プロローグ

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プロローグ

 四月四日。  空はここ数日の騒がしさが嘘だったかのように、森閑としていた。  それはまるで事件の終わりを天気が祝っているように見える。  ――それにしても奇妙な事件だった。  連城結城(れんじょう ゆうき)は濁った海の先にある島へと視線を向ける。  その島こそが、奇妙な事件の舞台となった場所だった。  連城が刑事になって四十年、様々な事件に関わってきたがこれほど奇妙な事件は初めてだった。それは偏に奇妙な事件はその難解さ故に探偵が担当することが多いこともあるが、それ以上にこの事件は奇妙なのだ。いや、へんてこだと言っても良いほどだ。 「それにしても奇妙な事件でしたね」  連城の心を読んだかのように、隣に佇む刑事が呟いた。  その声には、苦虫を噛みつぶしたかのような響きがあった。  ――無理もない。  太陽の光を独占するように浮かぶあの島では、六人もの人間が殺されたのだ。  犯罪者が裁かれるというのは、それ自体に意味がある。もちろん法治国家たる日本の秩序を守るという側面もあるが、それ以上に裁きは罪を自覚させる一種のツールのようなモノだと連城は常日頃から考えていた。    だからこそ犯罪者が裁かれずに自殺してしまう事件というのは、どうにも後味が悪い。それは遺族はもちろんのこと警察もだ。犯罪者が裁かれずに自殺という結末を迎えた事件は、関わった人間の心に生涯深く残り続ける。  そしてこの事件もまた同じだった。六人を殺害した末に、犯人は自殺をした。  ――この胸にこびりつくような不快さは、何度経験しても慣れないな。  ある程度慣れている連城とて、これなのだ。まだ慣れていないこの新米の刑事では、到底納得は出来ないだろう。    その上殺されたのが現役の探偵と、その卵五名だ。  連城の時代はまだそこまでではなかったが、今の時代、警察は探偵になれなかった人間達がそのほとんどだ。そして隣に立つ二十代の刑事もまた探偵を目指し、夢破れた末に警察になった一人であることを連城は知っていた。そんな人間だからこそ、かつての自分のように探偵を夢見た少年少女が亡くなってしまったことに心を痛めているのだろう。  連城とて探偵の卵云々を抜きにしてもまだ十代の少年少女が亡くなったことには、少なからず心を痛めていた。  連城は懐からタバコを取り出し、口にくわえ、火をつけた。  女房に体に悪いからタバコをやめるように言われ、ここ最近は控えていたが、今日はその言いつけに従う気になれなかった。  こうして体をいじめでもしていないと、自分を許せなくなりそうだった。 「……他にも二体の遺体が発見されたんですよね?」 「ああ」  煙を吐き出した後、連城は頷いた。  七体の遺体の他にも、二体の遺体が見つかった。 「だが、関係ないだろうよ」  見つかった二体の遺体は死後数年は経過しており、どう考えても今回の事件には無関係だ。  それに―― 「唯一の生存者もそう証言している」 「それって本当なんですかね? どうにもしっくりこないというか……」 「少なくとも嘘をついているようには、俺には見えなかったぜ」  あの島で起きた事件でただ一人生き残った人間の取り調べを担当したのは、何を隠そう連城だった。そしてだからこそ確信が持てる。嘘をついていないと。それに状況もまたあの人間の証言が本当であると語っている。もしこれで嘘の一つでもついていようモノならば、あの人間はとんでもない嘘つきだ。  しかしそれは連城だからこそ言えることだ。直接話を聞き、その目で現場の調査をした連城だからこその言葉であって、伝聞でしか話を伝えられていないこの若い刑事が納得出来ないのも仕方のないことだ。 「お前だって日記を読んだんだろ?」    なおも納得していない若い刑事に連城は言った。  被害者の一人が残した日記には事件の詳細が記されていた。そしてそこに記された内容と、生存者の話、状況に矛盾はなかった。 「読みましたよ。ですが――」 「推理小説の読み過ぎだ。現実は小説より奇なりなんて言うが、人の想像力を舐めるな。現実はあくまでも現実的だから現実なんだよ」    連城は心の中で疑問を浮かび上がらせるもう一人の自分を納得させるように言って、隣にいる刑事の頭を軽く小突いた。  若い刑事は未だに納得出来ていないようだが、表面上は納得したように頷いた。 「……そう言えばその生き残った一人は、今どうしているんですか?」    連城はその質問に答えようか迷ったが、結局答えた。 「確か探偵学園に入学したそうだぞ」  日本に四校しかない探偵を育成するための学校だ。そしてそこに入学することは、これから探偵を目指すことを意味している。若い刑事もそれを理解しているのか顔を歪める。 「うへー。こんな事件に巻き込まれてもなお、探偵を目指すんですね」 「逆だ」 反射的に連城は言葉を発した。 「逆ですか?」 「こんな事件に巻き込まれて生き残ったからこそ、目指すんだろ。死んでしまった探偵達の意思を受け継ぐためにもな」  自分の言葉に連城は苦笑いを浮かべる。 ――だとしたら幸運にも生き残った人間は、幸運ではないのかもしれないな。  連城は追悼するように、そして新たな門出が幸福であることを願うように海に向かって煙を吐いた。
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