第二章 一日目 その⑤

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第二章 一日目 その⑤

 入り江は島の南西に位置していた。それが唯一の入り江のようだ。  防波堤もなく突き出た浅橋が一つだけ伸びている。両側には高さ三十メートルほどの絶壁がそびえ立っていた。そして正面には絶壁にそうように灰色で無機質な印象を与える階段が右左にと斜めに伸びていた。  船は透き通るほどに青い海に穏やかな波を立てながら、浅橋に横付けされる。 「食料などは事前に屋敷へと運び込まれています。それでは皆様来週の火曜日、四月の二日に迎えに来ますので、お気をつけてお過ごしください」  頼りない浅橋に足を降ろしたぼくらに女性はそう言って、去っていった。途端に心細くなるのは、閖から呪いの話を聞かされたからだろうか、それともここでかつて殺人事件が起きたからだろうか。 「ありゃー。ここ電波通っていないみたいだね」  閖が携帯片手に嘆くように言った。そして傍らにいたぼくに携帯を見せてくる。 「ん?」  見せられた携帯に違和感を覚えた。  確かに電波は届いてはいなかった。ただそれがわかったのは、正面から携帯を真っ直ぐに見たときだった。つまりは、横から覗いてもわからないのだ。おそらく覗き見防止のフィルムを貼っているのだろう。探偵にはよくあることだ。だからそれ自体は何らおかしくはないことなのだが、しかし閖の携帯にはそこかしこにシールが貼られていた。プリクラからキャラクターのシールに至るまで。そしてそれは携帯の内カメラがある位置にも貼られていた。それでは画面が真っ暗になってしまうだろう。 「どうしたん?」    訝しげに携帯を見つめるぼくに閖が不思議そうな顔を向ける。 「いや、シールとか凄いなと思って」  ぼくは咄嗟にそう誤魔化した。 「ああ、これね。気づいたらこんな風になってたんだよ」  閖は苦笑いを浮かべながら携帯をポケットにしまった。  少しだけ嫌な空気が流れる。もしかしたら触れてはいけないことに触れてしまったのかもしれない。  そんな風に考えていると、背後から絶望を煮詰めたような声が聞こえてきた。 「最悪だ。電波が届かないなんて。僕はどうやって生きていけばいいんだ」  振り向くと楽椅が第一志望の大学に落ちてしまった学生のように膝をつき項垂れていた。  ネットが使えないぐらいで何を大袈裟なと思ったが、今の時代それはかなり不便なことなのだろう。それに考えてみればネットなどを使い情報を集め、事件を推理し解決に導く楽椅からすれば、まさに頭脳を奪われたようなモノだ。自分の大切なモノを奪われれば、そうなるのも無理はないな。  その隣では巫女服を着た中禅が 「嫌な気配を感じるわね」  と呟いていた。  その表情は冗談を言っているような顔ではなく、むしろ鬼気迫るモノだった。  途端に背筋が寒くなる。  彼女の様子を見るに閖の言っていた呪いは、あながち間違いではないと思ってしまったのだ。    気のせいだと言い聞かせるようにかぶりを振る。  するとかぶりを振った先には偉そうな男こと鈴無と、罪可さんがいた。二人は和やかに話をしているようだが、なんだかまるで接待をする上司と部下のような空気が漂っていた。もちろん鈴無が部下で罪可さんが上司だ。  おおかた探偵である罪可さんに鈴無が質問などをしているのだろう。 「おい、ワトソン」  声と共に服を引っ張られる。  仕方なしに振り向くと、顔を真っ青にした夢九がいた。 「まだ気持ち悪いの?」    夢九は力なく頷いた。  船に乗っている時から既に体調が悪そうだったが、今はそれ以上だ。  途中眠っていたのでもう大丈夫かと思ったが、様子を見るに回復していないらしい。考えてみれば、他人がいると眠ることが出来ないと言っていた夢九があんなにぐっすりと寝ていたことからも、相当体調がよくなかったのかもしれない。 「なんとかしろ……」  いつものように理不尽な発言だが、言葉に力はなかった。 「なんとかしろって……」  なんとかしたあげたい気持ちはあるが、ぼくにはどうしようもなかった。酔い止めの薬を持っていれば良いのだが、生憎と持ち合わせてもいない。  どうしたものかと困り果てていると 「あの……もしよかったらこれを飲んでください」  幸薄げな女性が話しかけてきた。確か名前は轟栖衣。  閖の話を思い出し、ぼくは途端に顔が引きつりそうになったが、噂で判断するのはよくないと思い直し、なんとか平静を装う。  よく見ると轟の手にはカプセル剤が握られており、轟が医者の娘だと言うことを思い出す。 「……体調が悪そうだったので」  轟は伺うような表情でそう付け足した。  たぶん轟は体調の悪い夢九を心配して薬をくれようとしているのだろう。  ぼくはどうするか伺うように夢九を見た。  すると夢九は 「嫌だ。薬は嫌いだ」  と駄々っ子のように言った。  そうなのだ。夢九は薬の類いが一切飲めないのだ。それもアレルギーが原因とかではなく、ただ単に味が苦くて嫌という理由でだ。 「飲まないと治らないよ」 「それも嫌だ」  余裕がないためか、いつも以上にわがままに拍車がかかっていた。 「噛まなければ、苦くないよ」  薬はカプセルタイプなので、噛まなければ苦くないのだが…… 「毒が入ってるかもしれないだろ」  本人を前にして、ひどい言い草だった。 「そうですよね……他人からいきなり薬なんて渡されたら怖いですよね」  轟は落ち込んだようにしょんぼりしていた。 「ごめんね。わざわざ親切にしてもらったのに」  すっかり奴隷根性の染みついてしまったぼくは、夢九の代わりに謝っていた。 「いえ、いいんです。誰だって他人の持っている薬は怖いですし」  閖の話の通り、普通に良い子だった。  普段理不尽の化身としか関わっていないぼくは、どう接して良いかわからずに、微妙な空気が流れてしまう。 「えっと……」 「轟です。轟栖衣」  ぼくが戸惑っていることに気づいたのか、轟は自己紹介をしてくれる。  そう言えば、未だに自己紹介をしていなかった。ぼくは閖からある程度情報を得ているが、他の人間は知らないのだ。 「ぼくは和十巽。で、こっちの体調悪そうにしているのが守谷夢九」 「はい。知ってます」  それまでうつむいていた轟だったが、そこで初めて顔を上げてくれる。  やはり整った顔立ちをしていた。髪や目の色を見るにおそらくは欧米の血が混じっているのだろう。美人と言うよりも可愛いと言える顔立ちをしていた。今回参加している女性陣が皆美人と言える顔立ちをしているためか、轟のかわいらしさは一層映えていた。 「……その薬って体調悪くない人間が飲んでも大丈夫だったりする?」  ぼくは伺うように訊いた。 「はい。少し眠くなるかもしれないですが、問題はありませんよ」 「じゃあ、その薬二つくれないかな?」  訝しむように首を傾げながらも、轟は薬を二つ差し出してくれた。  受け取ったぼくは、カプセルの蓋を開けて中身を半分ずつわける。そして鞄から水を取り出し、薬を口に入れ、水で流し込んだ。 「これで安全だろ?」  そう言って、夢九にもう片方の薬を差しだした。  もし薬に毒が入っていれば、ぼくは今頃あの世に行っているはずだ。遅効性の毒だとしてもすぐにわかる。  それを理解してくれたのか、夢九はぼくから水をひったくり、渋々ながら薬を飲んだ。  飲み終わるとぼくに屈むように言って背中に乗っかかってきた。おんぶしろと言うことらしい。  文句の一つでも言いたいが、既に他の者は階段を上り始めていたため、仕方なしにおぶる。  そんなぼくらの様子を轟は面白そうにずっと見ていた。 「ありがとう」  ぼくが感謝を告げると 「いえ、お力になれてよかったです」  轟はそう言って笑った。
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