、ぼくも自分の意思で歩き始めなければならないのだ。 「今日でコンビは解消だ」 「本当に自分勝手だな」 「私らしいだろ?」 「誇ることじゃないよ」  本当に自分勝手で夢九らしい。 「指輪はどうするの?」    ぼくはポケットから金色に輝く指輪を出した。夢九がいつもつけていたホームズの子孫である証だ。 「やるよ。私にはもう必要ない」    あの時指輪を捨てたのは、夢九なりのけじめだったのだろう。ぼくは指輪をポケットにしまった。 「最後に何か言うことはあるか?」    夢九が訊いてくる。色々と言いたいことはあったが、ぼくは結局 「ちゃんと健康的な生活をしろよ」    と言った。    すると夢九は 「君は私の母親か!?」    と怒った。  そして 「心配しなくても、風邪をひいたときは君に連絡するよ」    と言って去っていった。    本当に最後まで自分勝手な奴だ。勝手にぼくを助手にして、勝手にいなくなり。自分が風邪をひいたときは看病させようとしているのだから。本当に自分勝手だ。  夢九が去っていくのをぼくはただ茫然と立ちながら見ていた。  そして夢九がいなくなった後もただずっとその場にいた。  主を失った椅子はどこか悲し気に泣いているようだった。              
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